性愛の既存を問い、見つめ、捉えなおす。作家・村田沙耶香の視線
世界的大ヒットロングセラー『コンビニ人間』の作者、村田沙耶香さん。
2003年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞しデビューされたのち、2016年「コンビニ人間」で芥川賞、2025年『世界99』で野間文芸賞を受賞。『消滅世界』が米SF・ファンタジーの文学賞ローカス賞(翻訳部門)にノミネートされるなど、国内外から大きな注目を集めています。
そんな村田さんの貴重な未収録短編「水槽」(群像2005年5月号掲載)が、このたび『清潔な結婚』(講談社文庫)に収録されて登場。
書かれた時期も文体も異なる全4編を収めた本書の刊行を記念し、現代日本文学やトラウマ研究などを専門とする文学研究者の岩川ありささんを聞き手に迎えた村田沙耶香さんのロングインタビュー「小説を裏切らず、変わらずに書き続ける」(「群像」2023年6月号掲載)を再編集してお届けします。
終わらない依存
岩川 続いて、村田さんがデビュー後に発表した二作目の小説が「コイビト」です。ホシオというハムスターのぬいぐるみを大切な存在にしている真紀さんが語り手ですが、彼女がホシオと夜八時から「団欒」をする、というアイデアはどこから出てきたんでしょうか。
村田 これもデビューする前に文学学校の合評のために書いていたものです。当時、ハムスターのぬいぐるみを大事にしていました。ふわふわしたものや肉眼では見えない存在、物体、または漫画の中のキャラクターに対する恋愛感情が幼少期からあったので、ぬいぐるみと恋愛をしている子というのは、自分が恋愛について考えると自然に浮かんでくるイメージなのだと思います。
岩川 もう一人、ムータというオオカミのぬいぐるみとつながりたい、子どもが欲しいと望む小学生の美佐子さんという人が登場します。この美佐子さんのほうがある意味、切実に思い詰めているところがあるように思います。この美佐子さんと真紀さんの違いはどのようなところでしょうか。
村田 ぬいぐるみと恋愛をしている二人を出会わせようと思ったときに、のめり込み方の程度を変えようと考えました。美佐子のほうが自分自身に近い感覚のような気がします。いつかは終わるだろうと何となく思っている真紀に比べて、美佐子は本当に一生一緒にいようと思っている。自分が幼少期からずっと美佐子側の状態なので、そうした人間を主人公ではなく他者サイドに置いたほうが興味深かったため、のめり込んでいない真紀のほうを主人公にしました。
岩川 「二つカメラがある」という言葉を村田さんは時々使われますが、そういう描き方ということでしょうか。
村田 確かに「コイビト」は二つのカメラが違う深さにあるようなイメージで人間をつくっていたような気がします。
岩川 そして美佐子さんに大変なことが起こったその後、彼女はホシオを手放そうとした真紀さんに、自分が好きなものに対する感情や想いが形を変えて何度も繰り返し生まれてくるよと言います。これは呪いですか。それとも生きる衝動なのでしょうか。
村田 最後にあんな呪いのようなことを言うとは思っていなかったです。主人公が距離をとって終わるとか、そういう感じなのかなと想像していました。何かに依存して、一旦終わったと思っても、また違う依存が始まるみたいな感覚が無意識の中に強くあるからなのかもしれません。美佐子という子を理解できている気持ちで書いていたので、彼女がいきなりそういうことを言って戸惑いました。
少女たちのヒエラルキー
岩川 二〇〇八年に刊行された『マウス』について伺います。語り手の律さんは真面目でおとなしい女子グループに属していて、その教室には、どこにも所属しておらず、「異物」として扱われる塚本瀬里奈さんがいる。教室って非常に強いヒエラルキーが生じる怖いところでもあると思いますが、思春期の苦しさや少女たちが抱えているものを、ここではどう描こうとなさったのでしょうか。
村田 私自身が、子供のころから思春期の女の子に対して痛みと同時に興味が強くあり、物語でも描きたいと思っていました。『マウス』の後『しろいろの街の、その骨の体温の』でももう一度徹底的に描こうとしましたが、初めて女子のヒエラルキーを考えて書いたのは『マウス』でした。
自分自身も加害に加担したり、急に被害者になったり、誰かが被害者なのを見過ごしていたり、そういう学校内での加害性にまつわる記憶が、特に中学校では強烈にありました。そしてその罪を背負っているという感覚がいまだにあります。思春期の女の子たちの、密室の中の残酷さみたいなものを書かずにいられなかったときでした。自分の中のテーマとして母と娘の関係や加害性と並ぶほどに、思春期の女の子というものを背負っている感じがしていたんです。
岩川 律さんが「くるみ割り人形」を瀬里奈さんに紹介してから、物語をなぞるようにして、瀬里奈さんがどんどん変わっていきますよね。そしてラストの場面では、密室の状態から抜け出す非常口へと通じるような感じを受けました。これから読む方もおられるので、それぞれに受け取っていただきたいのですが、抜け出す何かみたいなものを考えたりしたのですか。
村田 私はいつもラストは決めないで書くのですが、『マウス』と『しろいろの街の、その骨の体温の』は、主人公たちに対して少し祈りのような感覚があった気がします。陰惨な方向へ向かわなかったのは、そういう自分のある意味での邪心のようなものが混ざり込んでしまったからかもしれません。
小説を自分にとって都合のいい形にコントロールすることは、私の精神世界の中では最悪な小説への裏切りなので、あまりしたくないのですが、執筆中に中学時代のトラウマが蘇って、書いている間もうなされるような感じだったので、作者ではなく人間としての自分の祈りが混ざってしまったのではないか、と思うときがあります。
素朴な発見を置き去りにしないこと
岩川 二○○九年に発表なさった「星が吸う水」は、少女の世界ではなく、大人の女友達、梓さんや志保さんが登場して、視点となっている人物の鶴子さんと三人で仲良くしているという小説です。中でも鶴子さんが自身に対して「勃起」という言葉を使うことが印象的でした。
「勃起」という言葉は男性のペニスについて言われることが非常に多いと思うんです。でも、勃起する器官は別にペニスに限りませんよね。その身体感覚をそれぞれの人が取り戻すような感覚を覚えました。「勃起」という言葉を使ったことに何か意図があるのでしょうか。
村田 この作品を書いたきっかけですが、思春期の女の子をいっぱい書いてきて、当時の担当さんに「村田さんの小説の主人公はいつも友達がいないですね。友達がいる人を書いてみてはいかがですか」と言われて、本当だ! と思って、初めて友達のいる人を書いてみたのが「星が吸う水」でした。
自分の肉体感覚に、二種類の性愛があるような気持ちが昔からしていて。一つは何の情報もなく自分の肉体があるときに発見する性愛、もう一つはむしろ情報に発情するような性愛でした。私にとっては両方大切で興味深いのですが、前者についてもっと言葉にしてみたい気持ちがありました。その一つが勃起感だったんです。それをちゃんと意識して、大切にしている人を主人公にしようと思って描いたのだと思います。
岩川 「勃起」という言葉と、それから「抜く」という言葉も非常に印象的でした。既成の概念を言葉でもって、小説でもって、自ら問うていくようなところを感じました。
村田 「抜く」という感覚も幼少期からすごくありました。これは、話し過ぎるとよくないと心配されることもあるんですけれど、私は幼稚園のころから自慰をする子どもだったんです。身体からなにかが飛び出していって、すっきりして眠くなるような、魔法のような感覚でした。
「抜く」という言葉を知ったとき、その自分の肉体感覚とすごく近いなと思いました。勃起も同じで、両方ともペニス必須の感覚ではないように感じていました。この世界に自慰という概念が存在することを知らなかったので、幼少期は、これはとても興味深いことだから研究して世界中に広めていきたいなあ、と考えていました。
岩川 それでセミナーをやっていたんですね。
村田 本当に世界で自分しか知らないと思っていたので、専門の研究家になろうとなんとなく自然に想像していました。女の子を集めてセミナーをしたのですが、うまく伝わりませんでした。
小学三年生くらいのころ、家族が持っていたアダルト的な内容の雑誌で自分と似ている行為の描写があって、とてもショックでした。みんなが知っているということより、それがいやらしいこととして扱われていて悲しかったです。でも、知識を得ても肉体がごく素朴に発見した経験がなくなるわけではなくて、それをきちんと大切にしている人を描きたかったような気がします。
自分の快楽、自分の肉体を取り戻す
岩川 鶴子さんが「あたしの絶頂はあたしだけの物だ」と考えるところがあり、ここも印象に残っています。
村田 私が幼少期のころは、女性がいやらしいことをされて恥じらうみたいな、そういうものがテレビでも雑誌でもすごくあって、世界の性愛はそういう仕組みなのかなとごく自然に考えていました。さっきの話とちょっと矛盾しているのですが、情報のほうで目覚めた性愛の世界では、自分の性愛を自分のものだと感じたことがありませんでした。清潔で処女性のある肉便器になるのが自分の性愛の未来だと思っていて、それ以外の可能性を考えたことはありませんでした。
母が専業主婦だったのもあり、生きていくためには子産みと家事と性欲処理の道具として誰かにもらわれていく、なるべくいい人に自分が生きていくための誘拐をしてもらうのが自分の未来だと思い込んでいました。自分の快楽や肉体が自分のものであるということを考えたことが全くなかったんですね。
でも、それこそ山田詠美さんの本を読んで、選ばれるのではなくて、自主的に恋愛をする、対等に好きになって選んで恋愛するという形での性愛がこの世にあるのを初めて見て、衝撃を受けました。自分の肉体や快楽が自分のものだという感覚は、山田詠美さんの本から受け取って以来、今も大事にしていて、主人公にもそうあってほしいと願っています。
岩川 ところで、この三人は、地球を性的に見るとか、地球とセックスをするとか、それはいけないとか、それぞれ全然違う性の感覚を持っていますよね。そこもすごいなと思いました。
村田 懐かしいですね(笑)。肉体や快楽について興味があり、うまく言えないのですが自分の中で相反する分裂した性愛の感覚が存在していて。突き詰めてきちんとそれぞれの人物について決めないと、情報に対する発情のほうの感覚に人物たちが吸収されてしまうような気がして心配でした。だから、徹底的に見つめて、主人公の言葉で言語にしたい気持ちが強くあったころだと思います。
(2023年3月27日 講談社にて)
→対談の続編「村田沙耶香が追求する、家族がはらむ翳りとは」は9月5日に公開予定です。
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