「”基準”に合致したら、一切の医療的行為を停止します」…”先進的”介護施設が設定した『死のライン』
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。
介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。
『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第14回
『“家族のため”に「死に方」を選ぶ…死を前にした高齢者が頭の中で考えていること』より続く
ターミナルケアの始まりはいつから?
「おたくの施設には、ここから先がターミナルステージ(終末期)という明確な基準はありますか?」と、ときどき聞かれることがあります。それに対する答えは「NO」です。
私が考えるターミナルステージの定義は「医療を含めたあらゆる手立てをとったとしても、その人の病気が回復する、あるいは死を免れることができる状態にない」ということです。
ということは、ほとんどのお年寄りが、出会ったそのときから、広い意味ではターミナルステージにさしかかっているということになります。
皆さんご承知のように、臨終を迎える時期はある程度の予測はつきそうですが、実際にはそのときになってみなければわかりません。医師から「今日、明日の命」と言われて早3年になるとか、「検査でこんな数値が出ているのに、生きていらっしゃるのが不思議」と言われながら何ヵ月も同じ状態を保っている、といった人がいます。反対に、本人も含め誰も「死ぬ」なんて思ってもいなかった人が「えっ!!」といった感じで亡くなられることもあります。人間の寿命はこのように不確かなものですから、お年寄りの場合、ここから先はターミナルステージだと明確に線引きすることはできないのです。
ただし施設によっては、「みなしターミナル」という基準を採用しているところもあります。正確な数字は覚えていませんが、全身状態の観察と合わせて週に1度くらいの頻度で体重測定をし、ある一定の期間に体重が何パーセント減るとターミナルステージとみなす、ということです。
有名施設で採用された「みなしターミナル」の基準
以前、ターミナルケアで有名な特別養護老人ホームを訪問したことがあります。そこは今から30年ほど前、他の施設に先がけて入居者の最期を看取ることで注目を集めました。当時はまだ施設の入居者が弱ってくると病院に送るのが普通だったので、医師会からは猛反発があったそうです。それに抗い、「生活の中で心穏やかに看取る」ことを先達的に実行して、理事長さんは高い評価を受けました。
それから数十年のときを経て私がその施設を訪問したときには、一般の入居者が暮らす介護棟に加えて、新たにターミナルケア棟ができていました。たいへん立派な建物で、窓にはステンドグラスがはまり、内装もとても見事です。
この施設で介護棟からターミナルケア棟へ移動する基準が、体重測定によるみなしターミナルだと説明がありました。ターミナルケア棟では、「自然に安らかな最期を迎える」という方針の下に、基準に合致した途端、一切の医療的行為は行わないということでした。
女性入居者の部屋を見せていただくと、「どこにおばあちゃんがいるの?」というくらいにベッドの上はぬいぐるみだらけで、その中でちょこんと寝ているおばあちゃんは透き通るようにきれいでした。
チグハグであっても、会話はできるし、笑顔もあります。でも、お風呂には入らないし、経管栄養はもちろんのこと、口から食べてもらう試みもほとんど行われていません。ずっとベッド上で過ごしています。なるほど、「自然に、安らかに」と言われればその通りです。
「私たちはこの施設の方針に従い、利用者様に対して、最期は一切の医療行為を行わず、安らかに息を引き取っていただきます。どの利用者様も、みんな同じような最期を迎えられます」という説明を受けました。
とてもシステマティックで、これなら家族にも、そこで働く職員にも迷いや戸惑いはないだろうなと思いました。
悩みながら自分たちで選択していく
「みなしターミナル」が、ターミナルステージかそうでないかを線引きする基準として本当にふさわしいのかどうかを判断できるほど、私は専門的な医療知識はもち合わせていませんが、私は迷いや戸惑いのないターミナルケアが果たして本当のターミナルケアと言えるのかと、この施設のやり方に強い違和感を覚えました。
お年寄りの体がしだいに衰弱していき最期の瞬間を迎えるまでのあいだに、家族はさまざまな選択を迫られます。そこには必ずといっていいほど、迷いや葛藤が生じます。
そのとき、この特養の例のように本人や家族が迷う前に、施設という他者から与えられたターミナルケアの枠にはめてしまうのではなく、本人や家族にとってどうすることがいちばんいいのか、その方法を一緒に大いに悩みながら自分たちで選択していくことがとても重要だと、私は改めて思うのですが、読者の皆さんはいかがでしょうか。
『お年寄りの『自立』には家族の協力が不可欠…親が介護施設で快適に過ごすために子どもができること』へ続く