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現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部が書き上げた『源氏物語』は、1000年以上にわたって人びとに愛されてきました。駒澤大学文学部の松井健児教授によると「『源氏物語』の登場人物の言葉に注目することで、紫式部がキャラクターの個性をいかに大切に、巧みに描き分けているかが実感できる」そうで――。そこで今回は、松井教授が源氏物語の原文から100の言葉を厳選した著書『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』より一部抜粋し、物語の魅力に迫ります。

【書影】厳選されたフレーズをたどるだけで、物語全体の流れがわかる!松井健児『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』

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少納言の乳母の言葉

<巻名>紅葉賀

<原文>十(とお)にあまりぬる人は、雛(ひいな)遊びは忌(い)みはべるものを

<現代語訳>10歳を過ぎた方は、もう人形遊びはつつしむものですのに

源氏が正月元旦におこなわれる宮中の儀式にでかけようと、紫(むらさき)の上(うえ)の部屋をのぞいてみると、姫君は人形遊びに熱中しているところでした。

紫の上は幼い侍女が、人形の家をこわしてしまったと不満そうなので、源氏は、それは大変なことですと応じます。子どもと大人の会話にしか見えません。

平安時代のドールハウスは、源氏絵などにも描かれていますが、とても大きく豪華なものだったようです。

紫の上は、これが源氏の君と、名をつけた人形を着飾らせて、宮中に送り出す遊びをしていたところでした。

後見の役目

付き添っている少納言の乳母(めのと)は、「せめて今年からでも、大人らしくなさってください。10歳を過ぎた方は、もう人形遊びはつつしむものですのに」とたしなめ、それに続いて「姫さまは、もうご主人をお持ちになったのだから、奥方らしくなさってください」と諭します。

それを聞いた紫の上は、ようやく「そうか、わたしには夫ができたのか」と納得したと語られます。

あまりにも幼い紫の上ですが、少納言の乳母は、その後見(こうけん)として、紫の上に降りかかる、いっさいの事柄を適切に処理する役目を負っています。

責任の重い、大変な立場だといえますが、それは姫君が生まれたときからお世話をしている乳母にしか与えられない特権であり、誇りでもありました。

姫君の生涯を託した賭け

母も祖母も亡くしていた紫の上が、実の父である兵部卿宮家(ひょうぶきょうのみやけ)に引き取られていたとしたら、継子(ままこ)として、北の方(かた)からの迫害を受けていたかもしれません。

かといって、源氏ほどの高貴な人物が、幼い紫の上を本当に大切にしてくれるかどうか、少納言の乳母にもはかりかねる難題でした。


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父宮より早く迎えにきた源氏の車に、紫の上とともに乗り込んだのは、姫君の生涯を源氏に託した賭けだったといえます。

それより前、源氏の訪れの意味もわからなかった紫の上が、少納言の乳母にすり寄って「あっちへ行こうよ、もう眠いから」と言うのを、「こんなふうですから」と、男女の仲などわからないことを示しつつ、それでも紫の上を源氏の方へ押し出してみせたのも、少納言の乳母の判断でした。

やさしく賢明な乳母

時が経ち、政権の怒りを買った源氏は、無位無官となって須磨(すま)に下ることになります。

そのさい、荘園や牧場などの権利書の管理を、すべて紫の上に託しました。

さらに、実務的な事柄は少納言の乳母を見込んで指示を与え、しかるべき家司(けいし)たちを新たに付けたといいます。

源氏の厚い信頼までをも獲得した、やさしく賢明な乳母でした。

※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。