僕が1996年アトランタ五輪を通じて知っている西野朗監督は、練習前や練習後、食事のときなどに選手が気楽に話しかけることができる人でした。ただ、監督が選手誰かひとりを呼び出して話をするということは滅多にありませんでした。その西野監督から僕は一度だけ呼び出されたことがあります。部屋に入ると、西野監督は五輪代表チームのキャプテンを務めてほしいとおっしゃいました。光栄な話ではあったのですが、僕は辞退しました。