日本が「もう一度豊かになる」方法をご存知ですか?
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
やがて哀しき外来語:本書の使用法と注意点
『世界は経営でできている』で取り上げる十五のお題は、世界中の伝統的宗教で人間の苦しみと幸せの源泉とされているものを参考にした。
これらは一般的には経営とは関係がないものだと思われがちだ。これらは商業でも、企業でも、経済でもない。それでもやはり経営である。
各章はそれぞれ独立して読める。気になった章からバラバラに読んでいただいてかまわない。それぞれの章は笑えるか笑えないかに論理必然的に分かれ、笑えるなら暇つぶしの効果があるし、笑えなければ現代社会では希少な静寂の時間が得られる。
しかも冷笑による風刺と諧謔は経営に不可欠でもある。
なぜなら風刺と諧謔を楽しむには経営思考に必須の「当事者から一歩引いた目線」「状況を冷静かつ合理的に分析する思考」が不可欠だからだ。
ここでの比喩の数々は多くの人にとって「あるある」なはずだ。そのため式典での挨拶から会議での気の利いた一言まで、ネタ元として使える。本書の表現の中で気にいったものがあれば、朝礼、SNS、掲示板、ブログ、友人への個人的なメッセージ、ラブレター、賃貸借契約書などで自由に使っていただいてかまわない。
むしろ、本書『世界は経営でできている』の風刺や諧謔を、個々人の文脈に翻訳して、何らかの形で積極的に発信していただくことでこそ、本書のいう「本来の経営概念」の真意を理解していただけるだろう。そういうわけで本書への賛否両論どちらも、特に賛の方を公開のSNSで、否の方は非公開のメモ帳等に、ぜひ吐き出していただきたい。
当然ながら登場人物はすべて架空のものだ。本書の草稿を読んだ友人が「これ私/俺でしょ」と怒っていたがすべて間違っていた(別の箇所で参考にしたのは秘密だ)。
多くの人にとって「自分を皮肉っているか?」と思われる箇所が一つはあるだろう。しかし、私は残念ながら神ではない。人類すべてを把握していない。個々の比喩が特定の個人×百億人を題材にしていることは原理的にありえない。
ひとつお願いがある。本書は基本的に冷笑系文体で通すが、以後数行と「おわりに」では熱血に戻る。そのため熱血が苦手な方は、これからその部分を塗りつぶしていただきたい。そうすれば古本屋に本書を叩き売られなくなるので私も嬉しい。
粗にして野だが偽ではない:塗りつぶされる運命の熱血文
本書『世界は経営でできている』のいう経営の本質は、いわゆる経営者や企業人にかぎらず、現代社会に生きる人にとっての必須教養だ。だが、経営者や経営学者といった「経営で飯を食っているはずの人」でさえ経営の本質を誤解していることが多い。
これは個人と社会にとって損失である。
私自身これまで経営に何度も救われてきた。
父の会社の倒産と借金、中卒自衛官として過ごした日々、日中に働きながら高卒認定試験(旧・大検)経由での受験勉強、学生起業……。空気を読めない私が自衛隊の集団生活をやり過ごしたのも、効率的な勉強も、母子家庭における学費・生活費の調達も、父の借金の整理も、本書の出版さえも、失敗しながらも価値創造を繰り返すことで可能となった(本書を読んだ後なら確実に上手くやれたはずだが)。
だが、これ以上の苦労自慢は不要だろう。
戦後日本の焼け野原には、現代の紛争地域には、私など及びもつかない苦労をされている方々が山ほどいることを思うと、戦中・戦後を生き抜いたわけでもないまがい物の苦労話への同情を押し売りする恥知らずな真似は私にはできない。
自分なりの苦労はあった。とはいえ自衛隊、高卒認定試験、大学、会社法、出版社……といった日本の制度によって人生経営の余地が生まれたという社会への恩義があ る。死別母子家庭とはいえ母は生きている。
そうした感謝を忘れて、苦労を商売道具にする、飽食の時代に卑劣を売り歩く偽物たちと一緒になりたくない。
私は馬鹿な夢を語る。だが偽物ではない。天才的な偽物より、愚直でも本物でありたい。すべての人が経営概念を転換すれば、日本も世界ももう一度豊かになれる。そう断言できるだけの論理も本書で提示しているはずだ。
世界は経営でできている。
それに気が付かないと不条理と不合理から誰も抜け出せない。
つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。