文春は一貫して脱原発。新潮は親原発か!?【文春vs新潮 vol.24】

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[文春]トップの記事は「福島原発 衝撃の真実! 官邸、東電、大メディアの『原罪』」。ジャーナリストの上杉隆さんによる記事である。さらにページをめくると、「東京電力と放射能の『タブー』 すべて話そう」という坂本龍一さんと河野太郎さんの対談記事。週刊文春が年末を締めくくるネタとして「原発」を選んだことを、筆者は高く評価したい。

まず、前者の記事から見ていこう。上杉さんが入手した新聞・テレビ記者の取材メモと自身の体験を元に、福島第1原発の事故後の3カ月を振り返っている。東電の会見がどんなものであったのか。その会見場は、「まるでジョージ・オーウェルの『1984』の世界のように、権力によって真実が歪められ、何が真実であるかわからなくなるという異次元に迷い込んだ感覚に襲われる場所」であったという。

また、ある日、上杉さんが会見で東電の勝俣会長に批判的な質問をしたところ、会長は質問に答えず、テレビや新聞に広告を出すという発言を繰り返した。ようは、広告費をちらつかせて上杉さんを脅していたのである。「東京電力の年間の対メディア広告費は200億円を超える」のだから、大広告主に対して文句をいう記者の社には広告を出さないぞ、という話だ。

事故からの3カ月。「すべての大手メディアは最大のクライアントを失うことを恐れるあまり、『安心』『安全』を連発し、“誤報の山”を築い」た。いや、メディアだけではない。政府の枝野官房長官(当時)も「官僚たちに洗脳され、3月には『安全デマ』を流していた」。そして、3月のうちに「政府も、東電も、そして大メディアも原発が危険な状態にあることに気づいて」おり、「彼らの中には家族を早々と地方や外国に避難させる者がたくさん現れた」。

[文春]つづいて、坂本さんと河野さんの原発事故をめぐる対談。2006年から「ストップ・ロッカショ」という脱原発プロジェクトをやっている坂本さんは、対談の冒頭で「この9カ月間の国や東電の対応を考えると、頭に血が上ってひっくり返りそうになる」と述べ、「なぜ日本人はもっと怒らないのか、不思議なんです」とつづける。

政府と東電、そして経団連がグルだと河野さんが指摘すると、「国家社会主義みたいなものです(笑)」と坂本さん。「僕が不思議だったのは、政府がもっと協力できなかったのかということです」と非常時に政権が連立しなかったことに坂本さんが疑問を呈すると、河野さんは「あのとき、臨時連立政権をやればよかったと僕は今でも思っています。外で文句言うくらいなら、中でやるべきでした」と答える。全くその通りである。

脱原発を唱えるこのおふたりが出演したラジオ番組にも、クライアントからの圧力があったようだ。河野さんは「以前ラジオ番組で『好きなだけ原子力の話をしてください』と頼まれた時は『ホントにいいんですか』とこちらから聞き直した」ことがあったが、後日、その番組スタッフから「大変でした。プロデューサーがあわやクビでした」と聞かされた。坂本さんは、2カ月に一度やっているFMの番組が「営業先で『そういうことをいう奴が番組を持っている局は困る。やめさせろ』と言われた」ことを暴露している。

対談の末尾で坂本さんが「原発という危険と隣り合わせで生きていきたいのかどうかを問う、国民投票をやった方がいいと思う」と提案している。筆者も坂本さんの提案を支持する。もし、私たちがこれまで間違った道を選択をしてきたのなら、そのまま間違った道を突き進むのではなく、別の道を歩めばいいのだから。今からでも、けっして遅くはない。


[新潮]吉本隆明さんのインタビュー記事「『反原発』で猿になる!」がひどい。吉本さんといえば、1970〜80年代に多くの人々から支持された偉大な思想家というイメージがある。だが、このインタビューで語っている内容は、申し訳ないが「老害」とでも言えるようなものだと筆者は感じた。

まず、「今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということ」だと吉本さんは言う。自動車の事例を引き合いに出して、「ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものです」と言い切る。

いま核開発を止めることは、「人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」とも述べる。その上で、「我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射能に対する防御策を改めて講じることです」と提案する。自然エネルギーへの転換については、「文明に逆行する行為です」とばっさり斬る。

吉本さんが「反核」や「反原発」を唱える人々を批判してきた気持ちは、わからなくもない。そうした運動が「反体制」と結びつき、反核や反原発が反資本主義のイデオロギーに転じて「左翼」的な雰囲気をぷんぷんと漂わせていたのも、戦後日本の思想における一断面であったからだ。言いかえれば、反核や反原発が反体制を唱えるための「記号」や「道具」でしかなかったような時期が長く続いたことについては、筆者も違和感を抱きつづけていた。

とはいえ、原発問題について言えば、福島第1原発の事故によってイデオロギーがどうこうなどとのんきなことは言っていられない状況になったのではないか。福島県だけでも15万人が避難しているという実状と、メディアで伝えられる原発被災者の人々の声を知った上でも、吉本さんは脱原発が「近代の考え方を否定するもの」だとか「文明に逆行する行為」などと言えるのだろうか。

文明論という大上段から原発を擁護するのは自由だが、放射能の被害から逃れるために避難している末端の人々には、そんな議論は「ただの戯れ言だ」と一笑に付されてしまうのがオチであろう。吉本ファンの方々は、このインタビューでの発言を読んでいったい何を感じるのか。

[その他]他にもいろいろ記事はあったが、今回は原発関連のものだけを取りあげることになってしまった。だが、筆者はそれでいいと思っている。去年はそういう年だったのである。以下、いくつか気になった記事を。

新潮の「『ベストセラー作家・漫画家』が訴訟を起こした『自炊業者』の文化破壊」。「本の背表紙を裁断してバラバラにし、ページごとにスキャナーで取り込み電子ファイル化する行為」が「自炊」だ。個人で利用したり楽しんだりする、いわゆる「私的利用」のための「自炊」は問題ないが、業者がそれを代行するのは明らかに著作権の侵害であるということを一般に向けて啓発する必要があると筆者は考える。

同じく新潮の「『息子をパイロットに』と大望を抱いた『細川ふみえ』窮乏生活」。往年のアイドルが、「玉の輿婚で出産と、絵に描いたような幸福の絶頂からわずか2年で夫の会社が倒産、そして離婚……」、そしてヘアヌード写真集という「お決まり」のレールを歩み、いまは「ほぼ無収入」だという細川さんの窮状が記事で紹介されている。

原発の話に戻るが、このところ新潮の親原発ぶりが目立つ。事故からしばらくは脱原発のスタンスをとっていたように思うが……。誌面のどこかをあぶり出すと、電気事業連合会やら東京電力やらの広告が飛び出してくるのではないか(笑)。

さて、昨年末に発売された「新年特大号」の軍配は……、文春の勝ち。

【これまでの取り組み結果】

 文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 新潮:☆☆☆☆☆

(谷川 茂)