心が満たされない人に共通する生き方
「人からどう思われているのだろうか?」と不安になったり、「自分の生き方は正しいのだろうか?」と疑問に思ったり、あるいはなんとなくモヤモヤした気分になったりと、私たちの人生は悩みの連続。
これはおそらくどんな人でも共通のはずですが、困った時に、「自分の基本」に立ち戻ることができる人は、迷いや悩みから早く抜け出すことができます。
『へそ道 宇宙を見つめる 使命を見つける』(サンマーク出版/刊)で明かされている「へそ道」は、この意味で悩みや問題に対処しやすい生き方。自分の根本を常に意識することになるこの生き方をどのように取り入れていけばいいのか。著者の入江富美子さんにお話を伺いました。
―『へそ道 宇宙を見つめる 使命を見つける』についてお話を伺えればと思います。まず、「へそ道(へそどう)」とは一体どのようなものなのかをお聞かせ願えますか。
入江:「へそ道」というのは、人生の答えは自分のなかにある、ということを実感しながら自分を頼りにして生きることのできる生き方のことです。
そのことに「へそ道」と名づけたのには意味があります。
大昔の日本はひらがな文化で「やまとことば」というものがありました。ひらがなの一文字ひと文字に意味があり、「へそ」の「へ」とは、船の「へさき」という言葉の通り、「先端」ということ、「そ」とは、素=もと、「すべてのもと」という意味があったのです。
だから「へそ」というと「すべてのもと、と先端」ということでへそでつながった私たちは、「すべてのもとからつながって、先端である今を生きているよ」という意味があります。
私たちは「へその緒」でお母さんとつながっていたわけですが、そのへその緒をおばあさん、ひいおばあさん、とずっと辿っていくと、やがては宇宙のはじまりに行きつきます。そうやって今、へその先端を生きている私たちが全ての根源とつながっていることを意識して生きることが「へそ道」の基本です。
―この「へそ道」ですが、どのようにして入江さんはこの生き方に入られたのでしょうか。
入江:私自身が生き方がわからず悩みぬいた経験が「へそ道」の根本にあります。
私は、小さい頃父と一緒に寝ていたのですが、6歳の時に私が寝ているすぐ横で、父が心臓マヒで亡くなったんです。その時に救急隊員の方の「(通報が)あと5分早かったら……」という言葉が、子どもながらにどうしても頭から離れなくなってしまいました。一番近くにいた私が気づかなかったから父は死んでしまった、私は人生で大変なまちがいを犯してしまったと感じてしまったんです。
それからは常に自分を責め続ける人生で、自分がどう感じるかではなく、自分がまちがっていないか、正しい人生を送っているかが気になって仕方ありませんでした。そんなことがあって、子どもの頃から常に生きづらさを感じていましたから、どうすれば心の平安を得られるのかということを、かなり早いうちから模索し考えていたと思います。
―そうした末に行き着いたのが「へそ道」というわけですね。
入江:しかしそんな簡単なものではなく、先ほどお話したような、生きづらい人生は2005年の大晦日まで続きました。一見普通に過ごしているようでしたが、本当に泥の中にいるといいますか、暗闇で生きている感覚で、溺れる中で必死に目に見える世界に答えを探しましたが、そこから抜け出す答えが見つけられませんでした。
小さい頃から常に自分がまちがっていないかということが気になっていましたから、人生の「幸せ」についての考え方も、時代の価値観だとか常識に左右されていましたし、成功や人に評価されることが幸せな人生だと思っていました。
ですから、自分なりに頑張って仕事もうまく行っていたし、結婚して子どももいましたから、自分なりに考えた幸せの「ビジョン」は達成したとは言えるのですが、それでも心の中は昔と変わらず苦しいままだったんです。
―ある意味贅沢な悩みとも言えますね。
入江:そうですよね。実際に感謝が足りない自分を責めていましたし、「私ってわがままなのかな」とも思っていました。でも、どうしても自分の中にある空しさはぬぐえませんでしたし、違う生き方があるという思いが大きくなるばかりでした。
―空しいといっても、結婚した時やお子さんが生まれた時はうれしいのではないですか?
入江:そこが難しいところで、もちろんうれしいですし、幸せだとも思うんですよ。でも、結局魂の部分が満たされない。
出産の時は無事に生まれてきてくれただけで幸せだと感じましたし、仕事の面では海外でファッションショーをしたり、会社を立ち上げたりして、そのたびに「今度こそ満足できるはずだ」と思いました。
自分にまだ何か足りないものがあって、それが得られていない間は「これが手に入っていないから私は不幸なんだ」と思ってそれに向かって目標をもって生きられたんですけど、いざ手に入った後も、何かが欠けている感覚があり、肝心の魂の部分が満たされていないことに気づく。この体験を私は何度もしてきました。
それでやっと、人はビジョンを追って生きても幸せになれないのではないか?つまり自分が作った目標を追い続けても、心から満たされることはないのでは?と気がついたんです。
(後編につづく)
これはおそらくどんな人でも共通のはずですが、困った時に、「自分の基本」に立ち戻ることができる人は、迷いや悩みから早く抜け出すことができます。
『へそ道 宇宙を見つめる 使命を見つける』(サンマーク出版/刊)で明かされている「へそ道」は、この意味で悩みや問題に対処しやすい生き方。自分の根本を常に意識することになるこの生き方をどのように取り入れていけばいいのか。著者の入江富美子さんにお話を伺いました。
入江:「へそ道」というのは、人生の答えは自分のなかにある、ということを実感しながら自分を頼りにして生きることのできる生き方のことです。
そのことに「へそ道」と名づけたのには意味があります。
大昔の日本はひらがな文化で「やまとことば」というものがありました。ひらがなの一文字ひと文字に意味があり、「へそ」の「へ」とは、船の「へさき」という言葉の通り、「先端」ということ、「そ」とは、素=もと、「すべてのもと」という意味があったのです。
だから「へそ」というと「すべてのもと、と先端」ということでへそでつながった私たちは、「すべてのもとからつながって、先端である今を生きているよ」という意味があります。
私たちは「へその緒」でお母さんとつながっていたわけですが、そのへその緒をおばあさん、ひいおばあさん、とずっと辿っていくと、やがては宇宙のはじまりに行きつきます。そうやって今、へその先端を生きている私たちが全ての根源とつながっていることを意識して生きることが「へそ道」の基本です。
―この「へそ道」ですが、どのようにして入江さんはこの生き方に入られたのでしょうか。
入江:私自身が生き方がわからず悩みぬいた経験が「へそ道」の根本にあります。
私は、小さい頃父と一緒に寝ていたのですが、6歳の時に私が寝ているすぐ横で、父が心臓マヒで亡くなったんです。その時に救急隊員の方の「(通報が)あと5分早かったら……」という言葉が、子どもながらにどうしても頭から離れなくなってしまいました。一番近くにいた私が気づかなかったから父は死んでしまった、私は人生で大変なまちがいを犯してしまったと感じてしまったんです。
それからは常に自分を責め続ける人生で、自分がどう感じるかではなく、自分がまちがっていないか、正しい人生を送っているかが気になって仕方ありませんでした。そんなことがあって、子どもの頃から常に生きづらさを感じていましたから、どうすれば心の平安を得られるのかということを、かなり早いうちから模索し考えていたと思います。
―そうした末に行き着いたのが「へそ道」というわけですね。
入江:しかしそんな簡単なものではなく、先ほどお話したような、生きづらい人生は2005年の大晦日まで続きました。一見普通に過ごしているようでしたが、本当に泥の中にいるといいますか、暗闇で生きている感覚で、溺れる中で必死に目に見える世界に答えを探しましたが、そこから抜け出す答えが見つけられませんでした。
小さい頃から常に自分がまちがっていないかということが気になっていましたから、人生の「幸せ」についての考え方も、時代の価値観だとか常識に左右されていましたし、成功や人に評価されることが幸せな人生だと思っていました。
ですから、自分なりに頑張って仕事もうまく行っていたし、結婚して子どももいましたから、自分なりに考えた幸せの「ビジョン」は達成したとは言えるのですが、それでも心の中は昔と変わらず苦しいままだったんです。
―ある意味贅沢な悩みとも言えますね。
入江:そうですよね。実際に感謝が足りない自分を責めていましたし、「私ってわがままなのかな」とも思っていました。でも、どうしても自分の中にある空しさはぬぐえませんでしたし、違う生き方があるという思いが大きくなるばかりでした。
―空しいといっても、結婚した時やお子さんが生まれた時はうれしいのではないですか?
入江:そこが難しいところで、もちろんうれしいですし、幸せだとも思うんですよ。でも、結局魂の部分が満たされない。
出産の時は無事に生まれてきてくれただけで幸せだと感じましたし、仕事の面では海外でファッションショーをしたり、会社を立ち上げたりして、そのたびに「今度こそ満足できるはずだ」と思いました。
自分にまだ何か足りないものがあって、それが得られていない間は「これが手に入っていないから私は不幸なんだ」と思ってそれに向かって目標をもって生きられたんですけど、いざ手に入った後も、何かが欠けている感覚があり、肝心の魂の部分が満たされていないことに気づく。この体験を私は何度もしてきました。
それでやっと、人はビジョンを追って生きても幸せになれないのではないか?つまり自分が作った目標を追い続けても、心から満たされることはないのでは?と気がついたんです。
(後編につづく)