鳥居民『昭和二十年 第一部=1 重臣たちの動き』/草思社
在野の歴史研究家が、膨大な史料をもとに、昭和20年の1年間を克明に記録したノンフィクションシリーズの第1巻(1985年)。本巻の第1章では、日中戦争における中国との交渉を決裂へと追いこんだ、近衛文麿首相の「国民政府を対手とせず」との言葉がどこから出てきたのか、時間をさかのぼって検証している。シリーズ開始当初は近衛に対する評価は低かった著者だが、その後、調べてゆくうちに見直すようになったというのが興味深い。なお、シリーズはその後、四半世紀以上かけて13冊が刊行されたものの、著者の死により未完に終わった。

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歴史書のなかには、ある年を時代の転換点としてとらえる本もかなりある。たとえば、後述するように1968年については多くの回顧本が出ている。

折しも、速水健朗の『1995年』が話題を呼んでいる。先にエキレビで香山哲さんが書いた書評に対しても、読者が1995年当時の自分の思い出をツイートしたり、さまざまな反応が見られた。現在発売中の「テレビブロス」では、著者の速水と芸人のマキタスポーツが対談し、あらためて1995年を振り返っている(マキタが今年リリースしたデビューアルバム『推定無罪』にも「1995 J-POP」という楽曲が収録されている)。

今回の記事では、『1995年』以外にも、特定の年にスポットをあてた本をいくつか選んで紹介してみたい。これら“年代本”(と、あえて名づけてみる)を読みくらべると、なぜ、その年を時代の転換点に選んだのか、また、どんなできごとをどういった切り口でとりあげているか、それぞれの著者の歴史観の違いがはっきりとうかがえる。それは、著者の世代や刊行時期によっても微妙に違ってくるようだ。ただ、共通することが一点だけある。それは、いずれの本も、その年から現在へとつながるものを見出そうとしているところだ。

もうすぐ年末・年始の休みに入る人も多いだろうが、この機会に今年の1年間だけでなく、もっと長いスパンで過去を振り返ってみるのもありではないだろうか。そのとき、これらの本はよき案内人となるはずだ。前編では、明治後期の1900年、戦争末期の1945年、それから高度成長期の1958年と1968年を振り返った本をとりあげる。

■松山巌『世紀末の一年 一九〇〇年ジャパン』(2000年)
まずは、評論家の松山巌(1945年生まれ)のこの本をとりあげたい。これは、19世紀最後の年である1900(明治33)年の1年間をたどりながら、明治維新から30年あまりが経ち、近代化のなかでさまざまな矛盾も噴出していた日本の様子を描き出したものだ。

本書がユニークなのは、当時病気でほぼ寝たきりになっていた俳人の正岡子規を中心に、彼と関係の深い夏目漱石や陸羯南(くがかつなん)など知識人の動向から、さらに当時の社会へと、視点を同心円状に広げていくスタイルをとっていることだ。全体の構成も月ごとに章が立てられ、1月から順に「外国人」「女」「公害」「鉄道」「東京」「教育」「マス・メディア」「アール・ヌーヴォー」「アジア」「都市と農村」「戦争」「天皇」というテーマが設定されている。

当然ながら明治末と現代とでは違うことのほうが多い。たとえば、子規は病床にあって「ガラス窓つきの駕籠で外出したい」と夢想した。いまなら自動車ということになろうが、彼はまだ自動車を知らなかったのだ。この年、サンフランシスコ在留の日本人会が、皇太子(のちの大正天皇)の婚儀を祝い、自動車を献納している。これが日本に初めて渡来した自動車ともいわれる。

その一方で、現代との類似もちらほら垣間見える。《この世紀末の一年は百年後の現在に存外、近いのかもしれない》とは、この年の大晦日に東京・三田の慶応義塾で行なわれた「世紀送迎会」を伝える日刊紙「時事新報」の記事中の「生徒の催しに係るパーフォーマンス」という言葉に対する著者の感想だ。あるいは、こんなエピソードも出てくる。当時、新聞どうしの競争が激しくなり、各社は販促のため人々の関心を惹くさまざまな企画を打っていた。たとえば、「大阪毎日新聞」は、大相撲の優勝力士の予想や素人義太夫や俳優の人気投票などを企画し、それは思わぬ反響を呼んだという。

《力士のひいき筋や素人義太夫語りは新聞を買い集め、投票した。俳優人気投票では、新聞販売店が投票用紙だけを読者から買いもどし、それを俳優に売る騒ぎまで引き起こした》

あれ、新聞ではないけど、最近でも似たような話を聞いたことがあるような……。

時系列にそって、さまざまなできごとが横並びで叙述されているだけに、思わぬ発見もあるのが本書の面白いところだ。一例をあげるなら、この年、イギリスへ留学のため渡った漱石は、11月10日にロンドンで下宿先を見つける。その同日、おなじくロンドンで、日本政府がヴィッカーズ社に発注した戦艦が進水式を行なっていた。翌日、「三笠」と名づけられたこの戦艦は、4年後に起こった日露戦争で旗艦となり、日本海海戦では日本を大勝利へと導くことになる。1900年はちょうど、日清戦争と日露戦争の中間期にあたり、日本が欧米列強と肩を並べるべく軍事力の増強をはかっていた時期でもあったのだ。

■鳥居民『昭和二十年』(1985〜2012年)
近代日本史上、最大のターニングポイントとなった1年を、時間の推移に沿ってたどるノンフィクションシリーズ。在野の歴史研究者である著者の鳥居民(1929年生まれ)を囲んでのある雑誌の座談会において、作家の丸谷才一と井上ひさしは同シリーズを絶賛している。丸谷いわく、本シリーズの語り口でもっとも注目すべきは、《日本の社会を上から下まで縦断して捉えるという視界、視野、視力の広さ》と評している。疎開の児童や勤労動員の中学生・女学生から、指導層にあたる重臣・大臣・大将、さらには天皇まで各階層をカバーしながら、《危機に際会しての彼らの生活、ものの考え方、感じ方が具体的に生々しく描かれていて、非常に大きな画面の壁面を形づく》っているというのだ(「文藝春秋」2005年8月臨時増刊号)。

丸谷の言うとおり、本シリーズでは膨大なエピソードが、縦に横にと織りこまれている。たとえば、『第一部=4 鈴木内閣の成立』では、慶應義塾塾長の小泉信三や日本銀行総裁の渋沢敬三、あるいは元首相の近衛文麿など、要職にあった人たちが偶然にも同じ頃、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜のことを思い出していたということが、かなりのページを割いてつづられてゆく。

幕末の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が新政府軍に敗れたのち、大坂から江戸に逃げ帰った慶喜は、上野寛永寺にひきこもり、新政府軍に恭順の意を表した。太平洋戦争末期、日本が日に日に追い詰められてゆくなかで、多くの人が慶喜のことを想起したのはそのためだ。小泉信三はかつて展覧会で見た鏑木清方の「慶喜恭順」の絵を思い出し、そこから戦時下の清方の暮らしぶりが入れ子式に差し挟まれる。渋沢敬三については、その祖父で実業家の栄一が生前、自ら編纂した慶喜の伝記の序文を、まだ学生だった敬三に読ませたというエピソードが記される(じつは栄一は幕末に慶喜に仕えていたのだ)。さらに、終戦工作を画策していた近衛文麿は、「ぼくは慶喜公の役割をするのではないかと思う」とまで口にしていたという。

全体の構成は時系列に沿って進んでいくものの、折に触れて、そもそも日中戦争が泥沼に陥り、無謀ともいえる対米英戦に突入したのはなぜだったのか、その原因を時間をさかのぼって検証もなされる。本筋としてそうしたテーマが設けられる一方で、ゴシップ的な話もふんだんに盛りこまれている。どこから読んでも発見があって、読物としても面白い。登場人物も有名無名問わず、じつに数多く、欲を言えば索引がほしいところ。

このシリーズは1985年に刊行が始まった当初、戦争の終わった昭和20年8月15日までを第1部6巻、それ以降を第2部4巻でまとめる予定だった。が、それではとても収まらず、2012年に出た最新刊は7月1日〜2日を扱った第1部13巻と、なおも戦争は終わらないまま、今年1月には著者の鳥居が死去、けっきょく未完に終わってしまった。8月に入ってからの原爆投下やソ連参戦、そして敗戦まで書かれなかったことがつくづく惜しまれる。

■布施克彦『昭和33年』(2006年)
東京タワーの完成、1万円札発行、インスタントラーメンの発売、長嶋茂雄のプロ野球界デビュー、皇太子(現・天皇)の婚約発表と、高度成長期の始まりとして記憶される1958(昭和33)年。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のヒットなどが引き金となって、本書が刊行された前後には昭和30年代がブームとなり、「貧しかったが、みんなが前向きだった時代」などとして美化されたりもした。が、本当にそうだったのか? 1947年生まれの著者はそう疑問を投げかけ、統計なども参考しながら検証している。

それによれば、この年はちょうど「なべ底景気」と呼ばれる景気低迷期であり、翌年から長期高度成長期が始まるにもかかわらず、当時そのことを予測できた人はほとんどいないどころか、メディアでは悲観論が圧倒的だったようだ。貧富の差も、「格差社会」と呼ばれ始めた21世紀初めよりもずっと大きかった、と著者は強調する。

こうした事実を踏まえ、現在は当時とくらべたらはるかに状況的には恵まれているのだから、もっと楽観的に将来を考えるべきではないか、というのが本書全体を通した著者の主張である。少年期に当時をすごした団塊の世代の人間としては、このような姿勢はわりと珍しいかもしれない。

■小野俊太郎『明治百年 もうひとつの1968』(2012年)
1968(昭和43)年は、東大や日大をはじめ全国の大学で学生運動が激化した。同時期にはまた、ベトナム戦争に対する反戦運動、フランスの「五月革命」、「プラハの春」と呼ばれたチェコスロバキア(当時)の民主化運動など、世界各国で体制への異議申し立てが巻き起こる。アメリカの社会学者のウォーラーステインなどは、こうした動きを「1968年の革命」と呼び、世界史における画期ととらえている。それもあって、小熊英二『1968』やスガ秀実『1968年』(※スガは糸へんに圭)など、この年を若者たちの政治運動を中心に回顧する本は数多い。

だが、当時の日本の大学生は、同世代の人口の15パーセントほどにすぎなかった。はたして、そんな少数派である若者たちの叛乱でのみ、この時代を論じてよいものか。文芸評論家の小野俊太郎(1959年生まれ)による本書の副題「もうひとつの1968」にはそんな意味が込められている。

タイトルにあるとおり、1968年は、日本にとっては明治維新から100年を迎えた年であり、政府主催で記念式典も開催された。日本のGNP(国民総生産)がアメリカに次いで世界第2位となったのもこの年だ。明治以来の近代化をひとまず成し遂げ、新しい100年の始まりとの位置づけから、現在にもつながるさまざまなシステムも登場する。駅の自動券売機、郵便番号、ポケットベルなど、この年に生まれた新たなシステムは、私たちの生活ばかりか価値観までをも変えていった。小野は、1968年のできごとをいま振り返る意義があるのは、現在の私たちのシステムや価値観を構成している一部が、このときにつくりあげられたためであると説明する。

本書にはこの時代を知る手がかりとして、小説やマンガ、歌謡曲などたくさんの作品も登場する。たとえば、安部公房の小説『燃えつきた地図』、矢吹健の歌う「蒸発のブルース」などといった作品から、この頃、社会現象化していた失踪(「蒸発」と呼ばれた)や、さらには三億円事件が論じられる。ある作品から、それが生まれた時代背景や思想などを読み取るという、同じ著者の『モスラの精神史』や『大魔神の精神史』などで展開された手法は、本書でも発揮されている。

今回はとりあえずここまで。後編では1972年、1985年、1989年、そして1995年をとりあげた本を紹介したい。
(近藤正高)