放射能対策で堪忍袋の緒が切れた宮城県の村井知事

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「『原発問題に対峙しようとしない』と宮城知事、国を糾弾」。2012年1月5日付の河北新報に掲載された記事のリードは、まるで週刊誌の見出しのようなものであった。

「糾弾」は、1月4日におこなわれた宮城県の村井嘉浩知事による県職員への年頭訓示の中でおこなわれた。知事は、「復興に向けて解決すべき県政課題として福島第1原発事故対応を挙げ、国の放射能対策について『いつまでたっても問題に正面から対峙(たいじ)しようとしない』と述べたのである。

さらに知事は、「放射能に汚染された稲わらや汚泥の保管場所の確保、県民の健康調査などを『本来なら国が責任を持って県民の前で説明しなければならない問題だ』と指摘。『県や市町村に対応を委ねる国の姿勢に、憤りを通り越してあきれる職員もいるのではないか』と切り捨てた」という。

これまで、政府に対する強い批判を避けてきた知事だが、ここへ来て堪忍袋の緒が切れたということか。年頭訓示のあとの記者会見で、国を「糾弾」した理由を「これまでは原発事故そのものの対応に全力を注いでほしいと思い、強い不満は表明しなかった」と述べている。

震災と原発事故の発生前後に、知事がどんな政策を進め、それを実行してきたのかどうか。そのことをここでは問わないことにした場合、国の放射能対策に対する知事の「糾弾」は全面的に正しいと筆者は思う。甚大な被害に対処するためには、特に資金面での国の支援が不可欠なのだから、「強い不満は表明しなかった」という知事の気持ちは理解できる。

知事が「今後は言うべきことを強く言う」という姿勢になったのは、「昨年12月に政府が『冷温停止』を宣言したこと」がきっかけとなっている。専門家でなくても、そんな宣言に信憑性がないことはわかるし、「とりあえず解決」みたいな宣言を勝手に出した国に対して不信感を募らせている避難民の方々も多数いると思う。

また、「原発事故の対応は県境で区切る問題ではない。汚染レベルによって対応しなければ、宮城県民としては大きな不満が残る結果になる」という知事の言葉はもっともであり、それは原発事故により放射能に汚染された地域を含む各県知事の共通認識であろう。国は、知事の言葉に耳を傾け、襟を正して放射能対策に取り組まなければ、今度は福島周辺の多くの県知事から次々と「糾弾」されることが予想される。

(谷川 茂)