檀家でもないのに墓を建て、葬式に161万円、墓じまいも高額。「無縁仏でいい」という選択が注目される理由

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0葬式で161.3万円は妥当か

葬式は、突然やってくる。近しい人の不幸なら気も動転し、業者に言われるままに、葬儀をととのえ、金を支払うかもしれない。だが、一般葬で161.3万円、家族葬で105.7万円(株式会社鎌倉新書「第6回お葬式に関する全国調査(2024年)」の調査より)--。果たしてこの金額は妥当なものなのか。

実際、葬式を出した人たちは「金がかかるうえに、様々な面倒があった」と嫌気がさしているという。

なぜ私たちは、葬式をやるのか。そもそも、葬式は誰のために行うものなのか。

『無縁仏でいい、という選択 墓も墓じまいも遺骨も要らない』(島田裕巳著/幻冬舎新書)が2025年11月の発売以来、重版を繰り返し、多くの人に読まれている背景には、こうした「当たり前」への疑問がある。

著者の島田裕巳氏は、かつて『葬式は、要らない』で葬式不要論を唱え、仏教界などから強い批判を受けた。それでも、その後、葬式は急速に簡略化していった。

実際、株式会社鎌倉新書の2024年3月に実施した「第6回お葬式に関する全国調査(2024年)」の調査結果によれば、コロナ禍を経て家族葬が増え、葬儀費用は2015年の184万円から2024年は118.5万円へと減っている。

しかし、葬式を簡略化した先にも、なお残る問題がある。それが「墓」だ。

墓を建てれば、管理し続けなければならない。墓を継げば、維持するにも墓じまいするにも、費用と手間がかかる。それでも私たちは、なぜ墓を必要だと思うのか。

檀家の意識のない者にとっての、「檀家」とは何か?

墓のことを考える際に決定的に重要な意味を持つのが、「檀家」になっているかどうかである。ただ、檀家とは何なのか、それが理解されていない面がある。

檀家については、ネット上で「まいてら新聞」という形で葬式関係の情報を提供している一般社団法人「お寺の未来」が、2016年12月に全国の20~79歳の男女1万名を対象に行った調査がある。

それによれば、檀家という意識があるのは、全体の29パーセントという結果が出ている。反対に、檀家ではないと考えているのは54パーセントで、過半数を超えている。なお、「わからない」が17パーセントである。

檀家としての意識を持っている人間は、3割を下回っていることになる。

ところがである。

同じ調査で、法事・葬儀を依頼する寺があるかどうかを尋ねると、「ある」が51パーセントで、「ない」が49パーセントだった。

これは、半数以上が、仏教式の葬式を出す際に決まった寺がある、つまりは「檀那寺」があることを意味する。つまり、自分の家は檀家になっているということである。

にもかかわらず、檀家であるという意識を持っている人は30パーセントを下回っているのだ。

実際には檀家なのに、檀家だとは考えていない。これは、なかなか興味深い調査結果である。

こうしたことは、地方と都会とでは大きく違う。

地方であれば、檀那寺になる寺は地域社会の生活にしっかりと根差しており、住職と檀家との関係は密である。檀家は住職に相談事を持ちこんだりする。住職が地域の知恵者、いわば「長老」の役割を果たしているからだ。

都会では、下町ででもなければ、そうした関係は成立しない。檀那寺から離れて生活している檀家も多い。寺を訪れるのは、法要や墓参りのときだけである。

これでは、檀家としての意識を持ちようがない。少なくとも、檀家であることのメリットはほとんどないのだ。

辞書を引いてみると、檀家とは、「特定の寺院と永続的に葬祭の関係を結び、布施を行ってその寺院の護持にあたる家」(『世界大百科辞典』平凡社)とある。

「永続的に葬祭の関係を結ぶ」ということの具体的な現れが、法事・葬儀を依頼する寺があるということである

にもかかわらず、檀家としての意識が乏しいのは、「布施を行ってその寺院の護持にあたる」ということを考えていないからかもしれない。

檀那寺があっても、自分がその寺のスポンサーになっているとは考えていないのだ。

寺に墓があることが檀家の条件

これは、寺院の経済状態にもよるが、寺院の本堂などを修繕するというとき、檀家に寄付が求められることがある。地域の結束が堅い場合、寄付が強制されることも少なくない。そうした経験をしていれば、檀家としての意識は強くなる。だが、そうでなければ、そうした意識が乏しくなるに違いない。

ではなぜ家によって墓の種類が異なり、墓自体もあったりなかったりする、私たちは檀家であったり、なかったりするのだろうか。

別の辞書を引いてみると、その点がはっきりする。

『日本国語大辞典』(小学館)において、檀家は、「一定の寺に墓地を持ち、布施などによってその寺を援助する家」と定義されている

寺に墓があることが、檀家の条件になっているのである。

世の中には、墓がある家と墓がない家がある。自分の家のことを考えてみればいいだろう。

墓があるという場合、それには種類がある。

一つは、地方自治体が営んでいる霊園にある墓である。東京だと、青山霊園や多磨霊園がよく知られている。

注目されるのは八柱霊園である。そこは、千葉県松戸市にあるのに、都立の霊園なのである。昭和10(1935)年、東京では人口が増加し、霊園にする土地が確保できなくなった。そのため、まだ開発が進んでいなかった松戸市(当時は千葉県東葛飾郡八柱村)に霊園が開かれたのである。

墓を持てるのは原則として東京都民だが、特例として松戸市民にも利用枠が割り当てられている。

地方自治体が霊園を設けようとしても、土地を確保することは難しい。しかも、八柱霊園の例が示しているように、それはかなり前からのことなのだ。したがって、自治体の霊園は日本全体のわずか3パーセントにとどまっている。

残りの97パーセントは民間の霊園になる。

営利目的で設立はできない

墓地にかんする法律が、「墓地、埋葬等に関する法律」である。昭和23(1948)年と、戦後間もなく制定された法律で、「墓埋法」と略称される。

墓のことを考えるには、この法律のことは知っておいた方がいい。

その墓埋法の第10条では、「墓地、納骨堂又は火葬場を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない」と規定されている。

これだと、誰でも申請さえすれば、墓地や納骨堂を設けられるように思えるかもしれない。

ただ、これまでの慣行から、墓地を設置できるのは、地方自治体、宗教法人、公益財団法人または公益社団法人に限られている。

重要なのは、墓地は公共性が高く、また永続性が求められるために、株式会社などが営利目的で設立することは認められていないことである。

ただ、宗教法人や財団法人でも、債務過多で倒産することがある。札幌市では、納骨堂を運営する宗教法人の寺が倒産し、利用者が多大な迷惑を被った出来事もあった。

ただし、墓埋法が制定される前から墓地になっていたところがある。集落や地域の住民組織が共同で管理してきたものである。こうしたものは「既存墓地」や「みなし墓地」と呼ばれ、許可を受けているわけではない。

問題は、それ以外の民間の墓地に二つの種類があることである。

寺院墓地と民間霊園

一つは、「寺院墓地」である。寺院墓地は、寺院の境内に設けられた墓地で、そうなると、そこに墓を建てた家は檀家になり、寺院は檀那寺になる。

もう一つは、純粋な民間霊園である。そうした霊園では、「宗教宗派を問わず」という形で募集されている。ただし、こうした霊園は、主体が特定の寺院であることがほとんどである。なにしろ墓地を設置できるのは宗教法人などに限られるからである。

そうした霊園の広告チラシを見てみると、下の方に小さく寺院の名前が記されているはずである。

そうした霊園では、石材業者や葬祭業者が開発の主体になっていて、寺院は名義だけを貸している形になっている。

そうである以上、檀家になることを求められたりはしないのだ。

地方自治体の霊園であれば、そこに寺院はかかわっていないので、当然、檀家になる必要はない。

要するに、墓地というものは、檀家になることを求められる寺院墓地と、それを求められない地方自治体の霊園や民間霊園に分かれることになる。

この区別は知っておかなければならない。

前の章で、私の母が亡くなったとき、葬式は直葬で行ったと述べた。

ところが、我が家には墓があり、それは、曹洞宗の寺の墓地にある。つまり、我が家はその菩提寺の檀家になっているわけである。

そのため、納骨するとき、寺の側から、納骨を行う前にはどうしても葬式をあげる必要があると言われた。

そこで、その寺で、父の十七回忌とともに、母の葬式をあげてもらった。

檀家であるということは、そういう関係が成立しているということである。もし我が家が葬式を拒否したりしたら、寺とはもめることになるだろう。

我が家の墓は、私が幼い頃に同居していた祖父が亡くなった後、祖母が買い求めたものである。

祖母は、散歩の途中でその墓地が売りに出されているのを知り、家の近くということで買ったらしい。

その墓には、私の祖父母と父母、それに若い頃に亡くなった父の兄の遺骨が納められている。

父の兄の遺骨は、私が小学生のとき、父に連れられて祖父の故郷、栃木県の佐野市の墓地に出かけて、今では盛んに行われている「墓じまい」をして移したものである。

「戒名は要らない」

祖母には、人をどう葬るかで独特の考え方があった。

戦争中、佐野に疎開していたとき、檀那寺の住職から金銭を要求され、それを不当なものと感じていたらしい。

そこで、寺というものに対して不信感を持ち、連れ合いであった祖父を葬るとき、寺の側に戒名は要らないと要望した。

普通なら、寺の側から断られるはずだが、檀那寺の住職もよくできた人で、「まだ自分は十分に修行ができていないので、戒名を授ける資格がない」と言って、祖母の要望を受け入れてくれた。

寺に対して不信感があるなら、寺院墓地など求めなければよかったのにとも思うが、祖母も明治の時代に生まれた地方出身者で、古い考え方も同時に持っていたのだろう。

そこで寺院墓地を選択した。

祖母の出身は、愛媛県の今治の近くである。

それ以来、島田家の死者は、戒名を授からず、俗名のまま葬られている。

もし祖母がもっと後の時代の人間であれば、寺院墓地を求めることはなかったであろう。

(中略)

墓を建て、守る無意味

しかし、都会になれば、檀家組織が地域と重なることはほとんどない。その点で、檀家というあり方は、そもそも都市にはなじまない。

都市化が進み、都市に住む人間が増えてくれば、檀家になることに意味は見出せなくなっていく。日本の社会は、その方向に進んできたわけで、檀家離れ、仏教離れが進むのも必然的なことである。

では、墓自体についてはどうなのだろうか。墓を建て、それを守り続けることに意味はあるのだろうか。

あらかじめ、結論として言ってしまえば、それに意味はない。

ではなぜ意味がないのか。これから説明していこう。

先日、私は『ニューヨーク・タイムズ』の記者から取材を受けた。その記者は日本の墓じまいについて記事にしようとしていた。

そこで様々な質問を受けたのだが、その記者から一枚の写真を見せられた。

屋外の写真だが、そこには多くの墓石が並んでいた。それは、墓じまいなどによって撤去された墓石である。御影石の立派なものも多く含まれていた。

まさに「墓石の墓場」である。

御影石が墓石に用いられるようになるのは戦後になってからである。御影石は硬く、加工が容易ではなかった。

戦後に加工技術が向上したことで、御影石を墓石として切り出し、そこに字を刻むことが可能になった。海外から御影石が輸入されるようになったことも、そこに影響した。

したがって、「墓石の墓場」に並んだ御影石は、戦後に建てられた墓に使われたものと考えられる。墓の寿命は意外と短いのだ。

写真を見せてもらった「墓石の墓場」は、ある寺院にあるもので、墓じまいされた墓石を積極的に引き取ってきたことで生まれたものである。

墓石はただの石である。砕かれるものもあるし、護岸の基礎に再利用されることもある。

ところが、墓に故人の霊が宿っているかのような迷信もあり、破壊されない場合もあるのだ。

皆、墓を持て余している

それとは別のケースがある。それは、不法投棄によって「墓石の墓場」が生まれたもので、淡路島にある。墓じまいした業者が、墓石の処理には費用がかかるので、不法投棄をするようになったのだ。

ただ、こちらは、その近くでサイクリングロードの建設が予定されていて、やってくる観光客向けに大規模な駐車場が必要になるということで、墓石を撤去する計画も進んでいる(FNNプライムオンライン、2025年3月25日)。

こんな「墓石の墓場」が生まれてしまうのも、皆、墓を持て余しているからである。

先ほどの『ニューヨーク・タイムズ』の記者は、多磨霊園を訪れたとも話していた。

そこには、草ぼうぼうの「無縁墓」が数多くあったという。

無縁墓とは、それを管理し、守っている人間が誰もいなくなり、放置された墓のことである。

実は、私の母方の家の墓は多磨霊園にあるが、まだ墓守(墓を継ぐ人、管理・維持する人)として母の弟がいるので、そうした状況にはなっていないはずだ。

納骨でもなければ、多磨霊園を訪れることもない。そのため、私はまだそうした状況に接したことはないが、訪れてみれば、母方の家の墓の周囲には多くの無縁墓があるのかもしれない。

せっせと墓を建てても、やがてそれは無縁墓になり、「墓石の墓場」に捨てられてしまう。もうこれだけでも、墓を建てることに意味がないことがわかるだろう。

にもかかわらず、なぜ私たちは墓を建ててきたのだろうか。

(中略)

火葬と、戦後制定された墓埋法

ここまで見てきたことをまとめるならば、次のようになる。

土葬が多数を占めていた時代において、一般の人間の骨を神聖視する風潮は存在しなかった。

火葬した場合、昔は骨蔵器というものに納められ、五輪塔の下などに安置されることもあったが、それは一部にとどまった。土葬したところとは別に詣り墓を設けても、そこには石塔が立っているだけで、骨などなかった。

供養の中心はそれぞれの家の仏壇で、そこにも遺骨など納められていなかった。

関西を中心に本山納骨が広まっていたことで、火葬された一部の骨を、本山の墓地に納める習慣が生まれた。

納めた後、遺族は本山を供養に訪れたかもしれないが、合祀された遺骨がどこに納められているかわからないわけで、直接、遺骨を拝むわけではなかった

ところが、火葬が普及していくにつれ、特に東日本では、本山納骨が行われなかったため、そのまますべての骨を遺族が引き取ることとなった。遺骨は大きな骨壺に納められている。となると、それは墓に納めるしかない。

墓石の下にカロートを設ける墓が必要になり、多くの人が墓を建て、そこに墓参りするようになった。

広くそうしたことが行われるようになるのは、戦後のことになる。

戦後は、近代的な火葬場が建設されるようになり、そこでは、しっかりとした形に骨を焼くことができるようになった。火葬場も、おそらくはそれをめざしたのであろう。

そして、骨上げの儀式が生まれ、遺骨を神聖視する傾向が強化された。火葬も、かつての野焼きとはまったく違うものに変化したのだ。

遺骨に故人の霊が宿っているという信仰があって、遺骨を墓に葬るようになったわけではない。

事実は逆である。

火葬が普及し、遺骨が残るようになったことで、それを墓に葬り、墓参りの際に拝むことで、遺骨は神聖なものであるという信仰が広がったのである。

私たちは、昔の人間の方が信仰が深い、あるいは迷信まで信じていると考えがちである。

しかし、墓の歴史を振り返ってみると、むしろ逆である。遺骨を神聖視する信仰は、火葬が普及することで広まったのだ。

それも、火葬された遺骨があれば、墓に葬らなければならないからである。

火葬が墓を建てることを強制

先に紹介した墓埋法では、第4条で、「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない」と定められている。

ここで言う埋葬とは土葬のことをさしている。

墓埋法が制定された終戦直後の段階では、火葬の方が多かったものの、それは50パーセント台前半だった。土葬は村の共同墓地で行われ、墓など建てる必要はなかった。

問題は火葬である。

火葬した場合、どうしても遺骨が残る。となると、墓埋法の規定に従うならば、それは墓地以外に埋葬できない。

となると、どうしても墓が必要になる。その点で、墓埋法に明記されているわけではないのだが、墓を建てることを事実上強制していることになる。

墓埋法を制定した側には、そうした意図はなかったはずだ。

第4条の規定があるのは、あくまで公衆衛生の観点からで、墓地以外の場所に勝手に遺体や遺骨を埋葬するのは好ましくないと判断されたからである。

しかし、火葬が普及し、火葬率が99.97パーセントにまでなったことで、墓への需要が高まった。そこに、やがて墓ブームが生まれる要因があったのだが、それは意外と遅く訪れた。

そして、ブームは去り、今度は墓じまいがブームになってきた。

その辺りのことについては、機会を改めて述べていくことにしよう。

【前編】家族葬でも105万!「葬式は遺族の悲しみを癒やす」は本当か。「葬式も遺骨も要らない」という選択