「山も谷もあった」津川雅彦の役者人生 「名優」と火花を散らした「大河ドラマ」でのアドリブ秘話
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第43回は津川雅彦(1940~2018)だ。晩年まで典型的な二枚目を演じ続けたかと思えば「山あれば谷あり」だったとか。谷からすくい上げてくれたのは、意外にも悪役だった。そして、男が惚れる男が“二枚目半”なのだと持論を語る。
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9月に新シリーズが始まったBS時代劇「大岡越前9」(NHK BS・BS4K)。この作品で主人公の大岡忠相の父・忠高を演じていたのが津川雅彦だった。頑固だが人情家で少々破天荒な忠高は、出てくるのが楽しみだった。
1940年、京都生まれ。父は澤村国太郎、母はマキノ智子。両親はともに俳優で、母方の祖父は「日本映画の父」と言われる映画製作者の牧野省三という芸能一家だ。俳優となった兄・長門裕之とともに物心がつく前から映画のそばで育ち、1945年に子役で映画初出演。56年の映画「狂った果実」(日活)で本格デビューする。以後、2018年に亡くなるまで、数多くの映画やドラマで活躍……と書いてしまいそうになるが、取材では「仕事を何十年もやってれば山もあれば谷もある」と“谷”の部分もいろいろと話してくれた。

58年に松竹に移籍したが、作品に恵まれずテレビへと進出。兄と比べられる葛藤もあったという。そんな中で救われたのがドラマ「徳川家康」(64年、NET=テレビ朝日)の織田信長役だった。「演出家の河野洋さんに『信長が好きだ』と言ったら意外な顔をされてね。『桶狭間で奇襲をかけたり比叡山を焼討ちしたり、人の考えの逆をつくカリスマチックな人間に憧れます』と話したら、数日後、マネージャーが『信長役に決まりました!』と驚いていた。本当は他の役に決まっていたらしいんですよ。河野さんは『原作を読んでどんな信長にしたいか書いてこい』と。この役は僕の突破口になりました」
しかし、スキャンダルが報道され、またもや“谷”を経験することに。そこで津川に声をかけたのが、当時、「必殺仕掛人」(72年、朝日放送)の演出をしていた親友の松本明だった。
悪役は二枚目より面白い
「彼は『お前は女性週刊誌、全部の表紙になって、宣伝効果は100億円くらいだ。これを利用しない手はない。悪役をやれ』『表は善人で裏では殺しをする仕掛人とお前の悪役対決は絶対いい』と説得してくれてね。それで『仕掛人』に出た。緒形拳と友だちになったのもこのときですよ」
津川は「必殺仕掛人」の第15話「人殺し人助け」に、不気味な笑みを浮かべながら藤枝梅安(緒形)たちに罠を仕掛ける新興勢力の仕掛人・鳥越の松十郎役で出演した。必殺シリーズとの縁は続き、「必殺必中仕事屋稼業」(75年)の第20話「負けて勝負」に、なぜか白いタートルネックを着たポーカーの名人役で登場。緊迫する勝負の結果、仕事屋に大負けさせられる。敵が殺されず完結するという異色の展開だった。
「悪役をやって実感したのは、ここには役作りの基本が全てあるということ。最初にとてもいい人に見えるのが、ガラッと変わって悪人になる。さじ加減ひとつでどこまでも悪くなれる。この奥深さ。ずっといい人でい続けなければならない二枚目より面白い」
歴史上の人物では大河ドラマ「勝海舟」(74年、NHK)の徳川慶喜はじめ徳川家の人物を演じる機会が多く、中でも家康は松方弘樹の主演で12時間一挙放送された「家康が最も恐れた男 真田幸村」(98年、テレビ東京)など大きな作品で5回も演じてきた。
印象的だったのは大河ドラマ「独眼竜政宗」(87年、NHK)。主人公の伊達政宗は新鋭の渡辺謙、圧倒的な迫力の秀吉は勝新太郎だった。
勝新の優しさ
「家康が秀吉に臣下の礼をとるかという大事な場面で、僕はアドリブで出された茶を秀吉様に先にと差し出した。これはいいアイデアだと思ったんだろうね。勝さんの表情がみるみる変わってセリフが出なかった。『休憩』と言い出して2時間出てこない。相手にいい芝居をされると悔しいんだよ。勝さんに教わることは本当に多かった」
実は勝もまた“谷”から引き上げてくれた一人だ。
「70年代には勝さんの『座頭市』シリーズ(74~76年、フジテレビ)などによく出ました。一度、六本木で偶然、声を掛けられて、飯を食いに行ったことがあってね。『これ、お前をほめてた』とポケットから僕の芝居の新聞の批評記事を出されたんです。勝さんが僕に会ったのは偶然でしょ。それなのに心に留めていてくれたんだ。ちょうど自分は落ち目だと思っていた時期だったから、感激したなあ」
そして「独眼竜政宗」と同じくジェームス三木が脚本を担当した大河ドラマ「葵 徳川三代」(00年、NHK)に主演する。放送時60歳は最年長の大河主役だった。津川家康は女性にモテモテ、爪を噛むのが癖で超短気。秀吉が亡くなると即効天下獲りのため井伊直政(勝野洋)ら家臣たちに「こたびは死んでもらうぞ!!」と檄を飛ばす。気弱な跡取りの秀忠(西田敏行)にイライラすると、着替えの途中、下帯姿のまま秀忠に文句を言いに来る。一方、死の直前、大坂の陣で夫・秀頼(尾上菊之助)を亡くした孫娘の千姫(大河内奈々子)を思い、「(千姫が)寡婦となりしは不憫の極み」とよき相手との再婚を勧める。この人間味がよかった。
「僕はこの役で一人前にしていただいた気がする。ジェームス三木さんは恩人です」
監督業へ
65歳のときにマキノ雅彦として初監督した映画「寝ずの番」(06年、光和インターナショナル/松竹)を発表。2作目は時代劇「次郎長三国志」(08年、光和インターナショナル/角川映画)だった。津川の叔父は次郎長映画の傑作シリーズを世に送り出したマキノ雅弘。同シリーズには俳優・津川雅彦としても出演している。
「いつか『次郎長』を撮りたいと思っていました。撮るからには天才・マキノ雅弘を越えなければならない。そのために僕は、いつくか戦略を立てた。これまでの次郎長は二枚目でね。男が惚れる男は二枚目半がいいんですよ。その点、中井貴一ちゃんは顔はいいのに喜劇的センスにあふれて、堂々と二枚目半になれる」
演出に際しては時代劇ならではのルールにこだわった。
「よく現代調の時代劇と言うけど、僕はあまり好きじゃない。時代劇には時代劇の美しさやルールがあって、それを知っているお客さんに遊んでもらうんだと思う。幸い次郎長は言葉がわかりやすいから、初めて見る人にも理解しやすいと思う。それとアウトローのけじめは大事にしています。マキノ雅弘監督は『これはヤクザ礼賛の映画やないで』と言っていましたが、僕もその精神は受け継いでいます。ハンパ者の美学であるということを作り手もお客さんもわかった上で観るから、次郎長映画は面白いんですよ」
晩年まで若い俳優に声を掛け、時代劇のルールを伝えていたという。影響を受けた俳優陣の活躍は今も続いている。
ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。最新刊は三谷幸喜との共著「もうひとつ、いいですか?」(同前)。
デイリー新潮編集部
