昔の日本人はモノと一緒に何を交換していたのか? 民俗学における「マチ」の成り立ち【眠れなくなるほど面白い 図解 民俗学の話】
【「日本民俗学」の基礎知識】日本人の生活基盤 ②「イチとマチ」
常設化されたイチがマチへと発展
いろいろなムラに住む人たちが、一定の時間、一定の場所に集まって売買を行う制度が「イチ」です。古代のイチは、神を祀る場所や時期に合わせて開かれたと考えられています。そのため、イチは単なる商業的な交換の場ではなく、祭祀や聖域と深く結びついていました。
イチが立つ場所は、ムラとムラの間や、川のほとりなど、空間的な「境界」であることが多いのが特徴です。初期のイチは、特定の期日に開かれるハレの空間としての性格が強く、さまざまな地域から一時的に多様な人びとが集まり、ものの売買や交換だけでなく、情報の交換や文化的な交流も行われました。
また、イチの開設にあたっては、イチの守護神である市神を勧請(神仏を招き迎えて祀ること)するのが慣わしでした。
やがてイチが常設化されると、そこに商人が定住するようになり、マチが形成されていきます。日本の伝統的なマチには、城下町、宿場町、門前町、商業町、港町などがあります。
ムラを構成しているのは、農民、漁民などが中心ですが、マチのほうは、貴族、武士、町人(商人と職人)などが主でした。このマチが巨大化すると、都市になります。都市には、多くの場合、多様な町場の複合した都市空間が形成されていきました。
ムラからマチへ
イチの日には、山人などの非農業民が里へ下りて交易をすることもあった。
【ムラ】
地縁や血縁にもとづいた定住的な生活の場。
【イチ】
イチには、守護神としてえびす神などの市神が祀られた。自然石や樹木などが神体とされることも多かった。
単なるものの売り買いの場というだけでなく、異なるムラ人同士や、定住民と漂泊民などが交わる境界領域であり、ハレの場でもあった。また、カミを祀る場所とも考えられた。
【マチ】
イチが開かれることで自然発生的にマチが形成され、政治的・経済的な中心地として発展していった。また、マチの要請により新たにイチが立つこともあった。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 民俗学の話』監修:島村恭則
【監修者紹介】
島村恭則(しまむら・たかのり)
民俗学者。関西学院大学社会学部長・教授。1967(昭和42)年、東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。文学博士(筑波大学)。国立歴史民俗博物館教官、韓国・翰林大学校客員教授、東京大学客員教授などを歴任。日本各地で民俗学調査を行うとともに、韓国・中国での調査・研究も行う。
近年は、世界民俗学史をふまえた民俗学理論の研究、とくに民俗学を国際的・学際的な「ヴァナキュラー文化研究」として再編成する議論を展開している。
著書に『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)、『民俗学を生きる ヴァナキュラー研究への道』(晃洋書房)、『これからの時代を生き抜くための民俗学入門』(辰巳出版)、『昔話の民俗学入門 民間伝承の秘密を読み解く』(創元社)、編著に『現代民俗学入門 身近な風習の秘密を解き明かす』(創元社)などがある。
