「天皇」という称号は歴史の中をどう生きてきたのか…2文字の言葉に宿るさまざまな「側面」

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なぜ日本人は、あのとき国家に動員されたのか?

キリスト教由来の人権概念を「天皇の下の平等」と読み替えたことがもたらした、破局的結末とその後ーー。

8月24日発売『天皇と人権』(講談社現代新書)著者の気鋭の神学者・森島豊さんが、日本固有の「病」をあぶり出します。

(※本記事は、森島豊『天皇と人権』の一部を抜粋・編集しています)

天皇称号の由来と意味

「天皇」と呼ぶようになった理由を探るために、この称号が使用された過去の時代に遡ってみます。

「天皇」という称号の起源は、中国古代の神話に登場する世界を創造した伝説的な3人の神の中の一人(天皇)とされています。「天皇」という用語そのものは、中国に由来しているのです。

ここで大事なのは、「天皇」が3人の神の中の一人であるという事実です。

日本の古代史研究家の津田左右吉は、『日本上代史の研究』の中で、道教の最高神である北極星を意味する「天皇大帝」が起源であると考え、中国における「天皇」の成立と経緯を整理しています。

津田によれば、天皇は、一方で道教の最高神である北極星の名前である「天帝」と結びつき、他方で空想的人物である太古の「帝王」の名と結びつき、信仰の対象に君主の概念が伴ったとされています。

膨大な研究が示す普遍性と謎

彼の提唱以来、日本の「天皇」の起源に関する研究は進展し、道教との関連性に加えて、唐の皇帝である高宗が天皇と称したことの影響や、日本独自の表記等、複数の説が存在します。今日に至るまで膨大な研究が重ねられていますが、まだこの起源に定説はありません。

しかし、いずれの説においても、「天皇」という称号には「宗教的信仰の対象」と「君主という観念」が含まれているという共通点があります。

この称号を日本で最初に使用した時期についても複数の説があります。津田は法隆寺金堂に安置されている薬師如来像の光背の裏面に刻まれた銘文の中の「天皇」が初出であるとし、推古天皇の時代(593-628年)に遡ると考えました。その後、金石文〔彫刻された文字〕や木簡の研究が進展し、薬師如来像の光背が後の時代の作品である可能性がでてきました。

このことから天武天皇の時代(7世紀後半)以降とする説が有力視されていますが、未だに定まっていません。

発音や記録にみる時代背景

なお、日本では「テンノウ」と発音しますが、これは中国の呉の地方の発音(呉音)に由来します。7-8世紀に伝わる漢音(長安地方〔現在の西安〕で使用された音)では「テンコウ」と発音されます。呉音は漢音が伝わる前の5-6世紀頃に日本に伝来したため、歴史学者の山口修は「漢音が取り入れられる前〔5-6世紀頃〕に『天皇』という発音が定着してしまったのでしょう」と述べています。

この視点から考えると、「天皇」の名称は呉音が伝わった時代(5-6世紀頃)に使用され、「皇后」や「皇太子」の「皇」の文字は「コウ」と発音されるので、これらの名称は漢音が取り入れられた後の時代(7世紀以降)に定着したことになります。この称号を用いる前の時代には「大王」と呼ばれていました。したがって、「大王」から「天皇」へと変化したのです(『天皇』61-62頁)。

日本で「天皇」の称号が用いられるようになった理由の一つとして考えられるのは、統治者としての権威を示すことです。

これは、天武天皇が始めた事業と言われる日本の歴史書『日本書紀』(720年成立)から分析できます。『日本書紀』には、推古天皇の時代(607年)に聖徳太子が中国の隋の皇帝に送った国書の中で「天皇」表記を使った記録が見られます。おそらく、「天皇」という表記は、中国に従属する他の諸国の王の一人ではなく、中国の皇帝と同等の存在であることを示すために用いられたものと考えられています。

日本と中国の共通認識

ただし、この具体的な記述は中国の歴史書『隋書』には見当たらないことから、日本国内に統治者としての天皇の権力と権威を示す意図があったとされています。その権威の正当性は神的な血縁に基づいていたため、これが日本の独自性を形成していたと考えられます。

この点について津田は、「天皇」の称号が中国の宗教的要素と政治的要素を併せ持ち、「天つ神の御子孫として天から降られた」という皇室の由来に適合していたと考えています。近年では中国由来を否定し、日本独自の理解とする説も存在しますが、どちらの説でも「天皇」に神的な意味があるとする点は共通しています。

中国の律令を継承した日本の律令である大宝(701年)と養老(757年)の儀制令の中に、尊称に関する規定があります。これによれば、「天皇」は詔書(天皇が発する公文書)においてのみ用いられる称号と規定されています。

ただし、存命中に「天皇」号で呼称されることはありませんでした。亡くなった後に「〇〇天皇」と死後の称号(諡号)がおくられたのです。

しかし、天皇号はある時期から途絶えます。歴代天皇の死後には、村上天皇(967年没)以降、「〇〇院」といった「院号」が使用されるようになりました。

なぜ復活したのか?

天皇号が再び使用されたのは、光格天皇(1840年没)の死後で、実に約九〇〇年ぶりの復活となりました。江戸中・後期の儒学者、中井竹山(1730-1804年)によれば、院号は将軍や一般庶民も使用していたため、それでは日本で最も尊い存在であることが明示できないとします。

要するに、「天皇」という称号を用いる意義は、将軍よりも上位の存在であることが明示され、最高の権力者であると同時に神話に由来する神聖な存在であることを示すことができたことです。

以上のことから、「天皇」という称号は、世界の創造に関わる神話的な神であると同時に最高の権力者であることを示すものとされます。簡単に言えば、通常の国王ではなく、神とのつながりを継承している神聖な神の子孫ということです。

この神は『古事記』や『日本書紀』に登場する日本の神で、天照大神と呼ばれています。これを祀るのが伊勢神宮であり、現在でも、日本では天皇も政治家も重要な報告をするために伊勢神宮に参拝する慣習が続いています。

令和期の天皇徳仁は、成年式や留学・結婚、そして即位した際に参拝しています。歴代の首相は、日本国憲法制定以降、政教分離の観点から途絶えていました。しかし、1965年1月4日、佐藤栄作が首相就任の報告のために参拝したことを契機として、1967年の年始の「仕事始め」から首相の伊勢神宮参拝が定着しています。

こうした事実は、天皇という存在が単なる政治制度の一部ではなく、神話的・宗教的意味を現在にまで持ちながら、日本社会の深層に根ざしていることを示しています。

本記事の引用元『天皇と人権』では、日本社会の深層に存在し、戦前・戦後に連なって繰り返して現れる「思考の癖」=「日本固有の病」を、神学者の視点で鋭く読み解いていきます。

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