(※写真はイメージです/PIXTA)

写真拡大

シニアがアルバイトをしていると、「年金だけでは生活が苦しいから」そんなイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。しかし、実際には「生活のため」ではなく、「生きがい」や「社会とのつながり」を求めて働く人もいます。経済的には全く不安のない老後を迎えた野村さん(68歳・仮名)の事例をもとに、お金があるのに働く理由と老後をより豊かに生きるためのヒントを、CFPの伊藤寛子氏が解説します。

年金月38万円で生活できるが…週3日、時給1,250円で働く68歳男性

野村さん(68歳・仮名)は、週3日、近所のホームセンターでアルバイトをしています。時給は1,250円。1日5時間勤務で、月収は約7万5,000円です。

「あら野村さん! ここで働いてるの? あんなに大きな会社で働いていたのに、どうして?」

仕事を始めたばかりの頃、同年代のご近所さんに声をかけられた野村さんは、こう答えたといいます。

「生活のためじゃないんですよ。一日中家にいるよりも、こうして外に出て働いているほうが、毎日が楽しいので」

実際、「アルバイトをしているシニア」と聞くと、世間の一部からは「年金だけでは生活費が足りず、働かざるを得ないのではないか」という目で見られることもあります。しかし野村さんの場合、経済的な理由だけで言えば、働く必要はまったくありません。

大手メーカーの技術職として勤め上げた野村さんの年金は、夫婦で月額約38万円です。退職金に加え、現役時代に積み立ててきた預貯金や投資信託などの金融資産は約6,000万円。持ち家の住宅ローンもすでに完済しています。一方、毎月の生活費は約30万円で、資産を取り崩さなくても十分暮らしていける状況です。

そんな野村さんが、なぜ時給1,250円で働くのでしょうか。そこには、老後資産だけでは埋められない「理想の老後の落とし穴」がありました。

「理想の老後」が「退屈な毎日」に変わるまで

退職した当初は「やっと自由になれた」。そんな開放感でいっぱいだったそうです。好きな時間に起き、散歩をして、テレビを見て、晩酌をする。時間に追われない毎日は、新鮮で心地よく、「これこそ理想の老後だ」と感じていました。

しかし、その気持ちは長く続きませんでした。半年ほど経つと、毎日が少しずつ退屈に感じられるようになっていったのです。

野村さんは現役時代、仕事一筋だったため、これといった特別な趣味を持っていませんでした。 外出する機会が減ったことで運動量が減り、体重が増加。曜日の感覚も薄れ、「今日は何をしたんだろう」と思う日が増えていきました。

さらに、家にいる時間が増えたことで、夫婦関係にも影響が及びました。それまで自分のペースで家事や友人との時間を楽しんでいた妻にとって、夫が毎日家にいる生活は、決して気楽なものではありませんでした。ある日、妻からこう告げられました。

「あなた、たまには外に出て行って、せっかくだから何か始めてみたら?」

悪気のない一言でしたが、野村さんの胸に刺さりました。家庭内での居心地の悪さに加えて、何よりつらかったのは、社会とのつながりがなくなったような孤独感でした。

「悠々自適な老後なんていいますが、私にとってはちっとも“理想の老後”ではなかったんです」

生き生きしている元同僚、老け込んだ自分

変化のきっかけは、元同僚との再会でした。近況を聞くと、中小企業に再就職し、週4日働いているとのこと。

「給料は現役の頃よりずっと少ないよ。でも毎朝決まった時間に起きて外に出かけていくから健康にもいいし、職場の若い奴らと話したり、頼りにされたりするのも刺激になるしさ」

そう話す表情は、現役時代よりも生き生きとして見えました。一方で、どこか覇気がなく老け込んでしまっている自分。 「仕事を辞めたかったはずだけど。案外、自分は社会とつながって働いているほうが幸せなのかもしれない」――そんな考えが頭をよぎりました。

地域のボランティアも考えましたが、「毎週決まった時間に通う場所があるほうが、自分には合っている」と感じたそうです。とはいえ、すぐに働こうと思えたわけではありません。

長年大手メーカーで技術者として働いてきた自分が、「今さらアルバイトなんて」「時給で働く姿を知人に見られたくない」――そんな気持ちがあったことも事実です。

下手に働くと年金がカットに?…労働の意欲を削ぐ「働き損」の誤解

もう一つ、野村さんには気になっていたことがありました。「下手に働くと、国から年金をカットされてしまって働き損になるのではないか」というイメージを持っていたのです。

これは、リタイア前後の人からよく聞かれる疑問です。

公的年金には「在職老齢年金」という制度があり、働いて得る給与(総報酬月額相当額)と老齢厚生年金(基本月額)の合計が65万円(※)を超えると、超えた分だけ厚生年金が支給停止になります。
※令和8年度の基準額で、毎年度、賃金の変動に応じて改定される(日本年金機構ホームページより)。 

判定対象になるのは「老齢厚生年金」のみです。以前は減額対象となる基準額が低く設定されていたため「働くと損をする」というイメージが定着していました。しかし、制度改正によって2026年4月に基準が大幅に引き上げられ、以前よりも支給停止の対象になりにくくなっています。

そのため、野村さんのようにアルバイト収入が月7万5,000円程度であれば、在職老齢年金の支給停止に該当しないケースも十分考えられます。「働いたら必ず年金が減る」というわけではありません。

制度を確認し、「自分の場合は問題なさそうだ」と分かったことで、野村さんは安心して仕事探しを始めることができました。

「毎日の充実感」というお金以上のリターン

ホームセンターで働き始めて、野村さんの生活は変わりました。朝決まった時間に起き、身支度をして職場へ向かいます。同僚と話したり、体を動かしたりすることで適度な疲労感があります。夜はぐっすり眠れるようになり、気づけば体重は元に戻っていました。

「メーカーで長年培った知識を生かしたい」と自ら担当を申し出たDIY用品売場では、来店客から工具や部品について相談を受けることも少なくありません。お礼を言われると「まだ自分にも人の役に立てることがあるんだ」 とやりがいも感じます。

妻とも適度な距離感が生まれ、以前より穏やかに過ごせるようになりました。アルバイトで得る収入は、生活費には一切入れず、夫婦での旅行や孫へのプレゼント代に充てています。

「資産や年金を取り崩すのはどこか気が引けます。でも、自分で稼いだ『お小遣い』なので、本当に気持ちよく使えるんです」

そう話す野村さんの表情からは、当然ですが「働かなければ生活できない」という悲壮感はまったく感じられません。

肩書やプライドに固執しない――「働くかどうかを自分で選べる」という豊かさ

老後に向けて資産を準備することは、とても大切です。一方で、実際に退職後の生活が始まると、多くの人が直面するのは、「お金が足りるか」という問題だけではありません。

「毎日をどう過ごすか」「社会とのつながりをどう持ち続けるか」という課題に戸惑う人は少なくありません。仕事は収入を得る手段であると同時に、

・生活リズムを整える
・人と交流する
・社会との接点を持つ
・誰かの役に立っている実感を得る

という役割も担っています。 だからこそ、お金に困っていなくても、「生きがい」として働くシニアもいるのです。

かつての肩書やプライドに固執せず、これまでの経験をどう社会に還元するか。その折り合いさえつけられれば、経済的な余裕という地盤の元に「生活のため」ではなく、「楽しいから」「誰かの役に立ちたいから」という理由で働く選択ができます。

適度に体を動かし、人とのつながりを持ち続けることが、結果として将来の病気や介護のリスクを抑えることにもつながるかもしれません。

「もう働かなくてもいい」のではなく、「働くかどうかを自分で選べる」。 それもまた、現役時代に築き上げた老後資金が私たちに与えてくれる「豊かさ」のひとつなのではないでしょうか。

伊藤 寛子
ファイナンシャル・プランナー(CFP®)