イメージ画像

写真拡大

2025年6月、当時18歳の少女Aは警察に被害届を提出した。それ以降、家を出て両親と妹B、弟の家族4人とは連絡を絶った。

小学2年の頃から、同じ部屋で寝ていた父親に尻や太ももを触られるようになった。やがて、陰部を触られ、なめられるようにもなった。当初は、どういう意味があるのか理解できなかった。小学高学年時に性に関する授業を受けて、ようやく分かるようになった。

小学6年頃になると、陰茎を挿入されるようになった。布団に無言で入ってきて、週に1回程度、性交が繰り返された。蹴ったり大声を出したりと拒絶の姿勢を示しても、別の部屋で寝ようとしても、無理やり性交されることがほとんどだった。痛みや出血もあり、嫌悪感でいっぱいだった。

それでも、父親が家計を支えており、自分が逃れても妹に被害が及ぶのではないかとも思い、抵抗しづらかった。

就寝中に男が侵入…妹をかばって自ら犠牲になった姉、18歳の悪夢とその後の苦しみ【裁判傍聴記】

母親にも相談できず…

高校に入り、父親を避けるように夜中までのアルバイトを入れ、朝方まで繁華街で遊んだ。飲酒や喫煙もするようになった。それでも父親からの性虐待を受け続けていたが、23年10月に父親と大げんかになり、それを機に自身への性虐待はなくなった。

同じ頃、Aは初めて友人に性被害に遭っていることを打ち明けた。友人は母親に相談することを勧めたが、Aは母親には相談しなかった。

その後も父親からは、性交をもちかけるようなメッセージがLINEで送られてくることがあった。「親子関係で縛られることは、つまらない」といった趣旨のものもあった。

一方、2歳ほど下の妹Bも中学に入った21年頃から、母親が夜勤で家にいないときなどに父親から胸を触られるなどの被害に遭い始めた。性交までさせられたのは、高校入学前後の24年春頃から。Bは高校で寮に入って自宅から離れたが、休みで帰省すると相手をさせられた。Bも家族がバラバラになるという不安から、母親や姉に相談はできなかった。

Aが25年6月に被害届を出したことを受けて、Bは同年9月に警察から事情を聴かれた。その時に初めて、性被害の事実を打ち明けた。

妻とも週2、3回、性行為をしながら…

実娘2人に対する不同意性交等罪に問われた父親の初公判は今年5月、横浜地裁で開かれた。家庭内の性虐待の事案では、被害者の個人情報保護の観点から、被害者とともに被告自身の氏名なども法廷では非公表となる。今回、被害者のことは「Aさん」「Bさん」として審理が進められた。

難聴のため補聴器を着用して臨んだ父親は罪状認否で起訴内容を大筋で認め、Bに対して性交した時期について自身の記憶と違うと言及しながらも、「私は、争うことを望みません」と頭を少しかきながら述べた。

父親は専門学校を卒業後、会社員やトラック運転手として従事。一家5人で、14年から2階建ての自宅で生活していた。就寝時は2階で父親とA、1階で妻とB、長男が一緒だった。その頃から、Aの体を触る性虐待が始まったとみられる。

「生活が苦しいストレス、仕事に対するストレスを、性的欲求にぶつけてしまった」。父親は娘に対する性虐待の動機について、こう説明した。

弁護人「お金や仕事のストレスが、なぜ娘への性行為に」

父親「性欲が強かったんだと思います。それしか考えられないんで」

弁護人「嫌がっている様子はなかったのですか」

父親「ありました。嫌だ、という発言もあったし、拒否する様子もありました」

弁護人「なぜ、止められなかった」

父親「性欲が強かった。欲望を抑えられなかった」

父親は妻と性的に没交渉になっていたわけではなく、週2、3回程度の関係は持続していた。AとBに対して性虐待をしていた時期は少し重なってはいるが、Bに対する性交が本格化したのはAに相手にされなくなった24年以降のことだ。検察官に「Aと性交をしなくなって、Bと始めたのか」と問われた父親は「はい」と認めた。

検察官から「被害者2人に言いたいことはないか」と促された父親は、次のように語りながら声を詰まらせた。

「今回、AさんとBさんに対してつらい思い、悲しい思いをさせてしまい、本当に私自身、後悔と反省しています。私が刑期を全うして償っても、許してくれるのか……そんなことばかり考えています」

今も父親に追いかけられて刺殺される夢…

Aは代理人弁護士を通じて行った書面による意見陳述の中で、逮捕後の父親から手紙を受け取っていたことを明かした。その中には「もう一度、腹から笑い合いたい。キャッチボールがしたい」といったくだりもあった。

Aは「そんなこと、できるはずがない」と切り捨てた。「二度と会いたくないです」と言い切った。

Bも同様に代理人弁護士を通じて意見陳述を行い、「加害者に言いたいことは何もありません。一生関わることはないので、刑務所から出てきても探さないでください」。Bの陳述の分量は、Aの5分の1にも満たないとても短いものだった。

代理人弁護士によると、Bは過去のトラウマを心のうちにしまい込む「回避症状」が重度で、性被害の事実を言葉で説明することがほとんどできないでいる。

8月、横浜地裁は父親に懲役14年(求刑・同15年)の判決を言い渡した。裁判長は「結果は重大で、『性欲が強かった』との動機は身勝手というほかなく、経緯に酌むべき事情は見当たらない。同種の事案の中でも重い部類に属する」と指弾した。

Aは今もフラッシュバックに襲われたり、父親に追いかけられて刺殺される夢を見たりすることがある。自傷行為に苦しんでもいる。それでも、「区切りをつけるため」に家族から離れて一人で生きていく決意だという。

文/篠田哉 内外タイムス