〈25周年ライブ直前に運営陣が“蒸発”〉歌姫shela「誰を信じたらいいのか」…中止寸前の彼女を救った14歳息子の一言

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デビュー25周年を記念して、ファンのためにライブをした歌手・shela。しかし、その裏では名古屋公演直前に運営陣が「蒸発」するという過酷な現実が待ち受けていた。長年のブランクによる不安と恐怖。中止することも考えた彼女に、息子が放った一言。絶望の淵から親子の二人三脚、そして仲間たちの愛によってやり遂げた名古屋公演の真実を追う――。(前後編の前編)

【画像】shelaのライブに集まった大勢のファンたちで満員状態の会場

shelaの25周年記念ライブでアクシデント

2000年代のJ-POPシーンを鮮やかに彩った歌姫・shela。デビュー25周年記念のライブでは、ツアー初日の東京公演は即日ソールドアウト。根強いファンがいることを証明した。

しかしその直後、再始動に影を落とす予期せぬトラブルが彼女を襲う。名古屋公演の間際、ライブ運営の担当者と連絡が途絶え、スタッフが一人も現れないアクシデントに直面したのだ。

「とにかくパニックで頭がどうにかなりそうでした。思い出すだけで苦しくなるほど、精神的に極限まで追い詰められていました」

現在、shelaが身を置く所属事務所はない。本来なら歌手の領分ではない交渉やライブのための準備を一人で抱え込むことになり、中止時の多額の払い戻しへの恐怖に押しつぶされそうになったと明かす。

「理性が飛ぶぐらいパニックで、もう本当に何からしていいのか、どうしたらいいのか。誰を信じたらいいのかわからないといった感じでした。まさに絶望という感じで」

そもそも、彼女の歌手活動は決して平坦なものではない。その大半は、歌の世界から完全に離れた「ブランク」の期間だった。子どもの誕生を機に、彼女は札幌からも遠く離れた北海道の田舎町へと身を寄せ、一人の母親としてひたむきに子育てに専念してきた。それゆえに歌い手としての自信を当時のようには持てずにいた。

「昔の歌を歌って私は声が出るの? 現役時代もライブを頻繁にやっていたわけではないので、ステージに立つこと自体できるのか、私の歌を喜んでもらえるのか、不安でした」

フリーランスの彼女にはもちろん、ボイストレーナーもついておらず、事務所のスタジオもない。

地元のカラオケ店には自分の曲がなく、車で片道40分かけて札幌市内のカラオケ店まで通うしか練習する術はなかった。そんな不完全な環境で葛藤を抱えながら覚悟を固めた矢先、運営陣の「蒸発」という残酷な現実に直面したのだ。

息子の一言に我に返る

そんな窮地を救ったのは、彼女がこれまでの人生で培ってきた、かけがえのない「人の縁」だった。

事態を察知した25年来の友人・河村さんはすぐに行動を起こす。河村さんはこれまで、多くのアーティストのライブやイベントに携わった過去を持ついわば業界人。

河村さんは現役時代の戦友である菊池さんに連絡。「shelaのためなら行く」と二つ返事で菊池さんは、現役で大型ライブハウスの現場を仕切る即戦力の後輩・高木さんを呼ぶ。

プロフェッショナルたちが、ノーギャラ同然の過酷な条件にもかかわらず、急遽名古屋へ駆けつけた。河村さんはその時の決意をこう振り返る。

「感謝されたいからじゃないですよ。プロとしての意地、そして何よりshelaのライブを成功させてファンを喜ばせたいという想いがあった。だから『私たちはいつも通り働くから、自信を持って歌ってみんなを泣かせてきなさい』とハッパをかけました(笑)」

さらに現場を支えたのは、shelaをデビュー当初から応援しているファンの一人。「ずっとshelaさんの歌に支えられてきた。今度は僕が力仕事でも何でも手伝います」と名乗りを上げたそうだ。

実は、彼は今回の主催者を紹介したという経緯があり、このトラブルに対して強い責任感と罪悪感を抱えていた。必死に手伝う彼に、河村さんが「もういいから、中に入って楽しんできなさい!」と背中を押すと、彼は堪えきれずに大粒の涙を流しながら客席へと向かっていったという。

本番当日は、そういった周囲の温かい優しさに救われた彼女だったが、そこに至るまでの道程は、孤独な葛藤の連続だった。

本番前夜、shelaの不安は最高潮に達し、連日の睡眠不足が身体を蝕んでいた。極限の寝不足から思うように声が出ず、ホテル部屋で「やっぱり中止にしたほうがいいのかもしれない……」と、一度は心が折れてしまう。

「がっかりさせたくない」という完璧主義が恐怖となって膨らみ、精神は限界を迎えていた。その張り詰めた緊張感を破り、母の心をライブへと引き戻したのは、隣で静かに付き添っていた14歳の息子だ。

「僕が手伝うよ」

歌詞を忘れてしまった時のために歌い手側だけに表示するプロンプター(歌詞表示システム)を、その場で黙々と組み上げ始めた。そして、涙に暮れる母親の目をまっすぐに見つめてこう語りかけたそうだ。

「プロンプターもあって、音源もあって、河村さんたちもいて、お母さんの歌を聴きに来てくれるファンの人もいる。これだけそろっているのに、何ができないの?」

言い訳の一切を封じるような、14歳の息子の放ったド正論。

「本当にその通りだと、胸をつかれて、ハッとしました。やれない理由ばっかり探していたんだと思います。そういう自分の弱さに気づいて、こんなことで負けてちゃダメだ、“やる以外はない”と前を向くことができたのは、息子の一言のおかげです。

母親の私が息子にいろんなことを教えていかなきゃいけないのに、学ぶことばかりですね」

「これからもライブを続けてほしい」と願う息子

本番当日、息子はプロンプターの操作だけでなく、大人顔負けの機転で現場を走り回った。

「物販でチェキ券を巡り現場が迷った時があって。でも、その時もすぐに楽屋のshelaのもとへ走って行って相談し、『ママが2枚売っていいって!』と結論を持って帰ってきたんです。私たちが迷っていることを感じ取ってすぐに行動するその姿に『本当に中学生?』と思うほど。

普段から二人三脚で頑張ってきたんだね。そういう親子の関係性を垣間見たような時間でした。shelaには息子くんがいてくれて、心強いねってみんなで話していました」

息子にとって、何百人ものファンに囲まれて歌う母親の姿は、生まれて初めて目にする衝撃的な光景だったそうだ。

北海道の自宅で家事に追われ、時にはケンカもする「ごく普通の母親」が、ステージに立ってファンからの声援を浴びた瞬間、歌手としてのスイッチがカチリと切り替わる。

「ステージに立ったお母さんは全然違っていた。本当にすごくて、かっこいいと思った」

照れくさそうに取材に応える息子は誇らしげに続ける。

「これからもライブを続けてほしい。自分にできることは協力するし、これからも何でも全部やってあげたいと思った。僕にできることはなんでも」

多くの障害を乗り越え、スタッフとファンの愛情に包まれて無事終えた名古屋公演。shelaは今、深い感謝の想いを抱えながら、再び前を向いて歩み始めている。

「不都合なことが起きるとさっと去ってしまう人が多い世の中で、こうして寄り添い続けてくれた友人や息子に、私は歌でしか返すことができない。

私に起きたアクシデントをみんなが乗り越えさせてくれた。私はまた一つ、違う自分へと成長することができたと思っています。こうやって支えてくれる人がいるって心からありがたいことだと改めて思いました」

友の手を借り、息子に背中を押され、彼女はまたマイクを握った。大きなトラブルに見舞われ、開催すら危ぶまれた記念ライブ。しかし、shelaにとってこの名古屋公演は、奇跡といえる瞬間だった。かつて自身が代表曲『Dear my friends』に託した「いつでも私は君の味方だから」という約束が、今度は「いつでもお母さんの味方でいたい」と願う最愛の息子や友人たちからの愛となって還ってきたのだから。

取材・文/佐々木一城
(写真/本人提供)