病弱な妻を愛しているけれど「もしいなくなったら」を考えてしまう。別の女性と10年関係を続け、“10年後”の約束にすがる53歳夫
【前後編の後編/前編を読む】父には隠し子がいた…我慢ばかりの母を自由にしたかった。5歳下の妻に“母の面影”を重ねた53歳夫の静かな情熱
吉永賢造さん(53歳・仮名=以下同)は、地方の農家で、親戚に囲まれて育った。父には隠し子がいたが、母は文句を言わず、夫やその家族のために自分を犠牲にしているように見えたという。東京の大学へ進むとき、母に「一緒に行こう」と賢造さんは誘ったが、母は静かに拒否。会社員として仕事に打ち込むようになった彼は、35歳のころ、5歳下の後輩・怜菜さんに恋をする。結婚後、怜菜さんは家庭に入ることを望み、ふたりは穏やかな生活を始める。そして1年後、怜菜さんの妊娠がわかった。
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妊娠がわかると、怜菜さんは精神的な張りが出たのだろう。表情も雰囲気も明るくなった。なかなか早く帰ってこない夫を待つより、将来に希望が見える日々が訪れたといえるのかもしれない。

「よく子どもの洋服や靴下を作ったりしてましたね。僕も早く帰れる日を作るようにして、妻とふたり、新しい命を待ちわびていました。だけど、ものごとはすべてうまくいくとは限らないんですよね……」
とき満ちて生まれるはずの子は死産だった。それを知ったときの怜菜さんの泣き笑いのような表情を、賢造さんは忘れることはない。死産届を出し、葬式を出した。あまりに小さい遺体だった。ふたりきりで見送ったのだが、あまりのショックに耐えられなかったのだろう、怜菜さんは火葬場で失神した。
子猫との出会い
彼は思いきって、上司にすべて打ち明け、2ヶ月の休暇をとることにした。
「怜菜にとっても僕にとっても一大事だった。でも精神的に、よりやられているのは怜菜だったから、もう一度、夫婦としてゼロからやり直したかったんです。仕事より大事なこともある、優先順位として今は怜菜がいちばんだ。そう思いました」
自分の中でなにが重要なのかが見えた瞬間だった。休暇をとると言ったとき、鬱々としていた怜菜さんの表情が変わった。
「いい、私は大丈夫。あなたの気持ちが見えたから、もう大丈夫。怜菜はしきりにそう言いましたが、結婚してからずっと時間がなくてふたりでゆっくりできなかった。ここでいったん休もう、一緒にと説得しました」
ふたりでゆっくり生活した。一緒に料理をしたり近所を散歩したり。退院して1ヶ月たったころにはレンタカーを借りてドライブにも出かけた。そのドライブの帰りに、怜菜さんは子猫を拾った。子どもと猫では比べものにならないが、それでも新しい命を得て、怜菜さんは子猫に夢中になった。
「少しずつですが、怜菜に笑顔が戻ってきた。それを見届けて僕は職場に復帰しました。でも電車や街でお腹の大きな女性を見ると、つらかった。子どものいる日常を想定しながら暮らしてきたのに、生まれるはずだった子がいないというのがなんとも……」
その喪失感を彼は仕事にぶつけるしかなかった。なるべく残業はしないようにしながら、だが勤務中は仕事のことのみ考えるようにした。早めに家に帰って怜菜さんの様子を注意深く見守った。
妻からベッドに誘われても…
「1年ほどたったとき、怜菜からベッドに誘われました。夫婦の性をどうやって取り戻したらいいかわからなかったから、僕からは誘えなかった。怜菜に誘われてうれしかったのに、僕、できなかったんですよ。情けなかった。怜菜はもっと絶望したかもしれない」
それからすぐ、怜菜さんが体調を崩した。どこが悪いのか、なかなかわからなかったが、検査を重ねて慢性腎臓病と判断された。腎臓のみならず、あちこちの内臓がうまく働いていないこともわかった。子どものころは虚弱体質と言われたこともあったと怜菜さんは打ち明けた。そんなもともとの弱さが出てしまったのかもしれなかった。
「薬を飲みながらですが、日常生活に特に支障はない。だけどあまり疲れるようなことをしてはいけないということでした。怜菜は『がんばれない人生になってしまったわ』と泣き笑いしていました」
怜菜さんとの間で、「男女の関係」は望めなくなった。医師に禁止されたわけではないが、ふたりともそんな気をなくしてしまったのだ。彼は怜菜さんを労りながら暮らすのが自分の役目だと思った。触れなくなっても、大事な存在であることに変わりはなかった。
「好きだよ、大事だよと怜菜にはいつも言っていました。彼女はごめんねと言いながら暮らしていた。対等な関係ではないモヤモヤした気持ちがありましたが、僕が庇護すべき存在であるという認識でした。そして怜菜は子猫を庇護することで、何かを満たそうとしていたような気がします」
「中途半端な関係」だった相手と、再会して
そんな大事な存在を認識していながら、40歳のとき彼は恋に落ちた。相手は学生時代の友人だ。久しぶりに当時の仲間が集まることになり、賢造さんも参加した。仲のよかった理江子さんとも卒業以来の再会だった。
「理江子とは、当時つきあうようなつきあわないような中途半端な関係だったんです。就職してからは会う機会もなくて。その後、彼女は入社した会社を半年で辞めて留学したと話してくれました。留学先で結婚もしたけど、結局は離婚して5年前に帰国したと。ちょうど僕が結婚したころですね。理江子は『賢ちゃんが結婚したのは風の噂で知ってたよ。なんで私じゃなかったんだろうね』と笑いました。冗談だったのに、その言葉が妙にグサッと刺さりました。そうだ、僕は理江子みたいなタイプが好きだったんだ、自分で道を切り開いていくような歩幅の大きな女性が。頭をガツンとやられたように目覚めました」
今度、食事でもしようと言ってその日は別れた。数日後、賢造さんは理江子さんに連絡、ふたりとも忙しくて日程が合わず、ようやく再会できたのは1ヶ月後だった。
「ただ、その1ヶ月、ずっと理江子に会いたいと思い続けていました。こんなに人を濃い気持ちで思ったことはなかった。もちろん、怜菜に対する気持ちとは違います。明らかに“恋”でした。ドキドキワクワクするような恋愛感情を、もしかしたら僕は40歳にして、初めて味わったかもしれない」
自分が分裂しそうな恐怖感
会えばどうなるか、ふたりともわかっていたのかもしれない。学生時代に思いを遂げられなかった「忘れ物の回収」が待ち受けていることを。だからこそ、なかなか会う日を決められなかった可能性もありそうだ。
「そうですね、結局、食事をした日にそういう関係になりました。お互いに予想はできていたし、覚悟もできていた。彼女は独身だったけど、つきあっている人はいるようでした。でもそんなことは気にならなかった」
また会える? 深夜、帰り際にそう尋ねると、彼女は深く頷いた。ただ、帰宅して先に休んでいた怜菜さんの顔を見ると急に胸が痛んだ。と同時に、理江子さんとのやりとりや体が触れあった感触が蘇る。自分が分裂しそうな恐怖感に襲われた。
「妻への愛は本物なのに、理江子への気持ちにも嘘はない。どちらかを見て見ぬふりはできなかった。理江子とは体の相性もとてもよかったんです。もっともっと彼女を心身ともに知りたかった」
3回目に会ったとき、理江子さんは言った。「奥さんとはうまくいってるの?」と。どういう意味かと尋ねると、「私、妻に乗り込まれたりするの嫌だから。恋愛は自由だとおもうけど、既婚者はそう自由ではないでしょ」と笑った。
「黙っているのも不誠実かと思って、妻が体が弱いことを話しました。子どもの件も。理江子は『つらかったね』と言ってくれた。彼女自身も流産したことがあるそうで、特に言葉を尽くさなくてもお互いにわかりあえるところがありました。『私は結婚してくれとは言わないから』と。でも僕は理江子と人生をやり直したいと思うようになっていった。もちろん、怜菜を見捨てるようなことはできない。できないとわかっていながら、理江子と一緒になりたくて」
「妻がもしいなくなったら」を考えてしまう
理江子さんはそんな彼を終始、励ましてくれたという。「結婚だけが結びつきじゃないから」と。ただ、そう言いながら「これは妻を冒涜する言葉かな」とも言った。そうなると、ふたりともどんどん苦しくなっていった。
「公にできない関係でもいいじゃない、私たちだけがわかっていればいいと理江子が言ってくれたので、ようやく僕もそう思えるようになりました。そうなるまで3年くらいかかっています。何度も別れようとしたけど、別れられなかった」
一方で、妻を裏切っているという感覚もだんだん薄れていった。妻は妻、理江子さんは理江子さんと分けて考えることができるようになったのだという。だが彼は、妻への気持ちは変わらず、労りながら生活していた。
「妻を大事な存在だと思っている。思っているのに、妻がもしいなくなったら……ということも考えてしまう。いや、そんなことがあってはいけないとまた思う。割り切ったつもりでいても割り切れなかった。理江子のほうが割り切っていたと思います。彼女は結婚を特に望んではいなかったから。ただ、つきあい続けたいとは言っていた。僕はどこかでふたりの関係を世間に認めてほしいと思っていたんでしょうね」
倒れていた妻…
悩みながらも濃厚な関係が10年続いたある日、理江子さんと会って帰宅すると、怜菜さんがリビングのソファに倒れこんでいた。意識はあったが、片方のまぶたが下がっており、ろれつも回っていない。救急車を呼んだ。
「脳梗塞でした。後遺症もありそうだと言われました。かわいそうなことをしたと思いながらも、これは妻の無意識の復讐なのかと感じたりもしましたね。入院して1週間ほどたったころ、やはり左半身に後遺症が残ると。リハビリすれば身の回りのことくらいはひとりでできるようになるかもしれないが、以前のようには戻らない可能性が高いと言われました」
それを理江子さんに話すと、「もう無理だわ」と彼女は表情を歪めた。「あなたは妻の元へ戻って。私も人生やり直すから」と。それだけは嫌だと彼は必死にすがった。せめて友だちとして会ってほしいと。すると彼女は「私はあなたをただの友だちとは思えない。自分の気持ちを断つしかないの」と厳しい口調になった。
理江子さんとの「10年後」と、妻の言葉
「それでもすがりつこうとする僕に、『10年後に連絡をとりあおう』と理江子は微笑んだ。あれから2年ほどたちますが、僕はまだ立ち直れていません。喪失感が深すぎた。妻は思ったより回復できず、高次脳機能障害と診断されて、今はリハビリをしながら施設で暮らしています。施設に移るとき、回らない口でしきりに『もういいよ』と言っていたんです。結婚生活を解消してもいいという意味だったようです。理江子のことは知らないはずだけど、もしかしたら気づいていたのかもしれない。それが怜菜を苦しめていたとしたら……。罪深いですよね」
怜菜さんが自宅で日常生活を送れるようになることはほとんど望めない。先日、怜菜さんは「離婚」と言った。別れたほうがあなたのためよと言いたそうだった。怜菜ならそう言うだろうと賢造さんは感じて涙した。
「怜菜がこんなふうになったのは僕のせいだから、離婚はしません。最後まできちんとめんどうを見るつもりです。でもあと8年たったら、きっと理江子に連絡してしまう。そのときどういう状況になっているかはわからないけど」
理江子さんはおそらく気持ちを切り替えて「人生をやり直して」いるだろう。自分もなんとかしなければという思いはあるが、「50歳を過ぎたおっさんが、なにをどうやってやり直せばいいのか」とも感じていると賢造さんは言った。
「仕事を続け、妻の見舞いを続ける。それしかできない。僕の人生というものがこの先、存在するのかどうか。いや、そもそも僕の人生って何だったのか。そんなことばかり考えてしまいます」
消え入りそうな声で、賢造さんはゆっくりとそう言った。
妻を見舞い続けながら、理江子さんへの未練も断ち切れない賢造さん。記事前編では、そんな彼が育った家庭環境と、怜菜さんに“母の面影”を見て結婚を決めるまでを紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
