自身の親と性行為をしているという山本裕人さん(仮名)が半生を語った(右・本人提供。左・ACよりイメージ)

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 近親相姦という言葉に耳馴染みはあるだろうか。血縁関係にある者同士で行われる性的な行為のことだ。親から子どもへの性的虐待などは別だが、日本には成人同士の合意のもとに行われる近親相姦に対する罰則は存在しない。そのため当事者のカミングアウトでもない限り、社会ではほとんど可視化されず、報道の対象になることも少ない。

【写真】「2人だけの秘密だからさ...」70代の母親を”口説く”LINEのやり取り

 山本裕人さん(仮名・29歳)は、筆者に"とあること"を打ち明けた。年に一度の里帰りのたびに、母親にこう告げるのだという。

「次、帰る時も絶対"やる"から」

 彼の言う「やる」とは、70代の実母との行為を指す。山本さんはこれを"儀式"と呼んでいる。本人曰く、それは過去のトラウマを消化し、自分が成長するために必要な過程なのだという。家族間の性交事例を描いた『近親性交 語られざる家族の闇』(小学館)の著者・阿部恭子氏は、第3回で「山本さんのケースはそれほど珍しい事例ではない」と語っている。

 母親とタブーを犯すに至った裏に、一体どんな人生があったのか──。【全3回の1回目】※一部、性的な内容が含まれます。

 まずは山本さんの生い立ちを紐解こう。山本さんは4人きょうだいの末っ子として、母親が41歳のときに生まれた。長男とは22歳差で、物心がつく頃には長男も長女もすでに家を出ていた。

「実質、ひとりっ子みたいなものでした。寂しくて孤独だった。それが僕の人生で最初に降りかかってきた試練なんです」(山本さん、以下同)

 父親は定職に就いていなかった。昼間から酒を飲み、テレビの前に寝転がっては山本さんに「肩を揉め」「膝を揉め」と強いた。暴力や"ちゃぶ台返し"は日常茶飯事で、ガラス瓶が飛んできたこともあったという。

「奴隷みたいな扱いでしたよ。『早く終わってくれ、なんで僕はここにいるんだ』って思っていた。アニメやドラマで子どもが泣きじゃくるシーンがあるでしょう。あれをリアルにやっていました。ガラス瓶を投げられた時は、命の危機も感じましたね。

 高校生のとき、きょうだいでなんとか説得して母は父と離婚しました。その3か月後、父は脳梗塞で亡くなった。でも僕、全然何も感じなかったんですよ。クソ親父だったから」

 一方の母親はそんな父に尽くし、家計を支えていた。スナックのママとして働いていたため夜は家におらず、山本さんは日夜、父親に怯え続けた。当時、山本さんは幼いながらにうつの症状を自覚するようにもなったそうだ。そしてこの頃、母との性交渉に至る"原体験"をしている。

母親と高校生まで添い寝

「幼稚園から小学校の1、2年生くらいまで、一緒に布団で寝ていて、腕枕してもらいながら寝ていました」

 はじめは単なる添い寝だったが、やがて孤独を埋めるように、山本さんは母の胸に触れながら眠るようになる。この習慣は、高校生になるまで続いた。

「やけに心が落ち着いたんです。普通じゃないってわかってましたよ。小学生の時点で、僕はおかしいなって自覚してた。でも止まらないんですよね、その欲求が。どうしようもできなかった」

 母の下着をかきわけ、下半身に指を入れた日もあった。その翌朝、母から「あんた何してんの」と咎められたが、山本さんがとぼけてごまかすと、それ以上の追及はされなかった。

"普通ではない行為" をなぜ母は止めなかったのか。山本さんはこう推測する。

「僕がかわいそうだからじゃないですか。末っ子で、あのような家庭環境に置いてしまった自分を責めているんだと思います。実際に当時、母は2、3か月に一度の頻度で『小さい頃ずっと夜一緒にいてあげられなくて、本当に寂しい思いをさせてごめんね』と僕に謝罪していた。

 そんな息子を喜ばせたり、落ち着く状況を作ってあげたりすることが、『母親の役目』だと思っていたんじゃないですかね」

 語り口はあっけらかんとしているが、当時の山本さんは心のどこかに後ろめたい気持ちがあった。母親に対し、自身の行為について「学校の先生とかには言わないでほしい」と頼むと、「もちろん」と応じたという。母親と山本さんはこの頃からすでに、"他人に言えない秘密"を共有する関係になっていた。

「世間には言えないことだって、お母さんもわかっていたんでしょうね」

 学校でも居場所を見つけられず、つねに成績は最下位でいじめられっ子だった。中学時代には、不良の交際相手だと知らずに女子生徒へ告白をし、3クラス集まる合同体育において、120人の生徒の前で告白したことをバラされたこともあったという。

 そんな山本さんが唯一、興味をもったのがパソコンだった。高校卒業後、情報系の専門学校へ進んだ山本さんは、女性に対する欲求に直面する。

「彼女が欲しくなったんです。どうしても女性と一緒にいたかった。青春を過ごしたかった。18歳の時点で4回ぐらい直接、告白したけど全部ダメでした」

 そんなとき、インターネットでナンパの教材を見つける。教材の価格は4万円。アルバイトで稼いだ金をすべてつぎ込んだ。

「勉強は苦手でしたが、その教材だけは集中してできたんです。3か月PDCAを回して、それを作った"師匠"という人とやり取りして」

 すると、面白いほどに結果が出た。初めての相手は10歳上の女性だった。

 ナンパは山本さんの人生において初めて、"成功体験"をもたらしてくれた。以来、彼は10年以上ストリートナンパを続けている。最近では他人の恋愛相談にも乗るようになったそうだ。

母親を"口説く"きっかけ

 専門学校卒業後は、当時の交際相手の実家が営む飲食店で、20歳にして店長を任された。しかし2年後、持病のうつが悪化。山本さんの精神状態は日を追うごとに悪くなっていった。

「22歳の時が一番ひどかった。休憩もできないし、集中力も続かない。お店の人にも罵詈雑言を浴びせられ、『お前はできないやつだ』って言われて。自尊心がまったくなくなりました」

 山本さんはその後、交際相手と別れて自営業を始めるも、仕事を抱え込みすぎて限界を迎え、あるとき交通事故を起こしてしまう。はたからすれば災難続きだが、このとき山本さんは「ようやく解放された」と感じた。

 約1年間の療養を経て、実家へ帰ることにした山本さんだったが、女性に対する渇望は止まなかった。風俗店にも通ったが、心が満たされることはなかった。

 そんなときふと、とある考えが浮かんだ。

「お母さん、口説いたらどうなるんやろう」

 高校生まで続いた、あの体験が蘇ったのだ。母親の胸に触れながら眠っていたとき、たしかに心は落ち着き、満たされていた。もう一度あの状態に戻れば、心の穴が埋まるのではないかと……。

「お母さんは究極の"尽くす系"なんです。あのクソ親父にも尽くして、尽くして、尽くしていた。だから僕の要求に関しても、基本的にはできることなら何でも飲むんですよ。それなら、行為もイケるんじゃないかと考えたわけです」

 そこから山本さんは、母への執拗な"説得"を始めたのだった。

(第2回へつづく)

<取材・文/安宿緑>

【プロフィール】
安宿緑/編集者、翻訳者、ライター。メンタルを軸に社会問題を分析するのが趣味。韓国心理学会正会員。