【特集】戦争遺跡の把握・保全に向け現地調査が進む 来年度にかけて20件ほど調査予定 課題も浮き彫りに 秋田
県内の戦争遺跡の把握・保全に向けて県教育庁が設置した委員会による現地調査が進められています。
来年度にかけて合わせて20件ほど行われる調査。
取材を通して課題も見えてきました。
男鹿市船越にある龍門寺の境内。
かつて、天皇・皇后両陛下の肖像写真=御真影をまつる奉安殿だった建物があります。
県教育庁が設置した調査委員会が今年6月末に現地を確認しました。
戦後に役割を変え、今はこの地から出征して戦病死したおよそ120人の遺影が収められています。
「前は奉安殿だったんだけど、奉安殿は廃止するようにというような確かお達しがあって、その名前は残らないんだよね」
藤澤昌委員長
「あれ見れば。あれですね。皇室のマークついていますよね」
奉安殿だったこの建物は、かつて旧船越小学校の校庭にありました。
子どもたちは登下校で前を通るたびに敬礼していたといいます。
奉安殿を龍門寺に移設した伊藤聰融住職の孫、禎さんが当時の話を聞いていました。
寺を管理 杉山禎さん
「小学校のところから引いて持ってきたっていう」
天野委員
「引っ張ってね」
杉山さん
「引っ張って」
調査委員会は遺跡の大きさや形といった基本的な情報を集めるほか、文献を調べ、当時を知る人に話を聞いて保全の状況なども調べます。
杉山禎さん
「ここに住むというか、いる人しか守っていけないので。かといって、ね、県のほうとか市のほうでっていうのは、ちょっと整っていないみたいなので。はい。そういう不安は多々あります」
長い時を経た今、遺跡を維持していくことは簡単ではありません。
来年度にかけて調べる遺跡は約20件です。
中には、特別な許可がないと入れない場所もあります。
調査委員会が7月上旬に訪れたのは、土崎空襲の跡地です。
終戦前夜の1945年8月14日から行われた土崎空襲では、約130機のアメリカの爆撃機B29が1万2,000発余りの爆弾を投下。
250人以上が犠牲になったとされています。
この場所にはもともと空襲の爪痕が残された建物、被爆倉庫がありましたが、老朽化に伴って9年前に解体されました。
柱や梁の一部だけを移築し、展示されています。
この土崎空襲関連の調査を中心になって担ったのは秋田大学大学院の教授、外池智副委員長です。
県内の戦争遺跡研究の第一人者で、毎年学生を連れて被爆倉庫を訪れていました。
被爆倉庫なき今、周辺で、今も当時の様子を伺い知ることができるものは、数えるほどしかありません。
こちらは同じ敷地内の石碑に残されている痕跡です。
外池教授
「私も一番最初聞いた時は機銃掃射って言ってたのは何度か聞いたことあるんだけど。実際見ると、爆風の爆片のなんかぶつかった削れてる跡みたいな感じですよね」
続いて訪れたのは土崎地区の住宅街にぽつんと残されている慰霊塔です。
藤澤委員長
「これは古いんですっけか」
外池副委員長
「そうですねこれ自体は昭和40年」
藤澤委員長
「そうですよね。んでこれは新しいんですよね」
慰霊塔には航空機を地上から狙う大砲、高射砲の台座が使われています。
藤澤委員長
「これ(高射砲の台座)自体をもう囲ってしまったんですよね」
外池副委員長
「そうですそうですそうです。だからあの少し高くなっていますもんね」
藤澤委員長
「なるほどですね」「これもなんかもともとここに設置してあったんじゃなくてこっちに移し替えたていう話らしいですよね」
姿かたちを変えてしまった遺跡。
近くに住む人はその存在や意味を知る人が減ってきていると話します。
佐藤昇さん(90)
「10年くらい前は九州とか、向こうからこれを見に来た人、結構いてあったもんだす。戦没者。ご遺族」
佐藤昇さん
「広げてもらいたいんです。こういう調査は。やっぱり、戦前、戦後というか、戦争を分かっている人っていうのは、あまり、今は、完全に少なくなってますので、やっぱり、若い人にも、やっぱり、こういうところは知ってもらいたいです。はい」
広い範囲に被害が及んだ土崎空襲。
被爆倉庫から約1キロ離れた秋田市飯島地区の雲祥院にもその痕跡が残されています。
外池副委員長
「首が本当はこれも首が飛んじゃってなかったんでしょうけど」
県内では比較的知名度が高い土崎空襲も、大学の講義を受ける学生の反応が変わりつつあるといいます。
外池副委員長
「土崎空襲。花岡事件知ってますか?と。先週の時は花岡事件だったんですけど。花岡事件ですら当然知りませんわな。ついに土崎空襲すら知ってる子2人だったんですよ。すごいびっくりしましたね」
墓石にも空襲の痕跡がある雲祥院。
しかし、当時について詳しい住職は病に倒れて、今は伝承活動ができない状況です。
外池副委員長
「文化財としては、それは物は物としたっていいのかもしれないんですけど。教材っていうことになるとやっぱりそのエピソードをちゃんと語ってくれる人が一緒にいないとやっぱりねなかなか難しいですよね」
国による明確な定義が決められていない戦争遺跡。
調査委員会も現時点では明確な線引きをしていません。
この日調べたのはにかほ市の金浦空襲の痕跡です。
1945年8月10日に小学校や近くの民家が被害に遭い9人がけがをした金浦空襲。
旧校舎から今の金浦小学校に移設された門柱に残されている複数の穴は、その時にできた痕跡だとされています。
ただ、門柱の穴の由来について記録した文献は見つかっていません。
「改築前の金浦小学校風景ということで、前のほうのあれだと思うんだよね」
齋藤一樹委員
「元あったところも、これちょっと調べてですね、えー、まあいろいろこう、これから調べていかなきゃいけないなというところですよね」
当時を知る人は限られていて残されている史料も決して多くはありません。
藤澤委員長
「グラマンですな」「そうですねグラマンって書いてありますね。」
職員
「11機もなんですね。やっぱり、一方向だけとかうんぬんとかそういう話じゃないかもしれないですね」
藤澤委員長
「悲惨な戦争があったということは分かったんですけれども、残っているものがやはりそんなに多くないということで、これから悲惨さを少ない残っているものの中で利用して、どのようにして伝えていくかというのがこれから検討してまいりたいと思っています」
当時を知る人が減り続ける中、この先さらに重要さを増していく“物言わぬ証人”の戦争遺跡。
調査によってその価値に光を当てて、保全、そして戦争の記憶の継承につなげていけるかが問われます。
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これまでの調査結果も踏まえた委員会の会合は今月下旬に開かれることになっています。
初回の会合は冒頭を除いて非公開で行われていて、今後どこまで内容が明らかにされるかも焦点の一つです。
※9月3日午後6時15分のABS news every.でお伝えします
