北中米ワールドカップでは、ラウンド32でブラジルに敗れた日本代表。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

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 サッカーは集団と集団がぶつかり合って勝敗を決めるスポーツで、ほぼ連続的に駆け引きを続けながら勝機を見出す。野球のように投手と打者が中心に繰り広げられるものではなく、一人が全体、全体が一人と常に等しくかかわっている。プレーイングタイムが長く、途切れることが少なく、その難しさから大番狂わせが起きやすい。

 そのチームとチームの戦闘は、戦場で軍と軍が対決するのに近く、軍事用語が多く用いられるのは特性が似ているからだろう。たとえばリトリートは単純に後退のように訳されるが、本来は撤退戦で、うまく相手をいなしながら陣を下げる軍事行動を指している。

 そもそも、戦略、戦術という言葉は、クラウゼヴィッツの「戦争論」などで軍事的に体系化されたものである。日本サッカー界でも基本用語だが、戦略と戦術を並列で使う人も多く、これは完全な誤用と言える。二つの言葉の本質を理解しないと、サッカーも理解できない。
 
 戦略は「将軍の仕事で、戦闘の使用の仕方」、戦術は「戦場における戦闘力の使用法」とされるが、サッカーに落とし込んで言えば、前者は監督が描く全体のデザイン、後者はチームでデザインを実践する術となるか。それでもわかりにくいようなら、前者がどんなサッカーをするか、後者がどんな作戦で勝つか、としよう。

 戦略を立て、戦術を決めるのが筋だが、この順序は極めて大事で、これを軽視するような組織は失敗し続ける。なぜなら、戦略と戦術を混同しているようでは、何が悪いかもわからない。組織が道筋を作れていないと、失敗から教訓を抽出することもできずに損耗し、弱体化する。どこにもたどり着けず、やがてほとんど確実に惨めな結末を迎えるのだ。
 
 リーダーはデザインを決めたら、それを戦いのなかにプレーを適応させ、作戦を実行させる。その繰り返しのなか、失敗から教訓を抽出し、改善、修正するべきだが、それのみに囚われてもならない。出した答えを絶対化せず、失敗のなかに大きな成功があるダイナミズムも捨てず、仮説検証を続け、思考を革新させ続ける。演繹的ではなく、帰納的な考え方だ。
 
 翻って、森保一監督が「W杯優勝」と大風呂敷を広げたのが目標設定だとして、その戦略はまったく不十分だった。優勝という道筋につながる戦略も、戦術も欠いていた。最後は必死に守って逃げ切るというのがせいぜい。たとえブラジルに運よく同点延長PKで勝っても、彼我の戦力を無視し、劣勢の戦いを運に任せた姿勢で、それは戦略的失敗を意味した。