「雅子さまがリラックスされた表情でスラスラと…」 天皇ご一家「那須御用邸」での“取材対応”に宮内庁OBが感嘆した理由
「あんなにナチュラルに、スラスラとしゃべられるなんて…」
宮内庁で、かつて旧東宮職に勤務した元幹部職員が、こう漏らした。皇后雅子さまが今月、栃木県の那須御用邸でのご静養中、笑顔で報道陣に対応している姿を地上波テレビの画面を見ながら、感嘆込めた表情で述べた言葉だ。2004年7月から20年を超える長期療養生活を送られている雅子さまが、これほどのフリートークをマイクとカメラに向かってされたのは、事実上、初めてのこと。長くお傍(そば)に仕えた側近職員が、驚きをもって受け止めるほど、雅子さまの表情は晴れやかで、すっかり回復(快復)されたと多くの関係者らは感じ取ったようだ。果たして雅子さまのご病気は、実際は今、どうなっているのか。周囲の声を拾ってみた。

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「今ちょうど鳴きました」
栃木県那須町の那須御用邸付属邸で静養された天皇皇后両陛下が、御用邸入りされたのは15日のこと。同日の夕方、長女の愛子さまを伴ってお揃いの「かりゆし」姿で敷地内を散策された際、プライベートの空間を保つため、機会を設けて3人で取材に応じられた。
雅子さまは自然豊かな環境が維持されていることを喜ばれているご様子で「やはり東京に比べて、とても涼しくて、空気が爽やかで、森林浴というか、緑の中で、楽しませていただいております」と語られた。
さらに「ウグイスの声がとてもきれいに聞こえて」と述べたところで、タイミング良く「ホーホケキョ」とウグイスが鳴くと「あ、今もちょうど鳴きましたね」とリラックスした表情でアドリブ。「今回の滞在もとても楽しみにしております」と言葉を結ばれた。
「細かいようですが、平仮名に直せば120文字前後に及ぶ長文です。雅子さまはご病気になられてから記者会見は一切されておらず、ご公務に全く出席されない時期も長く続きました。それを思い出すと、隔世の感があると言わずにはおれません」(元宮内庁幹部職員)
雅子さまは皇太子妃時代の2003年12月、40歳の誕生日を一週間後に控えた同3日に帯状疱疹をご発症。療養に入られ、翌年7月30日に適応障害の病名が公表された。療養生活が長期に及んだため、宿泊を伴ういわゆる「泊まりがけ」の地方での式典出席を控えられた期間は、倒れられる直前の03年10月に香川県で行われた全国育樹祭以降、2007年10月に徳島県を訪れられた国民文化祭まで、4年もの長きにわたった。
記者会見は一切行わずに
また、海外公務は2002年12月のニュージーランド・オーストラリアでの国際親善を最後に、2013年4月のオランダ国王即位式まで11年間のブランクがあり、2015年7月のトンガ国王戴冠式から、皇后となられて以降の2022年9月にエリザベス英国王の葬儀まで、再び7年間のブランクがあった。
宮内庁関係者はこう語る。
「雅子さまは御成婚後、1996年のお誕生日にお一人で記者会見に応じられて以降、毎年のように記者会見をされていましたが、療養に入られてからは文書でのみでご回答されています。また上皇后美智子さまは皇后時代、上皇陛下との海外ご公務の出発前にはお2人で記者会見をされており、雅子さまも療養前には記者会見をされていましたが、その後は一度もされていません」
確かに雅子さまは、1994年11月にサウジアラビアなど中東4か国訪問の前と、2002年12月のニュージーランドなど2か国訪問の前に天皇陛下とともに記者会見に臨まれていた。だがそれ以降、一切、記者会見はされていない。
「ほかに雅子さまの肉声をテレビなど公のマイクが拾うケースは、静養先の駅頭や地方公務でのお声がけのシーンがほとんどです。内容は『お元気ですか』『お体に気を付けて』といったお気遣いや『どうもありがとう』などの受け答えのみ。声を聞いたといった程度のものばかりです」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまは新型コロナウイルスのパンデミック(感染爆発)で、新年一般参賀が中止となった2021年と翌22年の元日の計2回、天皇陛下とともにビデオメッセージを出された。前者では「この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆さまにとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします」と語られ、後者でも「暮れからの寒波で大変な思いをされている方も多いのではないでしょうか。どうぞ皆さま、くれぐれもお体を大切にお過ごしいただきますように」と国民を気遣われた。
平仮名にして80字余り
「ただ、これは事前に原稿を用意し、練習された公式なお言葉に過ぎません。コロナ禍という非常事態の際でもあり、肉声と言えば確かに肉声ではありますが、本来の自然なご発生ではありません」(同)
また、園遊会でのご懇談では、自然なやり取りの音声を、高性能の報道用マイクが拾うことがあるが、実際にテレビのニュースで放送されるのは、あらかじめ相手を決め、場所を固定した上でカメラとマイクを配置した公式なものだ。長いワンフレーズが捉えられた例では、人気マンガ「ドカベン」などの作者として知られた漫画家の故・水島新司さんが秋の園遊会に招かれた2015年11月12日、12年ぶりに園遊会に出席された雅子さまが終始にこやかに会話された際の言葉が「特別に長かったと記憶しています」(同)と言われる。
この時、雅子さまはこう述べている。
「主人も私も、そして子供も、水島さんの漫画を本当にこれまでずっと楽しませていただいてまいりまして、今日はお目にかかることができて大変嬉しく思っております」
平仮名に直して80文字余り。今回の那須がシチュエーションを含め、いかに異例だったかが分かるだろう。
前出の元東宮職幹部職員は「皇后となられて以降の7年余りで雅子さまは、海外へ実に5度も足を運ばれており、訪れた国は先日のオランダとベルギーで延べ5か国にも及んでおられます」と前置きした上で、こんな見方を示す。
「雅子さまの治療を担当している医師団は、昨年12月にも例年通り『御快復の途上にあり、依然として御体調には波がおありです』との見解を公表していますが、これはご病気をぶり返させるようなことがあってはならないという医療従事者としての配慮であって、いわば回復後の経過観察中なのです」
皇宮警察元幹部も、こんな感想を口にする。
「私もニュースを拝見してビックリしました。ご病気はすっかり治られたんだなと感じます。秋篠宮家に悠仁さまが誕生されるまでの雅子さまは、お世継ぎの男児を産まねばというプレッシャーに常にさいなまれていたように感じましたが、やはり時代は大きく変わったんですね。かつての人気アニメ『アルプスの少女ハイジ』の名場面、『クララが立った!』ではありませんが、雅子さまがマスコミの前で普通にしゃべられたんだなと、本当に驚きました」
周囲の多くの人々は、雅子さまは既に回復したとの印象を持っているようだ。皇位の継承者は男系男子に限ることが真の伝統であるのかどうかは置いておくとして、国会は、その伝統の“呪縛”に捉われ、議論を深めることもなく法律だけを変えた。その一方で呪縛から“解放”された感もある雅子さまは、衆院を通過した皇室典範改正案が参院で審議入りした日に、晴れやかなご表情で「空気が爽やか」と語られた。その笑顔に、多くの国民は何を感じたのだろうか。
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
