【仙波 希望】「個性的」な再開発がまちを「没個性」にしてしまうのはなぜか...まちづくり界の「バイブル」がもたらす功罪

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木陰には何台かのキッチンカーが並ぶ。そこで買ったであろうフードを芝生で、もしくは木製のベンチで和やかに食べる子連れの家族がいる。その隣ではマルシェが開かれていて、農作物や工芸品、ZINE、そして焼き菓子とコーヒー、はたまたそれなりにお値段のするクラフトビールがテーブルの上にきれいに置かれている。洒落た細長い茶色のビンを片手に、程よく赤ら顔の友人同士が、ステージでおこなわれるという弾き語りの演奏を待つ。演者の登場とともにどこからか集まってきたオーディエンスは、スマートフォンを顔の前へ一斉に掲げ出す。その瞬間を切り取った縦型の動画が、直ちにないしは後ほどの編集の時間を待って、Instagramのストーリーへと流しこまれていく--。

まちづくりを取り巻く「既視感(デジャヴ)」

炎上、怒気、告発、対立が目立つSNSのなかで、ここに映しとられてきた風景は、驚くほど穏やかで、清潔で、誰にでも開かれているように見える。悪い光景などとは程遠い、微笑ましい、おそらく休日のシーンである。たとえば北海道は札幌でも、もしくは広島や金沢でも、東京の郊外においてでさえ、こうした風景に、私は何度も遭遇してきた。いわばデジャヴにも似た既視感がある。

騒音やゴミといった問題を除き、おおよそ「にぎわい」の創出の成功例ともいえるこうしたイベントにわざわざ出向き、文句をつける者などそう多くないだろう。けれども立ち止まってこの既視感について考える。気になるのはクラフトビールやZINEそれ自体ではない。それぞれ異なるはずの場所が、同じ「良さ」の語彙と風景によって成立している事態である。というのも、似ているのは町そのものではなく、町を良くしようとする方法なのではないだろうか。

町を良くしようとする方法。たとえ普段の通勤や買い物のときに気づかずとも、東京の中心地、大手町や丸の内、有楽町などでは無数の「社会実験」が進行している。そこではたとえば「人中心の都市空間」のありかたや、「まちの魅力とクオリティオブライフの向上」が謳われ、そして頻繁に「子供から大人まで楽しめるワークショップ」なるものが催される。

昔ながらの下町へと目をうつせば、そちらでは空き店舗を利活用し、人びとが集い、語りあうための「場を開く」プロジェクトへ参加することができる。かつてほどの活気を失った商店街の空き家に滞在しながら、アーティストが作品を制作するアーティスト・イン・レジデンスも盛んだ。さらには「シャッター商店街」そのものをアートとして再演出し、それを呼び水とするイベントも繰り返し開かれてきた。

とりわけこの「シャッター商店街」は、高校・大学、そして自治体による地域課題解決プロジェクトの「課題」の常套句にもなっている。地域貢献の求められる昨今の大学では、様々な専門をもつ教員が「シャッター商店街」の「にぎわい」を取り戻すために、意欲ある学生と現地に赴き、付箋でホワイトボードを埋めながらワークショップを繰り返し、「解決施策」を現地の人びとへプレゼンテーションする。こうした活動への感度の高い学生のなかには、近年言及されることの多い高校での探究学習において活躍した経験をもつ者も多くいる。

どこかで見たことのあるような、しかしそれぞれは別個のものとして展開されてきたイベントや活動、ないしは出来事。これらには不思議と、共通の語彙が存在している。開かれた場所、参加型、にぎわい、回遊、クリエイティビティ、交流、若者、そして地域課題だ。おそらくこの国の--ないしは世界中の--いかなる「地域」--それは「都市」であれ「田舎」であれ--も、何らかの「課題」を抱えている。その深刻さが誰の目から見ても明らかな場所もあるだろう。また、その外側からの指摘や「提案」によって初めて気づくものもあるだろう。けれどもそれらはあくまでも穏当で明るい見た目をまとい、「地域の課題を解決する」ものとして語られる。

まちづくり界の「バイブル」が生む都市の歪み

なぜ、異なる場所で、似たような「課題解決」の風景が産出されつづけているのだろうか。

こうした課題解決の実践は、おおよそ「まちづくり」の文脈からなされている。そしてこの「まちづくり」の源流のひとつに、ジェイン・ジェイコブズの思想--とりわけ『アメリカ大都市の死と生』--がある。日本語訳にして二段組み、488ページのこの大著は、先に見た穏当な「まちづくり」の実践とは程遠い、「近代都市計画」への「攻撃」を冒頭高らかに宣言する。近代都市計画による上からの都市整理、用途の分類、かつ大規模に再開発しようとする姿勢をジェイコブズは徹底的に批判する。ひるがえって彼女の擁護するのが、「歩道のバレエ」、いわば歩道/街路、小さな商店、古い建物、混在する用途、通りの人びとの目、偶然の出会いが生み出す都市の「多様性」である。

コミュニティやまちづくりを標榜した書籍において、きわめて多くのものがジェイコブズの思想から影響を受けているのは間違いない。ウォーカビリティ、タクティカルアーバニズム、コンパクトシティ、プレイスメイキング、エリアマネジメントといった昨今のキーワード--図らずもしばしばカタカナで形容されるさまざまな姿勢、指標、アイデア--は、何らかのかたちでいわばジェイコブジアン的なるものを引き継いでいる。

しかし都市研究(Urban Studies)の領域では、1961年に画期的だったジェイコブズの理論が、現代においてはむしろ「転倒」した結果をもたらしているとも指摘されてきた。たとえばジェイコブズが擁護した「多様性」を掲げる街が、「昭和レトロ」と呼ばれる以前からそこにあった公園を、清潔で秩序ある芝生の広場へと改装し、ホテルやカフェ、ドッグランを呼び込んで、何も買わずに長居することをどこか居心地の悪いものへと変えていき、結果としてそこに留まれる人が選別されてしまうこと。そして、そうした街に足を踏み入れるとき、私たちは近所のスーパーへ行くときの格好ではなく、スポーティな、あるいはカジュアルで洒落た装いを選んで「衆目に耐えうる」自分を演出し、同時に自らもまた「街路の目」の一部となって、他者を見定める視線を投げ返してしまっているということ。

つまりかつては都市の生み出す多様性を擁護し、人びとをエンパワーした、まちづくり/コミュニティのバイブル=正典が、むしろ都市の歪みを拡大させる装置として機能している、ともいえるのだ。重要なのはジェイコブズが正しかったか、間違っていたかではない。「良いもの」を守るための言葉が、いつの間にか誰かを選別する言葉へと反転するその過程である。だとすれば、「地域を良くする」という言葉も同じように反転していないだろうか。

たくみに躱される「まちづくり」への批判

『オルタナティヴ地域社会学入門』という書籍では、「地域の存続・発展」を当然の善とし、人口減少や高齢化を課題として解決へ向かう思考を「地域活性化フレーム」と定義づけ、その功罪を複数の視点から論じている。地域を活性化することのみに思考を収斂させ、それが「誰にとって」「何のため」に必要なのかを問わないまま単一のゴールとして設定し、他方で課題解決のありようを画一的に「パッケージ化」していく状況に、同書は批判的なまなざしを投げかける。このような視点はかねてより「地域アート」に対してなされてきたものにも通底する。藤田直哉は2016年の『地域アート 美学/制度/日本』において、国内のさまざまな地域アートプロジェクトが、屈託なく「地域に役立つ芸術」へと駆り立てられている状況、そして人と協働すること、関係性を構築することこそが「美」とされ、そこに若手作家や学生が動員されていくさまを痛烈に批判している。

こうした問題を、「まちづくり」という言葉の働きそのものから捉え直したのが、人文地理学者の原口剛である。2017年の論文、「労働者の像から都市の記述へ」で原口は、「まちづくり」が「真に問われるべき物事をあいまいにし、無難な枠組みに収めてしまうような」「精神安定剤」と化していると喝破する。野宿生活者が公園内に築くテント村のコミュニティが、この枠組みには収まらないことが示すように、この「まちづくり」の言葉は決して中立的なものではない。にもかかわらず、この「まちづくり」にむけてあまりに多くの研究者が異様なまでの楽天主義を表明し、手放しでそれを礼賛している状況に異議を唱えている。

ジェイコブズ―地域課題解決―まちづくり、というゆるやかな線上に配置される語彙に対して多くの批判がなされてきた事実は、このわずかな紙幅においてさえ明らかだ。にもかかわらずなぜこの状況はおおよそ10年前と変わっていないように見えるのだろう。

近森高明はこうした批判を正当なものとしながらも、これらの「〈批判−応答〉が成立する回路とは別の次元で、着々と再開発は進行し、都市空間は刻々とその形態を変えてゆく」事態を冷静に指摘する(「モールのエレメント分析に向けて」)。かつての「都市計画 vs まちづくり」という対抗図式は崩壊し、都市計画そのものが、「まちづくり」の要素を「包摂」している。重要なのは、社会実験やワークショップが、大規模な都市計画や再開発に対抗する外部の実践ではなく、それらを進め、正当化するための内部の技術になったことである。都市政策/制作の方法は、大きな計画を一気に実現するのではなく、小さな社会実験、ワークショップ、暫定利用、エリアマネジメント(そしてPDCA!)を回し続けるものと化した(近森「『都市』から『まち』へ」)。

近森が述べるとおりこのような施策は、「ウェルビーイング」や「ウェルネス」、それこそ「多様性」のような、「人間学的な価値」を前面に押し出しつづける。ゆえに批判がしづらくなる。結果として根本的な批判は「それはそれとして/貴重なご意見として」と、ホワイトボードの枠外へと追いやられ、ワークショップのアジェンダからは退場することとなる。

住民参加型「まちづくり」の祖の一人である田村明は、ある場所の価値が失われそうになってはじめて理念となり、その理念が現実を変える「反対運動」を起こすと考えていた。いまや「まちづくり」は、都市空間を形づくる統治の一形式として標準装備されている。まちづくりの、地域課題解決の、そして社会実験やマルシェの既視感は、地域の個性が似ているがゆえのものではない。地域を良くする方法が、似た形式で制度化されているからに他ならないのだ。

「良いまち」の裏側で進む空間統治

繰り返しになるが、マルシェやワークショップ、もしくは地域のアートプロジェクトが本質的に悪いものだと糾弾したいわけではない。楽しいのは良い。ディスカッションももちろん必要だ。地方でアートの実践があって何が悪いんだ。そうではない。問題は、そうした施策が「良いまち」を思い描くための、ほとんど唯一の想像力になってしまうところにある。だからといって、「良いまちづくり」の方法や語彙を増やすことが、本論の主意でもない。「良いまち」を語る前に、すでにそこにある町を見なければならないのだ。

ソーントン・ワイルダーによる戯曲『わが町(原題:Our Town)』は第三幕で、死後のエミリーが「わが町」たるグローバーズ・コーナーズへ戻る場面を通し、生きているあいだに人間は、日々の生活を本当の意味で見ることができているのかと問いかける。私はこの問いを、自らにも引き寄せて問い直す。「私たちは『良いまちづくり』を語りながら、そこで毎日を生きる人びとの時間を本当に見ることができているのだろうか」と。「まち」や地域は若者が成長する舞台であるだけではない。アートが役に立つことを証明する実験場であるだけでもない。そこはいやおうなく、誰かが毎日を生き、老い、ときに黙ったまま死んでいく場所である。

--7年ほど前、はじめて教壇に立った際、吉見俊哉による古典的なディズニーランドの批判的分析を拙くも講じたことがある。授業後に寄せられたコメントには「なぜ楽しい夢の場所であるディズニーランドを批判しなければいけないのか」と書かれていた。当時はまだあった年間パスポートや無料のファストパスは過去のものとなり、東京ディズニーリゾートの客単価はその頃にくらべ約1.5倍になったという。「夢の国」や「美」、もしくは「ウェルビーイング」でラッピングされた空間を、それでも批判的に論ずる意味は、「良さ」の陰で進む選別と排除、そして空間統治を見逃さないことにある--そう、遅ればせながら返答したい。

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