『おおかみこどもの雨と雪』細田守監督作品。2012年公開。「おおかみおとこ」と恋に落ちた花が、産まれた「おおかみこども」の雨と雪を全力で育てる。花は「理想の母親」なんだろうか?

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今夜の金曜ロードSHOWは細田守監督作品『おおかみこどもの雨と雪』。

大学二年生の孤独な少女・花は、大学で謎めいた青年に出会う。急速に惹かれ合う二人。彼には秘密があった。実は彼は、すでに絶滅したニホンオオカミとヒトとの間に生まれた半人半獣、おおかみおとこだったのだ。花はそれを受け入れ、彼の子供を産む。一人目は女の子の「雪」、二人目は男の子の「雨」。
けれど幸せは続かない。おおかみおとこは、家族三人を残して死んでしまう。花は二人の「おおかみこども」を育てるために、田舎で過ごす決心をする……。

この作品が描いているのは、無償の母の愛と、頑張りと、子供の成長だ。
花はとにかく頑張る。ただでさえ子育ては大変なのに、「おおかみこども」という秘密のために誰にも頼れない。子供も思うようには育ってくれない。それでも花は惜しみなく子供たちに愛情をそそぎ、子供のことを一番に考える。花のことを「理想の母親」という人も多い。
だけど、私はちょっと怖くなった。お母さんって、こんなに頑張らなきゃいけないの? 愚痴ったりとか、ヒステリックになっちゃいけないの? こんなに無条件に子供のことを愛せるの?

映画では、花は「母」になっていく。
では、「母」になる前の花は、いったいどういう人間なんだろう?

花は父子家庭だ。母親については詳しく描かれていないが、幼い頃から父子ふたりで暮らしている。親戚づきあいもそこまで深くなかった。
父が幼い花に告げた言葉は、「つらいときや苦しいときに、とりあえずでも、無理矢理にでも笑っていろ」。花はその言葉に従って、つらいときや苦しいときにこそ笑顔を浮かべるような少女になった。
花にとって一人きりの家族である父は、花が高校三年のときに病気に倒れる。花は「がんばって勉強し合格すれば、病気も良くなるにちがいない」と思い猛勉強。難関国立大学を受験するが、合格の知らせを受け取る前に父は亡くなってしまう。

花が合格したのは一橋大学。小説『おおかみこどもの雨と雪』(角川文庫)では、大学の学生たちについて「卒業後は官途に奉ずるか、法曹界へ進むか、でなければ商社などに就職するか、いずれにしろ未来を約束されているような若者たちだった」とある。花は彼らとなじめない。
「花は、少なくとも真面目であるという点においては、彼らと共通していた。ただし、まだ将来は漠然としていた。(中略)自分がいったい何者で、これからどんな人生を選択すべきなのか、見当もつかなかった」
序盤に描かれる学校のシーンで、花はいつも一人きりだ。特に仲の良い友達もいない。バイト先のクリーニング店の人たちはよくしてくれるが、花はどこか心を許していないような印象を受ける。

花が自然にふるまえるのは、おおかみおとこに対してだけ。自分より深い孤独を背負ったおおかみおとこに、花は夢中になる。
「母」になる前の花は、とても寂しい人だ。

花が子供に限りない愛を注げるのは、寂しい人だったから。一度は喪った家族。また手に入れたのに、夫は死んでしまった。でも、まだ子供がいる。今度こそ家族を喪いたくない。絶対に守ってみせる……。
盲目的なふるまいは、母親のロールモデルがないことも大きい。花の周囲には、父親のロールモデルはいても、「母親としてどうふるまうべきか」を示してくれる人がいない。花が参考にするのは本。育児の本を片っ端から読み、熱心にメモする。花は母としてのふるまいを「知って」はおらず、「勉強」している。

花のキャラクターは、細田監督と通じるものがある。
細田監督の前作『サマーウォーズ』(2009)は、田舎の大家族の絆を描いた話だった。細田監督は、もともと「親戚づきあいは煩わしい」と考えていた。それなのに「家族」をテーマにするようになったきっかけの一つに「結婚」がある。
『時をかける少女』(2006)の後、結婚した細田監督。その挨拶回りの時に相手の親戚と触れあい、仲のよい親戚付き合いを羨ましいと感じたのだという。その体験から『サマーウォーズ』は生まれた。

『おおかみこども』の「子育て」というテーマも、初めは興味の外だった。「これだけ人口がいるんだから、子どもが生まれるなんて簡単な話なんじゃないかな」と考えていた意識が変わったきっかけは、身近な人々。公式インタビューでこう答えている。
「自分の身近で子供が出来た夫婦が増えてきたときに、親になった彼ら、特に母親がやたらカッコよく、輝いて見えて、子育ての話を映画に出来ないかなと思ったんです。自分が体験してみたい憧れを映画にしたという感じです」
「それまで『母』というと、ちょっと縁遠い印象があったのが、自分の知り合いということもあって、自分たちの目線の中で、子供を育てるという責任を背負う姿が素敵に見えたんだと思います」

不思議な感じがする。どこか他人行儀なのだ。結婚したら自分も親戚の一員になるし、子供だってできて妻が「母」になるかもしれない。でも、細田監督の視線は外部からの「羨ましい」「憧れ」に留まっている。その中に加わりたい、加わろうという目線ではない。
細田監督は、親戚の絆も、母子の愛情も、実感として持っているわけではない。周りで出会い、「そういうものなのか」と学び、作品にしている。その姿は、がむしゃらに子供二人を愛する花と似ている。

『時をかける少女』も、『サマーウォーズ』も、『おおかみこども』も、コミュニケーションや絆を描いているはずなのに、どこか歪な印象が残る。それは、細田監督が憧れを抱き、理想だと思うものが、私にとって完璧すぎるからだ。
でも、それを描けるのがアニメーション。現在構想中の新作はまた違う種類の関係を描いたものになるだろうが、きっと細田監督の憧れが詰まっている。
(青柳美帆子)