“高倉健さんと共演”した甲子園のレジェンド「板東英二さん」…「生前葬」で明かしていた大物芸人の金言「色々あったけど、前を向いて歩こう」
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第79回は板東英二さんです。これまでにも色々なエピソードが報じられていますが、峯田さんだけが知っている、とっておきのエピソードを。
【写真を見る】高倉健さんと共演しただけでなく、イベントゲストにも呼ばれるほど親密な仲だった。ヤンキースのグラコンが良く似合う!
申告漏れ騒動の真相
板東英二さんが7月22日に亡くなった。享年86。
14年前の2012年、板東さんは突如降って湧いた所得隠しと申告漏れ騒動で、出演していた番組を降板する事態になった。この時は「脱税」と書いた新聞もあったと記憶しているが、真相はともかく、筆者は一方的なメディアスクラムではないかと疑った。「金に汚い板東だから」とか、「税金をセコくごまかした」といった決めつけの一方で、板東なら何を書いてもいいという、メデァア側のどこか見下した態度に違和感を覚えた。できれば本人の口から、ことの次第を聞くことはできないものかと思っていた。

当時、板東さんは吉本興業に所属していた。騒動後に吉本の広報担当者と話をしていたら、板東さんで連載はどうかという話になり、ハレーション覚悟でお願いすることにしたのだが、その内容が好評を得、連載後に書籍化の話が持ち上がった。
連載、書籍化では後輩にも協力してもらい、書籍はほぼ再取材になり、板東さん自ら原稿も書いた。
所得隠し問題の記者会見で語った“植毛”の話だが、高倉健とも共演するなど俳優、タレントとして必要経費だと考えていたこと、そして(会見などで触れていなかった話だが)、個人事務所で行っていた社員旅行の経費が高額すぎて税務調査で引っかかったこと……など、色々な話をしてくれた。
ただ、板東さんは確定申告のキャンペーンなどにも協力し、税務署に申告漏れを指摘されて修正申告を済ませていた。それなのになぜ、1年以上もたってからことの次第が明るみに出たのかを不思議がっていた。チクっ(密告し)た人物にも思いあたるフシがあるような印象だった。
そもそもの原因は「ドンブリ勘定」。著書『板東英二の生前葬 最期のありがとう』(双葉社)から。
〈僕は帳簿は見てないんですよ…経理のスタッフには…残金を教えてもらっていた、支払いができないと困ると思って。僕は昔も今も現金主義ですから。カードとか持つのは苦手で、財布も持ってません。いつもお金はメッシュのポーチに入れて持ち歩いている〉
「財布の中身」という別テーマのインタビューで、実際に財布を見せてもらったことがある。
ズボンのポケットから取り出したのは青いメッシュのポーチだった。現金がガサガサと入っていた。数えると80万8800円。末広がりの8並びである。傍らのマネージャーは俯きながら笑いを堪えていた。この経験からも、板東さんは嘘を言っていないと、今でも思っている。
交遊の広さは別格
とにかく板東さんが得難いのは、交遊の広さと面白いエピソードの数々だろう。
プロ野球は長嶋茂雄、王貞治(86)、星野仙一ら、映画は高倉健が筆頭で、お笑いはビートたけし(79)、明石家さんま(71)、島田紳助(70)と、各界のトップの名前が出るわ出るわ。ONと高倉は別格として、他は五分以上に渡り合ったのだからすごい。
例えば、高倉。板東さんは映画で共演した折、高倉の言葉が刻まれた高級腕時計を2個もらった(1個はROLEX)。そのエピソードは以前書いたが(2024年11月10日配信)、中日ドラゴンズの後輩で大親友の星野が、高倉に感激した、とっておきの話もある。
1992年公開の映画「ミスター・ベースボール」の撮影でのこと。場所はナゴヤ球場。高倉は中日ドラゴンズの鬼監督、という役柄だった。
撮影で球場にやってきた高倉が、星野がいる監督室のドアをノックした。星野がドアを開けると高倉は向こうにいて、ピンと背筋を伸ばして立っていた。
〈はじめまして。高倉健です。試合前に失礼とは思いましたが、ご挨拶に参りました〉(前掲書より)
あの健さんが! 星野は挨拶も忘れ、呆然と立ち尽くしたという。そして帽子の被り方、ストッキングの履き方などを質問された。星野にとっては夢のような時間になった。その話を聞いた板東は〈星野もまた、健さんの素晴しい人柄に魅了されました〉(同)と書いた。97年に亡くなった扶沙子夫人の命日には、高倉からお線香とお供えが毎年、届いたそうだ。
板東さんがタレントになるきっかけは笑福亭鶴瓶(74)との付き合いだった。当初は二人で飲み歩いた。下半身の露出騒動などを起こした鶴瓶のことを「昔から、ゆるいところがあった。でも、そんなん、ええやないかとずっと思っています」として、故・上岡龍太郎の言葉を引き合いに出した。
〈マスコミが芸人が女とキスしたとか朝帰りしたとか書くけど、「それはまちごうとる。下半身がだらしないから芸人になっているんです。道徳的な意識をもっていたら、芸人なんかならなくて、公務員になる」というんです。そして「横山ノックを見てみい」と。芸人の鑑やないか。知事でありながら彼女がいてというんです。実はノックは僕の名古屋の家にも彼女を連れてきたことあるし、そういうのが普通でした〉(同)
この項の小見出しは「憎めない笑福亭鶴瓶に乾杯」。
そんな各界の大物と交流しながら、12年のドタバタである。板東さんは同書のまえがきで人生を野球に喩え、痛恨のスキャンダルをこう表現した。
〈僕の人生を野球で言ったら、9回裏、勝ち投手の権利を手にしながら、満塁ホームランを打たれて、同点、いや逆転されたようなもんでした〉
仲間と場末の飲み屋で……
そして、同じまえがきで、座右の銘ともいえる母親の言葉を残している。
〈母親は(満州からの)引き揚げで、子供の時に文房具を買ってやれなかったとか、大学に行きたがったのに行かせてやれなかったとか、ひもじい思いをさせたことを最後まで気にしていた。その母親が書いた言葉が3つあります。「人様には迷惑をかけるな、自分で食べるものは自分で稼ぎなさい、人様の物を盗って食べるな、かあちゃんが悲しいから」って。子供の頃は食べるものが本当になくて、僕ら、引揚者の子供達は拾ったり盗んだりして食っていたのを知っていたから、書き置いたのでしょう。感謝しています〉
本のタイトルはなかなか決まらなかった。そんな時、吉本の担当者がポツリと呟いた。「そういえば、名プロデューサーの水の江滝子が亡くなる前に生前葬をやったけど」。そして板東さんが「ここで一度区切りにして言いたいことを言い残すという意味で、生前葬をやるのもいいかもしれない」と言い、『板東英二の生前葬』になった。
騒動後、「生前葬」もやって最後は何をやるか。板東さんいわく「仲間と場末の飲み屋で一杯飲み屋をやる」。先に芸能界を引退した紳助と今後のことを話すことがあったそうだ。紳助はこう言って慰めてくれた。
〈色々あったけど人間、前を向いて歩こう。ちゃんと頑張っていこうよ。人生何とかなる。周りに迷惑かけたことはあるけど、幸いなことに、こうやって三度のメシが食えるんだから〉
「アイツ、そういうことを言うんです」と板東さん。
誰も恨みっこなし。板東さんはいい人生を送ったのではないか。
峯田淳/コラムニスト
デイリー新潮編集部
