左から大山百合香、戸田恵梨香

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 青い海、青い空に囲まれた奄美群島の花の島・沖永良部島に生まれ育ち、2005年4月にシングル「海の青 空の青」でデビューを果たした大山百合香。2006年4月に発表したサードシングルでは、MONGOL800のカヴァー「小さな恋のうた」がエースコック「スープはるさめ」のCM曲に起用され、着うた(R)を中心に15万ダウンロードを突破した。続くシングル「さよなら」「春色」では2作連続で、ミュージックビデオに女優・戸田恵梨香が出演。今月23日には、男性アーティストのカヴァーアルバム「COVERS FOR LOVERS 〜Yurika Sings J Love Songs〜」の発売を迎え、大山百合香と戸田恵梨香とが対談を果たした。

第1回「“伝える”というのは一緒」(2008年04月16日)

――大山さんが歌手になろうと思ったのはいつ頃ですか?

大山百合香(以降、大山):歌手になろうと思ったのは、高校生の時ですね。歌を歌おうと決意して、島を出て鹿児島に行って、ソニーのオーディションを受けたのがきっかけだったんです。家がお花を作っていて、小さい頃からお爺ちゃんやお婆ちゃん、みんな集まって畑仕事しながら歌ったり(笑)。父が音楽好きでスピーカーを買って、みんなで倉庫でカラオケをしたり(笑)。音楽が大好きな家族で、すごくナチュラルに好きになっていきました。

――小さな頃から、歌うことが好きだったんですね。

大山:そうですね。歌うのは大好きだったけど、楽器がすごく好きで。ピアノを習ったり、踊るのも好きだし、音楽を中心に習い事をやっていた所もあって。小さい頃から、音楽はすごく好きでしたね。

――歌手を目指された時に、こういう歌を歌いたい、こういう歌手になりたいというイメージはありましたか?

大山:元ちとせさんが初めてテレビに出た時に、それまで沖縄出身のアーティストさんは沢山いたんですけど、奄美から歌手が出たということで島ではすごく話題になって。元さんを見ていると、歌うために生まれてきた人のように私には見えて。島と本土の音楽をミックスしたような、島のこぶしが入っているのに歌っている歌詞は方言じゃなかったり、そのミックスされた感じがとてもカッコ良くて。憧れから始まって、私も自分がその島に生まれたことに意味があったんだと思うようになって、島の民謡をまた改めて聴いたり。「歌手になりたい」と、その時に初めて思いましたね。

――もし歌手になっていなかったら、何になっていたと思いますか?

大山:あのー、でもこれ言いたくない(笑)。…高校の時、スチュワーデスになりたかったんですよ。

――別にいいじゃないですか、スチュワーデス(笑)。

大山:英語がしゃべれて、すごくキレイだし、女性としてすごく憧れる職業で、「やってみたいなぁー」と思っていました。だけど、私は勉強も全然手に付かないというか(笑)、好きなことをとことんやりたくて、もう音楽しか出来なかったですね。だから歌手、音楽を伝える手段として、声を選んだんです。

――何かスポーツはやっていましたか?

大山:走るのが好きでした。町内駅伝とか、学校でロードレース大会があって、それに必ず選ばれていたんですよ。球技系はすごく弱いんですけど、ダンスだったり、走ることがすごく好きで、小さい頃から長距離とか走っていましたね(笑)。