「プーチン大統領」が抱える“深刻なジレンマ” 「やめられない戦争」で支持率低下、与党は選挙惨敗危機 同盟国からも「戦争凍結」を進言され
プーチン大統領が13日、1999年12月に大統領代行に就任して以来、初めて北方領土の択捉島を訪れた。前日にはサハリン沖で軍事演習を行う太平洋艦隊の旗艦、ミサイル巡洋艦ヴァリャーグに乗艦。上官らとの協議で、アジア太平洋地域は「紛争の可能性が高まっている」との危機感を示し、この地域でのロシア軍の軍事プレゼンス全体を強化するよう指示した。
「プーチンの戦争」が始まってから5回目の夏。なぜ、このタイミングでウクライナとは遠く離れた「搦め手」の極東の果てで、日本から猛反発を受けることが確実視される行動を取る必要があったのか? その背景を探るには、やめられない戦争のはざまで、巨大なジレンマの渦にどっぷりとはまっている状況を見る必要がある。

【前後編の前編】
【佐々木正明/ジャーナリスト、大和大学社会学部教授】
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バツの悪そうな表情を浮かべ…
7月25日、シベリア地域の中心都市オムスク。プーチン大統領は同年代でもあり、緊密な関係にある同盟国のリーダーから、歯に衣着せぬ直言を受けた。
隣国カザフスタンとの首脳会談の席上でのことだった。トカエフ大統領は冒頭、報道陣やカメラが入っている場面で「私のささやかな意見を述べることにした」と語った。
「(戦闘で)若者が命を落としていることは残念だ。兵士たちはロシアとウクライナという兄弟民族の遺伝子を受け継いでいるのだから。この事態を全て止めなくてはならない」
この時のプーチン氏は、うつむき加減で目を伏せながら、バツの悪そうな表情も見せた。いつも国際舞台では意気揚々とした表情で、歯切れのよいスピーチをして会場を沸かせる。しかし、この時は、ロシア人男性の平均寿命(68.4歳)を超えた、元気のない73歳の高齢男性のようにも見えた。
オフレコにすることはできず…
ロシア国内で、プーチン氏に戦争の「凍結」を助言できるものはいないだろう。政権の中枢で高官らがプーチン氏の前でそんな発言をすれば、その人物は失脚しかねない。一方で、市井の市民が声高に「戦争中止」を訴えれば、投獄される恐れもある。
この時は、ロシア、カザフスタン国内だけでなく多くのメディアでその様子が中継されたため、発言内容をオフレコにすることはできなかった。
ロシアにもウクライナにも関係が深く、ソ連時代に生まれ、ロシア語を母語の一つとするトカエフ氏はこうした状況を踏まえた上で、昵懇の関係にあるプーチン氏に進言したとみられる。戦争は物価高を加速し、カザフスタンの未来にも暗雲が広がっている。それも発言の背景にあると考えられる。
「よくぞ言ってくれた」
トカエフ氏のスピーチには、さらに重要な箇所があった。主語を「私たち」として、プーチン氏をこう諭した。
「私たちは常にウクライナの人々、彼らの文化、そして言語を尊重してきた。そして、この衝突の本質が何なのか、多くの人はまったく理解できないと考えている。(理解できないのは)私たちも含まれる」
カザフスタン大統領のスピーチ全文は、ロシア大統領府の公式サイトにも掲載された。ロシア国民もロシア語で簡単に目を通すことができる。トカエフ氏の「私たち」という言葉を受け取り、「よくぞ言ってくれた」とロシア社会の一部が共感する可能性はあるだろう。
事実、戦争継続の影響がロシア社会に色濃く残るようになった中で、高い数字を保っていたプーチン氏の支持率にも低下傾向がみられ、ロシア社会では過去に社会不安が広がった時期に近い兆候も出ている。
今や、ウクライナの攻撃対象は前線だけでなくロシア国内も含まれるようになった。この4年間、甚大な損失を受けながら爪を研いできたウクライナ軍のドローン部隊が、ロシア国内の製油所や物流センターを急襲。ロシアの防空網がそれに対応しきれない実態を露呈している。
国民の57%が「不安」
露世論調査機関FOMは社会の雰囲気を探るため、「家族らの気分は平穏か、不安か」の2択の質問を継続して行っている。
直近で発表された7月末の調査で「不安」は57%に達し、「平穏」を20ポイント上回った。この状況はかつての警戒水域に近づいている。
この継続調査では、普段は「平穏」が優勢だが、ウクライナ侵攻開始直後は「不安」(55%前後)が「平穏」(39%前後)を逆転。男性を戦場に送る部分動員令が発令された2022年9月には、「不安」が69%に達し、「平穏」を40ポイントも超過している。
さらに同時に行われているFOMの調査で、「政権への不満」を問う調査も7月末は「不満」が39%に達し、年初の25%からじわじわと上昇している。
モクモクと上がる黒煙
この結果を見た政治学者のグラシチェンコフ氏は「不安は記録的な高水準で、この夏の人々の支配的な気分だ」とSNSに投稿した。
最近のニュースのラインナップはネガティブな出来事で占められており、「人々はもはや遠く離れた場所での軍事行動だけでなく、燃料不足や倉庫破壊、空爆、犠牲者といった現実、つまり日常生活の脆弱性を目の当たりにしている」と指摘した。
6月下旬、ゼレンスキー大統領は戦争終結を目的とした「40日間の影響作戦」を承認した。ドローン軍の攻撃を受け、炎上した物流センターから夏の空にモクモクと上がる黒煙は、ロシア人の不安を掻き立てている。
大統領支持率も低下
「40日間作戦」を開始する前の6月中旬、ゼレンスキー氏はキーウの執務室で、ウクライナ情報機関が入手したという独自の調査資料の結果を受け取った。この調査は露政権の指示で密かに行われたもので、プーチン氏の机にも届けられているという。ゼレンスキー氏はSNSで数字を公表した。
この内部資料によれば、2026年初頭に70%以上を保っていたプーチン氏の支持率は低下傾向にあり、9月に予定されている下院選挙時には55%に急落するという。直近の高市内閣の支持率が53%(NHK)だから、厳しい言論統制が敷かれ、反対意見が抑制されているロシアで、このプーチン支持率がどれほど異様な数字であるかがすぐにわかるだろう。
資料によれば、プーチン氏の人気低下が与党「統一ロシア」の惨敗を招き、野党の共産党や新人民党が議席を伸ばすと予測。大統領不人気は戦争継続の影響を甚大に受けている地方が顕著なのだという。ゼレンスキー氏は、将来的に地方からクレムリンの統治に対する反乱が起こる可能性があるという見方を示した。
地球の4分の3にあたる長距離移動をこなす
プーチン氏はこの夏、集中的に地方訪問をこなしている。下院選を前にしたテコ入れという狙いもあるだろう。7月下旬には先のカザフスタン大統領と会談したシベリアのオムスク州とイルクーツク州、8月上旬にクラスノヤルスク州を訪問した。今回、サハリン州に来る前にもノボシビルスク州に立ち寄っていた。
モスクワからシベリア主要都市へのシャトル訪問は、往復距離にしてざっと計算すると約2万8400キロ。プーチン氏はこの1か月で地球一周の4分の3にあたる長距離移動をこなしていた。
実は、北方領土への訪問もすでに織り込み済みだった。対露制裁の度合いを高めるウクライナ支援国の日本を見限り、2024年1月の時点では「必ず訪れる」と将来的な訪問を約束。2024年6月にも「ロシアが主権を持つ領土だ」と念を押していた。
次の焦点は…
ウクライナ支援国の日本へのけん制に加え、ロシア国内の愛国的な世論を刺激する上で最も理にかなった訪問時期は、第二次世界大戦の対日戦勝記念日である9月3日という見方が成り立つ。
さらに、モスクワから遠く離れた北方四島を訪問するには、極東の経由地を経なくてはならない。気候を考え、これまでの主要閣僚の四島訪問も夏が多い。しかし、千島列島には霧が立ち込めることが多く、航空便が欠航することも少なくない。視界不良が原因で事故に遭うリスクも高まる。
プーチン氏が択捉島を訪れた日は、例外的に天候に恵まれた。13年ぶりのサハリン州訪問であり、今回は安全性を考え、太平洋艦隊の旗艦ヴァリャーグに乗艦しての渡航だったが、もし四島が悪天候だったら、島への上陸が見送られた可能性は否定できない。
泥沼状態にあるウクライナとの戦争で勝利を最優先する判断が、政治、経済、社会の様々な方面にしわ寄せを起こし、国家に大きな歪みをもたらしている。
次の焦点は、9月20日に投開票を終えるロシア下院選の結果だ。内憂を抱えるプーチン氏は、戦況の好転で得点を稼ごうとする恐れがある。多くの民間人が犠牲になるウクライナへの猛攻撃が懸念される。しかし、その判断でさえ、プーチン政権の求心力を保てるかどうかは未知数だ。
「私の確信しているところでは、今、起きていることはロシアとウクライナ両国にとっての敵の思うつぼであり、彼らをも喜ばせている」
プーチン氏に直言したカザフスタンのトカエフ大統領の言葉が重く響く。ロシア社会の戦争への疲労感、厭戦気運に効く特効薬は尽きかけているように思える。
【後編】では、戦争の長期化によって、ロシア国民の心がいかに蝕まれているかについて記している。ロシア社会で急増している3つの「心の病」とは――。
佐々木正明(ささき・まさあき)
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授。岩手県一関市生まれ。大阪外国語大学ロシア語学科(現・大阪大学)卒業後、産経新聞社入社。モスクワ支局長、リオデジャネイロ支局長を経て、運動部次長、社会部次長などを歴任。2021年より現職。8年前はウクライナのマイダン革命やロシアによるウクライナ併合を現地で取材した。専門分野はロシア・旧ソ連諸国情勢、国際情勢に加え、オリンピック・パラリンピック、捕鯨問題などにも詳しい。単著に『シー・シェパードの正体』、『環境テロリストの正体』、『「動物の権利」運動の正体』など。
デイリー新潮編集部
