【連載】ミラン番記者の現地発・本田圭佑「メネーズは本田に手を貸すことが自分の得にもなることを早く理解すべきだ」
本田圭佑とジェレミー・メネーズ。どちらも同じオフェンスを担いながら、これほどタイプが違う選手というのはミランでも珍しい。
戦術的なビジョンもそうだが、何よりサッカーに対する態度がまるで異なる。プレースタイル、試合に向けてのアプローチ、サポーターへの自分の見せ方……。これも、根源にあるサッカーへの考え方やコンセプトが、このふたりの場合、両極にあるからだろう。
こうしたタイプの異なる選手をどのように共存させ、それぞれの良いところをいかに引き出せるか、ここに優秀な監督かそうでないかの違いが出てくる。
本田は常にチームのことを念頭に置いてプレーする選手だ。監督の指示にも、可能な限り従おうとする。チームがなければ自分が何者にもなれないことを彼は知っているし、チームも本田がいなければ苦労をすることが分かっている。
一方、メネーズは一匹狼。チームと一緒に行動はするが、集団の構成分子では収まらない。タイプから言ったら、水泳やテニスといった個人競技の方が彼には合っていたかもしれない。
しかしメネーズは、ボールを操るのが非常に巧みだった。だから、サッカーをするために集団の中のソリストの道を選んだ。それゆえ、個人プレーの傾向が強い。自分が得点することに非常にこだわる。自分がミランを照らす灯台となることで、フランス代表復帰も狙っている。
とにかくメネーズの頭のなかは、いつでも「俺が、俺が、俺が」なのだ。もっとも、適度のエゴは、ハイレベルのサッカー選手には欠かせないものだと思う。そうでなければ、どんなに良いテクニックを持っていても、無名のまま終わってしまう危険性がある。
しかし、このエゴが肥大しすぎるのも問題だ。あまりにも自己中だと、他の選手の反感を買ってしまうし、サポーターとも対立してしまう危険性もある。
選手という仕事にミスは付き物だ。ミスをしない選手などいはしない。しかし“良い子”はミスをしても許されるが、普段から自信過剰な発言や行動ばかりしていると、ミスした途端に腐ったトマトを投げつけられるのがオチだ。
それにしても、理想的な選手というは、本田とメネーズのちょうど中間あたりの選手を指すのではないだろうか。ミランラボあたりでふたりを合体させたら、きっと完璧な選手が来上がるに違いない。メネーズの、ともすると行き過ぎなエゴを本田が和らげ、本田にはあまり見られない“悪辣さ”をメネーズがもたらしてくれる。いい案ではないだろうか?
冗談はさておき、“チーム”というものに対する本田の考え方は素晴らしい。本田にはチームワークのセンスがある。チームメイトのためにプレーをするのだ。
なぜなら、自分がチームを動かす大事な歯車になることで、より大きな成果が得られることを知っている。歯車は全体としての結果を出すために動くもので、自分のためだけには動かない。
軍隊で例えて言うなら、本田は(特に指揮官にとって)非常に良い兵隊だ。決められた集団の規律のなかで最高のパフォーマンスをする。一方、メネーズは敵の息の根を止めるスナイパーだ。ひとりはチームのプレーを担い、ひとりはただ本能のままプレーする――。
これほど異なる選手をともに使いこなすのは、監督にとって決して簡単なことではない。ここ2試合のミランの試合を見るだけでも、それはよく分かる。
ウディネーゼ戦で、本田とメネーズはとても良いコンビネーションを見せていた。プレー中、ふたりは確かに互いを感じ、理解し合っていた。おかげでチーム全体の動きは滑らかで的確。長らく忘れていた、オーナーのシルビオ・ベルルスコーニが必死で取り戻したがっている黄金期のミランのようだった。
戦術的なビジョンもそうだが、何よりサッカーに対する態度がまるで異なる。プレースタイル、試合に向けてのアプローチ、サポーターへの自分の見せ方……。これも、根源にあるサッカーへの考え方やコンセプトが、このふたりの場合、両極にあるからだろう。
こうしたタイプの異なる選手をどのように共存させ、それぞれの良いところをいかに引き出せるか、ここに優秀な監督かそうでないかの違いが出てくる。
本田は常にチームのことを念頭に置いてプレーする選手だ。監督の指示にも、可能な限り従おうとする。チームがなければ自分が何者にもなれないことを彼は知っているし、チームも本田がいなければ苦労をすることが分かっている。
一方、メネーズは一匹狼。チームと一緒に行動はするが、集団の構成分子では収まらない。タイプから言ったら、水泳やテニスといった個人競技の方が彼には合っていたかもしれない。
しかしメネーズは、ボールを操るのが非常に巧みだった。だから、サッカーをするために集団の中のソリストの道を選んだ。それゆえ、個人プレーの傾向が強い。自分が得点することに非常にこだわる。自分がミランを照らす灯台となることで、フランス代表復帰も狙っている。
とにかくメネーズの頭のなかは、いつでも「俺が、俺が、俺が」なのだ。もっとも、適度のエゴは、ハイレベルのサッカー選手には欠かせないものだと思う。そうでなければ、どんなに良いテクニックを持っていても、無名のまま終わってしまう危険性がある。
しかし、このエゴが肥大しすぎるのも問題だ。あまりにも自己中だと、他の選手の反感を買ってしまうし、サポーターとも対立してしまう危険性もある。
選手という仕事にミスは付き物だ。ミスをしない選手などいはしない。しかし“良い子”はミスをしても許されるが、普段から自信過剰な発言や行動ばかりしていると、ミスした途端に腐ったトマトを投げつけられるのがオチだ。
それにしても、理想的な選手というは、本田とメネーズのちょうど中間あたりの選手を指すのではないだろうか。ミランラボあたりでふたりを合体させたら、きっと完璧な選手が来上がるに違いない。メネーズの、ともすると行き過ぎなエゴを本田が和らげ、本田にはあまり見られない“悪辣さ”をメネーズがもたらしてくれる。いい案ではないだろうか?
冗談はさておき、“チーム”というものに対する本田の考え方は素晴らしい。本田にはチームワークのセンスがある。チームメイトのためにプレーをするのだ。
なぜなら、自分がチームを動かす大事な歯車になることで、より大きな成果が得られることを知っている。歯車は全体としての結果を出すために動くもので、自分のためだけには動かない。
軍隊で例えて言うなら、本田は(特に指揮官にとって)非常に良い兵隊だ。決められた集団の規律のなかで最高のパフォーマンスをする。一方、メネーズは敵の息の根を止めるスナイパーだ。ひとりはチームのプレーを担い、ひとりはただ本能のままプレーする――。
これほど異なる選手をともに使いこなすのは、監督にとって決して簡単なことではない。ここ2試合のミランの試合を見るだけでも、それはよく分かる。
ウディネーゼ戦で、本田とメネーズはとても良いコンビネーションを見せていた。プレー中、ふたりは確かに互いを感じ、理解し合っていた。おかげでチーム全体の動きは滑らかで的確。長らく忘れていた、オーナーのシルビオ・ベルルスコーニが必死で取り戻したがっている黄金期のミランのようだった。