スマートフォンの通知がスマートウォッチにそぐわない理由
スマートウォッチ中毒にならないよう気をつけよう。
(写真:携帯電話と同じくらい頻繁にスマートウォッチをチェックしたいだろうか?)
スマートウォッチを買い求めるようになれば、型番やモデルに関係なく、気づくことだろう。携帯電話からの通知を表示する機能が大きなセールスポイントの一つとして宣伝されていることに。だが実際のところ、日常的に使用するにあたって、この機能にはそんなに役立つだろうか?
スマートウォッチからツイートすることができるので、ポケットから携帯電話を取り出す必要はない。メールは手首に直接届くので、携帯電話をデスクの引き出しに入れっぱなしにしておける。アプリを起動したり、画面のロックを解除したり、タイピングすらしなくても、テキストを作成することができる。全てスマートウォッチで可能なのだ。
Apple Watchのテスターは、手首で全てを管理できるため、iPhoneを使うことがほとんどなかったという話まである。「どんな時にも携帯電話を引っ張り出さずに、時計を見れば何でもできるようにしたいのです」。9日のApple Watchイベントで、アップルのケビン・リンチは数々のアプリをデモンストレーションしながら聴衆の間を歩き回り、このように語った。
多くのスマートウォッチの宣伝文句によると、われわれはスマートフォンから自由になることが約束されているようだ。いわく、携帯電話をチェックする時間をより少なくし、現実の世界でやり取りをしたり、目の前のことに集中したりする時間を増やす、と。ここに潜在的な問題がある。実際に起きているのは正反対のことで、通知に目を通す時間が増えることはあっても、減ることはないのだ。
小さな画面が現実世界を食い尽くす
スマートフォン所有者ならば、着信音やバイブ音が聞こえていなくても、ツイート、メール、テキスト、インスタントメッセージを求めて数分おきにチェックする誘惑に駆られるはずだ。スマートフォンをバッグの中に放り込んだり、逆さまにしてテーブルの上に置いたりすれば、その誘惑はやや治まる。だが、手首にデバイスがあったとしたら、誘惑が消えることはないだろう。
アクセスしやすさと、常時身につけているというウェアラブルの性質が生きる状況もあるだろう。だが、さらに執拗にスマートフォンの通知が実生活に入り込んでくるのは好ましくない。データによると、われわれは1日に平均100回以上携帯電話をチェックしているという。より身近で、ロック解除の必要ない画面へとその誘惑の居場所が変わってしまたらどうなるだろうか。われわれはその影響を本当に分かっているのだろうか?
私は、テック系ジャーナリストという仕事柄、昨年いくつかのAndroid Wearスマートウォッチを試してみた。自分の手首をチェックするという行為は、素早く動かして見つめるだけという、非常に簡単なものだったので、ほとんど常にそうしていた。他に何かすべきことがある場合は(プレゼンテーションを聞くふりなど)問題だが。
私の経験では、これらの端末によって実生活(友人、仕事、ディナーや映画、いずれかを問わず)に集中する時間が増えはしなかった。実際には気が散ってしまったのだ。時計が鳴らなくても、わずかな時間でさえ集中するのは今までよりも難しくなった。集中力を削ぐものがいつもそこにあったためだ。
至る所にアラートが
問題は他にもあった。私のように、携帯電話のアラートを表示するようにコンピュータを設定した場合、新しい通知があるたびに3つのデバイスが鳴るのだ。アップルのiMessageやGoogle+のハングアウトのようなシステムを設定したら、さらに多くの通知に悩まされるだろう。
もちろん、余分な設定を削除したり、管理することはそんなに骨の折れることではない。少々の操作は必要だが、さまざまなデバイスで定期的に行う、簡単な調整作業の一つにすぎない。だが設定を変えてもなお、TwitterやFacebook、Gmailやそのお仲間が私のパーソナルスペースにさらに侵入してくるように感じられた。
結局、ほとんどの場合、通知内容をよく見るために携帯電話を引っ張り出すことになるだろう。私の場合、手首で通知を受け取ることによって、スマートフォンを引っ張り出して使うことが増えた。スマートフォン中毒を治療したり、その代用品となったりすることはなかった。
私は長年「静かな時計」を着用してきた。スマートウォッチの試用品ユニットを梱包して返送すると、うるさいアプリ通知を気にせず、以前のように時刻を知ることができるようになった。ホッとした気分だ。
手首に何を身につけるか
スマートウォッチが悪いアイディアだと―必然的にわれわれをデジタルアプリの渦に引きずり込む不健全な端末だと言うつもりはない。だが、その使用方法や表示設定を真剣に考慮する必要がある。
例えば、両手に荷物をいっぱい抱えた状態で空港のゲートを歩くことができる。あるいは手首を振り動かして支払いをしたり、自転車のハンドルを握ったまま触覚フィードバックによってナビゲーションの方向を知ることができる。これらはすべて、本当に実生活で役立つアプリケーションだ。
そして、ほとんどのスマートウォッチでは、健康とフィットネスを詳細に追跡する機能が利用可能となっている。それは、スマートフォンよりウェアラブルがはるかに適している分野だ。自分好みのスマートウォッチ画面から、一目で時間をチェックできるということも忘れてはならない。
アラートにも適所がある。フライトが遅延したり、会議が始まる時間になったり、気象警報が出されたときのポップアップだ。Google Nowは必要なときにだけ現れるような、状況に応じた通知が可能になって、便利になっている。アップルが同様の機能をつけるかどうかは興味深い。
だが、スマートウォッチは携帯電話の延長として主に使用されるだろうか?いや、それどころか、小さくなった携帯電話といったところだろうか?それではユーザーに訴えることは難しそうだ。スマートウォッチメーカー、アプリ開発者、エンドユーザーは、どうすればウェアラブルが説得力を持つのか、じっくり考えなければならない。手首でメールを読むのは簡単ではないのだ。
画像提供:Apple
David Nield
[原文]