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ランチアブランドの存続をかけて

崖っぷちのランチアブランドのCEOに任命されたオリヴィエ・フランソワ氏は、すぐに窮地に立たされた。

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「『新型デルタ・インテグラーレと新型ストラトスを作ります。その方法をお見せします』と言って役員会に乗り込んだのですが、上司たちはまったく感心しませんでした」


フィアットのトップに就任する前、オリヴィエ・フランソワ氏はクライスラーやランチアなどを歴任してきた。

またしても解雇の危機に瀕したこの時のことを、彼は笑顔で振り返る。

「どのブランドのCEOも、ある程度の『大言壮語』をしなければなりません。なぜなら、CEOはブランドの代弁者であり、ブランドをポジティブな光で照らし出さなければならないからです。しかし、聴き手を完全に騙すことはできません。彼らもビジネスのプロですから。わたしは客観的に見てリスクの高いことを主張していました。結果は散々でしたよ」

その後の見直しを経て、過去10年間でわたし達が知るランチアが誕生した。フィアット車のボディをスタイリッシュに一新したモデル(500をベースにしたイプシロンや、ブラーボをベースにしたデルタ)に加え、FCAの設立後には、クライスラーのリバッジモデルもいくつか展開した。確かに、ランチアは20世紀を通じて輝きを失ってしまいましたが、それでもなお存続している。

ブランドCEOとしての最低限の使命

「わたしは誤解していたんです」とフランソワ氏は言う。

「セルジオがわたしに、何十億も投じてランチアのかつての栄光を取り戻すことを期待しているのだと思っていました。ストラトスやデルタ・インテグラーレを復活させた人物として、わたしの名が後世に残ることは決してありません。ブランドを潰したといって賞をもらえるわけでもない。ブランドを率いる以上、最低限やるべきことは『ブランドを潰さない』ことです。しかし、わたしの場合は、そのブランドが消える運命にあったのです」


クライスラー200(2代目)

ランチアを救った後、マルキオンネ氏はフランソワ氏にクライスラーの立て直しを任せた。そのラインナップに残っていたのは、旧式化したセブリングだけだった。クロスファイアは生産終了したばかりで、PTクルーザーも生産終了間近。アスペン(先進的なハイブリッドパワートレインを搭載した大型SUV)は「完全に死んでいた」し、300Cも生産休止の瀬戸際にあった。

手元にはわずか6400万ドルしかなかったが、「2000万ドルをスーパーボウルのCMに、4400万ドルをセブリングのデザイン刷新に投じた」という。そして、セブリングの名称を『200』に変更した。その結果、セブリングの最終年と200の初年度の間で、販売台数は6000%――そう、6000%――も増加した。一方、ラッパーのエミネムが出演したCMはエミー賞を受賞した。

フィアットで感じた、胸が張り裂ける思い

FCAで2つのヒット作を生み出したフランソワ氏は、2011年にようやく「ドル箱」であるフィアットブランドのトップに就任した。彼は直ちに計画に着手した。

「セルジオにはストラトスやデルタに匹敵するモデルを提示しましたが、最初にやったことの1つは、次期プントの開発中止でした。開発中の新型は、あまり見栄えが良くなく、面白味に欠けていたのです」


フィアット・プント

「人々は『この男はどこからともなく現れ、発売まであと1年だったのに止めてしまった』と激怒していました。しかし、誰かが『新しいX、Y、Zを作る』と言うと、わたしは必ずその理由を尋ねます。そのクルマの独自の目的は何なのか? もしそのクルマが世に存在しなかったとしたら、なぜ開発する必要があるのか? その質問に答えられないなら、やるべきではないでしょう」

こうして、可愛らしくも実用的な小型車をラインナップに揃えた、新しいフィアットの礎が築かれた。しかし、どんなに万全な計画でも、うまくいかないことがある。フランソワ氏はブランドに必要なものを頭の中で明確に描いていたものの、大きな壁に直面する。

「わたしがプロジェクトを提示する頃には、(FCA内では)常にジープ、ダッジ、ラムへの資金配分が優先されていました。当然のことではあるが、セルジオが『ノー』と言うたびに、わたしは胸が張り裂ける思いでした。資金は新しいパシフィカやコンパス、その他諸々の新モデルにばかり使われてしまった。フィアットはただ待たされ、待たされ、待たされ続けた。わたしはずっと待ち続けていたんです」

流れを変えたステランティスの設立

フランソワ氏と話していると、2010年代はフィアットにとってある種の「失われた10年」だったことがうかがえる。パンダと500がブランドを何とか支えていた一方で、プントをベースにした派生モデル(500X、500L、ティーポ)の成功は限定的だった。彼の野心は、結局のところ、FCAが失敗を許容できるモデル数が極めて少ないという事情によって制限されていたのだ。

ステランティスの設立を機に、潮目が変わり始めた。


フィアット500e

「わたしは『飢え』の中で鍛えられてきた」と彼は言うが、今や「オアシスを最大限に活用している」のだ。

フランソワ氏は、フィアットに対する自身のビジョンを現実のものとしたことについて、ステランティス設立時のCEOであるカルロス・タバレス氏の功績が大きいと述べている。

「2011年に生み出したわたしの『子供たち』は、新しいプラットフォーム(スマートカー)や新しいエンジンによって成熟しましたが、それを実現できたのはステランティスのおかげです。今日目にするすべてのものは、カルロスの後押しがあったからこそ実現したのです」

2011年からの構想がようやく実を結ぶ

フランソワ氏は、その過程でいくつかの失敗があったことを認めている。

「600も、トッポリーノも、さらにはグランデ・パンダさえも、発表が早すぎました。それで、『あのクルマはどこにあるんだ?』と言われることになりました」


フィアット500の生産ラインに立つオリヴィエ・フランソワ氏

一方、EVの500eは、フィアットが期待していたような、500の絶大な人気を受け継ぐことはできなかったが、はるかに現代的な新型ガソリンモデルを開発するためのベースとなった。そして、フランソワ氏の「愛娘」とも言えるグランデ・パンダが、ついに世界中のショールームに並ぶことになった。

こうした基盤が整った今、フランソワ氏は、フィアットのために長年思い描いてきた繁栄の復活を胸を躍らせて待ち望んでいる。

「10月に65歳になります。『もう辞めてもいいかな、引退してもいいかな』という考えが頭をよぎることもありますが、わたしがまだここにいる本当の理由は、まだ十分なエネルギーが残っていて、この瞬間を辛抱強く待ち続けてきたからです。ほとんどの人はその到来に気づいていませんが、確実にやってきます。今はただ、この瞬間を存分に楽しませてほしい」