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億万長者となったBroadcom共同創立者がどのように起業し、世界有数の通信技術を世界に普及させたか

Broadcomのヘンリー・サミュエリ会長と話すと、本人が自らの幸運を良く理解していることを感じる。第二次世界大戦のホロコースト経験者で移民の両親の息子であり、現在会長兼CTOである彼は、両親の酒屋を手伝う生活を経て、電気技術者や大学教授を経験する。その後Broadcomを共同創立し、同社を数十億ドルもの売り上げを誇るブロードバンド通信最大手企業に育て上げた。

彼は自らの人生について聞かれると、笑顔を交えて真剣で深い答えを返してくれた。過去を思い出すことは嫌いではないようで、自らがBroadcomを一時的に離れる理由ともなった2008年の米証券取引委員会の調査の話題に触れても、ぶれることがない。この調査ではサミュエリ会長が受け取ったストックオプションが問題となったが、合衆国地方裁判所の判決により身の潔白が証明され、彼は3年後に会社に復帰することとなった。

今ではBroadcomの半導体はiPhoneやGalaxy Gearスマートウォッチ、Rokuのストリーミング・ボックス、DISH のHopperDVR、BMW X5、LGのSmart ThinQ冷蔵庫、などの多種多様な商品に採用されている。先週同社は次世代の技術を披露する「Geek Peek」イベントを開催した。そこで行ったサミュエリ会長とのインタビューを紹介する。

若い頃

ReadWrite(RW):カリフォルニア育ちでらっしゃるんですね?

ヘンリー・サミュエリ(HS):はい、ロサンゼルスで育ちました。

RW: まだ幼い頃はご両親の経営するお店で商品の陳列をされていたと聞きましたが、そこから半導体メーカー、技術会社の重役とはかなり出世されましたね。

HS: 私は10代の頃、両親の経営する酒屋で商品を並べたりレジを打ったりしていました。それがビジネスとの最初の接点です。

その後カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学し電気工学を学びました。そこで今私の持つすべての称号を得ました。学士号、修士学位、博士号の三つです。博士号を終了したのが1980年で、その後レドンドビーチにある、防衛産業のTRWという会社に入社しました。そこでブロードバンド通信と出会ったのです。ブロードバンド通信といっても軍用ですが。

軍隊では衛星間、兵士間、戦場間全ての通信が高速で、私はこの魅惑的なコミュニケーションの世界を肌で感じていたのです。

それから5年程でUCLAから教授職を打診され、電気工学の専任教授となりました。私はその時、TRWで研究していたブロードバンド通信を民間に転用しようと思いました。

ブロードバンドが世の中に存在する前にブロードバンドの仕事をしていた

RW:教授になられた時点でブロードバンド通信はどんな状況だったのですか?

HS: その頃はまだブロードバンドが普及する前でした。本当に限られた軍用技術だったのです。

私は10年間UCLAでブロードバンド用の半導体を研究しました。民間での需要はすぐに明らかになりました。当時インターネットに接続する人は皆モデムを経由していたのです。毎秒せいぜい10キロビット程度の速度です。まるでカタツムリですね。当然、より早いインターネットを求める声は盛んに聞かれました。

そこで当時の私の博士課程の教え子で、TRDの同僚だったヘンリー・ニコラスと一緒にスピンアウトしBroadcomを創設したのです。いわゆる大学研究のスピンオフです。

RW: 創業が1991年ですね。90年代に会社を作ることはどんな感じでしたか?

HS: 今とは大分違います。20年前、半導体業界は別世界でした。チップそのものも今に比べて本当に単純でした。

RW: 今Broadcomのような会社を創業することはそもそも可能だと思われますか?

HS: おそらく無理でしょう。今の半導体産業はあまりに成熟していてベンチャー企業が入り込むことは大変困難です。今のチップは我々が創業した頃に比べると数千倍は複雑ですよ。以前とは異なり、もはや数人では設計することすらできないのです。新たに会社を作るなら、きっと違ったやり方を選ぶでしょうね。

我々にとって有利に働いたのは軍事産業の経験です。そこでの経験を生かすことで、決して白紙から始めたわけではありませんでした。TRW ではヘンリー・ニコラスはマイクロ・エレクトロニクス担当で、軍事用のチップを設計していました。そのため彼はチップを作る事に関しては経験が豊富で、それなりの知識を持っていたのです。私の大学での研究と彼のチップ設計における経験を組み合わせました。

RW: ご自身は学者であったわけですが、ブロードバンド・チップを副業としておやりになったんですか?でも副業で終わっていないわけですが…。

HS:我々は当初から本当に真剣でした。自分達が作った技術は特別であることは認識していましたし、他よりもよほど先を行っていたと思います。我々は軍事産業で、ブロードバンド通信の一歩先を経験していました。さらに民間産業でのブロードバンド需要も把握していたので、まさしく本気で挑んだのです。さすがにこれほどまでに大きくなるとは思いませんでしたが、我々は本気で会社を起業したいと思っていました。

RW:どこかで、ニコラスさんのご自宅の一室で会社を始められたと読んだ記憶があるのですが。

HS:弊社の最初のオフィスは本当に彼のガレージでした。それもコンドミニアムの。一年程ガレージを拠点に働いて、その後UCLAのキャンパスに隣接する高層ビルに引っ越しました。当時そのビルにオフィスを持つ弁護士さんから、サブリースしてもらったのです。

チップで賭けに出る

RW:創業者として、技術者として、お二人が最初に優先されたのは何ですか?

HS:そうですね、まず重要だったのは、ブロードバンドはその性質上あらゆる分野に応用できるので、重要なマーケットを見いだすことでした。運の良いことに、割と早い時期にその答えが見えました。それはScientific Atlantaという企業からの問い合わせでしたが、デジタル・ケーブルテレビのためにセットトップ・ボックスを作りたいと言うのです。

それまでそんな物は存在すらしていませんでした。テレビとはアナログだったのです。彼らはタイム・ワーナーと生産契約を結んだものの、実際のところ技術的にもチップ的にも実現できるものがまだ存在していなかったのです。彼らは途方に暮れていました。

この分野における我々の研究を見た彼らは「このチップをケーブル・ボックス用に変換できないか?」と聞いて来ました。我々は「もちろん!それは実にいいプロジェクトになる。」と喜んで引き受け、100万ドルの開発契約を結びました。そして出来上がったのがセットトップ・ボックス用ケーブル・モデムチップです。

これこそが我々が今住むデジタル・ホームの第一歩だと言えるでしょう。そこから弊社はこのビジネスを20年間成長させ、素晴らしい功績を残す事ができています。

RW:技術開発、起業は共に大変な苦労が必要だと思いますが、何を原動力にされたのですか?

HS:ベンチャー企業の多くは、毎日12時間から16時間程働きます。かなりの重労働です。よほど自分の仕事を愛していない限り、できない事だと思います。我々の目標は世界を変えること、すべてをつなぐことでした。人生の目標とも言えるでしょう。だから毎日ただひたすら前進できるのです。どのようにしてすべてをつなぎ、この目標を達成できるかだけを考えていました。

RW:それであなたは成功する企業を作り上げました。ただ数年前にまたご苦労をされた。アメリカ連邦通信委員会にストック・オプションのバックデートを行ったと追及され、一点については罪を認められたのですよね。それを理由に会社を退職されて、2009年に連邦裁判所から本件が免除された後に、会長兼CTOとして復活された。

HS:人生には色々と不思議なことがあります。これはまさしく不思議な体験でした。

RW:もし時を戻せるとすれば何かを改めますか?何か学ばれたことはありますか?

HS:何かを改めると言われると難しいですね。当初は正しいと思ってやっていたわけですので。だからこそ裁判官がこの件を扱わずに免除したのです。注意深くあるべきですが、最終的には自分が正しいと思ったことをやるしかありません。それが私の哲学です。自分の中で正しいと思っていることを貫けば大丈夫だと。結局そうなったわけです。

この先に見えるもの

RW:あなたが会社に復帰されてから、Broadcomはデジタル・テレビとブルーレイ・チップのビジネスから身を引いたのですね。

HS:そのとおりです。

RW:その後モバイルに参入された。そもそも賑わいを見せている分野ですが、その中でもウェアラブル・テクノロジーに焦点を置かれている。どのようにして、これらのご決断をなさるのですか?どの技術を後押しし、どの技術から手を引くかを、どのようにお決めになっているのですか?

HS:これは大変興味深いプロセスでして、日頃から行っていることです。

弊社にはスコット・マクレガーCEOの下に、幹部から構成する10人程のチームがあります。そのチームがポートフォリオ・マネージメントと称し、自社が関わるビジネスを詳しく分析します。分析対象となるのは利益率、今後の成長性です。その中から固定の研究開発予算をどう使うかの優先順位を決めます。弊社の場合は収入の約25%を研究開発につぎ込んでいます。今の総収入が約80億ドルですので、約20億ドルが研究開発予算となるわけです。確かに大金なのですが、何もかもできるわけではありません。

RW:今直面されている最大の障壁はなんですか?

HS:我々の挑戦は携帯電話です。現在自社のLTEを後押ししています。先ほど聞かれたように過去の決断を改めるのであれば、おそらくLTEをもっと早く開始すべきだったと思います。マーケットが非常に早く動いてしまい、今我々はそれに追いつこうとしています。

RW:となりますと、Qualcommと直接競合することになるわけですね。

HS:そうですね。彼らが現在のLTEマーケットのリーダーですから。

RW:では彼らをターゲットにとらえているわけですね?

HS:(笑いながら)お互いそうでしょう。競合は他にも沢山いますし、競合のいない会社などないと思います。弊社も世界規模で多くの企業と競争しています。

RW:最近御社は自社のSoC(System on Chip)にBluetooth Smart Integrationを加えたワイヤレス充電機能を発表されました。現在ウェアラブル端末の抱える大きな問題は、充電をどうするかではないかと思います。そこで御社のソリューションがどのようなものか教えて頂けますか?

HS:そのとおりですね。今充電こそが「モノのインターネット化」の大きな障害となっています。毎晩寝る前に数多くの端末をいちいち充電器につないでいるようでは、実用的ではありません。

最終的にはワイヤレス充電が、その答えだと思います。ベッドのとなりに大きめのパッドがあり、寝る前にそこに電話や時計などを置いて充電することになるでしょう。簡単な方法だからこそ普及するのです。今これを実現するための障壁として、規格が異なることが挙げられます。今年にも規格が一緒になり、統一されたアプローチが実現することを願います。

モノのインターネットにかける

RW:2014年はどのような技術に期待されていますか?

HS:「モノのインターネット」は重要な局面を迎えようとしています。我々はこの市場を押さえたいと思っています。数千種類のデバイスが考えられますが、同じ数だけチップを作るわけにはいきません。共通する要素が必要で、我々はこれをプラットフォーム化しようと考えています。その名はWICED(Wireless Internet Connectivity for Embedded Devices)です。

今我々は二種類のWICEDを用意しています。ワイヤレス版とBluetooth版です。考え方は簡単で、アンテナ、ソフトウェア、チップ等すべてをパッケージ化し、誰もが簡単に購入できるようにします。それも本当にインターネットで販売店から直接買えるように。弊社と直接関わって頂く必要さえありません。購入後はお好きなセンサー類と接続すれば、何であれ、モノのインターネット・デバイスの完成です。

つまり数千種類のデバイスが対象であっても、プラットフォームが一つであればそのマーケットシェアを押さえることができます。チップ・メーカーとして我々にはマーケットでのシェアが必要なのです。シェアが多くないと多額の投資を正当化できません。

WICEDを使えば、おそらく小規模なベンチャー企業でも大きなチャンスを作れると思います。例えばPebbleのように。数人でもWICEDモジュールを購入し必要な機器と接続すればワイヤレスなサーモスタット、煙探知機、体重計等が簡単に作れてしまいます。最小限の研究開発で済むわけです。

まさしくアプリ開発者達が経験したような変革をハードウェアメーカーが経験する事になるのです。

ハードウェアで起業することは大変でしたが、この「モノのインターネット」の世界では「ガレージ発明家」達が本格的なデバイスを作ることが出来てしまいます。そんな時代を、私は大変楽しみにしています。「モノのインターネット」は、この先20年間程この業界において大きな影響を与えることでしょう。

RW:これまでも「モノのインターネット」は話題になって来ましたが、来年こそ変化の年となると思われますか?

HS:まだまだこれからですが、S字曲線で言うこれから上がる時期だと思います。成長期の先端に来ていると思います。

少なくとも確実に言えるのは、まだ「モノのインターネット」は成熟していないということです。おそらくこの先10年はかかるでしょう。ただこれから多くの企業がこの分野で活躍すると思います。大企業が皆飛びついてきますので。まずサムスン、それから噂ではアップル、ソニーもすでにやっています。大きな会社、小さな会社、皆革新的な取り組みを行っています。素晴らしい事です。

バランス

RW:起業以外でも、人の成長や発展にご興味があるようにお見受けしております。例えば慈善活動も盛んに行われているようですが。

HS:私も妻も慈善活動をしたいと思ってきました。私たちは幸運に恵まれてここまでこれたわけですから。そこで会社が上場する一年程前にBroadcom Foundationを始め、その後積極的に参加しています。今では私の妻がこの財団の責任者です。

私にとって社会への恩返しこそ、財産を増やすことの重要な要素だと思っています。お金を儲けることは大変ですが、それを差し出し寄付することも決して簡単ではありません。無駄に使われるようでは意味がないので、賢く行いたいものです。一部の人はこれを「ベンチャー慈善活動」と呼ぶぐらいです。

RW:慈善活動もさることながら、ホッケーチームのアナハイム・ダックスもお持ちなのですね。ご本業の会社経営と合わせるとさぞお忙しいかと思います。どのようにバランスを取られているのですか?

HS:本当に忙しいですが、それが良いのです。よく人に「お金は十分にあるのに何故さっさと引退しないのか?」と言われることがあります。私は決してお金のために仕事をしているわけではありません。仕事が私の生き甲斐なのです。これが、今頑張る人へのメッセージです。自分の仕事に情熱を持たなければいけません。お金のためだけに働けば決して成功はしないでしょう。何故ならお金を得るためには、嫌というほど働かなければならないからです。

※ReadWriteBuidersは開発者、デザイナー、起業家等IT業界の先駆者とのインタビュー・シリーズです。

Adriana Lee
[原文]