小林可夢偉(38)「勝利にこだわり続ける」 F1表彰台に立った男が感じた国内モータースポーツの奥深さ【スーパーフォーミュラ2024】

写真拡大

10月11日。

この日つながれた、モータースポーツの「未来へのともしび」。

トヨタ自動車の豊田章男代表取締役会長は取材陣の前で。

「スーパーフォーミュラドライバーの誰かが、世界一速いクルマに乗る日も、実現していきたいとも思っております」

トヨタは、アメリカのF1チーム・ハースと人材育成などで協力関係を結ぶことを発表した。

近い将来、日本の若者たちのF1挑戦への道筋になるかもしれない。

12年前の2012年10月7日。

鈴鹿サーキットで行われたF1日本グランプリで、1人の若者が夢を叶え、歴史の扉をこじ開けた。

日本人ドライバーとして3人目の3位表彰台に上がった小林可夢偉。

今年38歳になった小林の、“現在地”を知りたくて始めた今回の取材。自らの力で、切り拓いてきた道が今に続いていた。

「努力した人が最後は勝つっていう風に信じて、やり続けるしかないと思うし、勝つためにレーシングドライバーをやっている」

小林の戦いの場は、国内最高峰のレース、スーパーフォーミュラにあった。

今年、10年目。小林はスーパーフォーミュラの「最年長ドライバー」として戦い続けている。

「自分が歳をとったっていう意識をあまりしない方がいいのかな、と思います。だいたい口に出すとそういう風になっていくんですよね。勝負に勝つっていうことをチャレンジし続ける」

『勝利にこだわり続ける』

小林可夢偉はそうやって走り続けてきた。レース中の無線でも自らを鼓舞するかのようにチームに話す。

小林可夢偉無線:
まだチャンスあるよ!まだ離れている。

けれど、ここ10年。スーパーフォーミュラでの優勝はなく、表彰台も2019年から遠ざかっていた。

「勝てそうで勝てないレースがたくさんあったりして、いい時もあれば、苦しい時もある。モータースポーツって“極める”ことの究極だと思うんですね。それが結果に出る。どれだけ頑張っていても結果が出なかったら、まだまだなんです」

そんな一方で、若い頃は苦手だったことも始めた。

小林の生活拠点は中東のドバイ。レースで日本と行き来する中、この日はスポンサーからの依頼でビジネスセミナーの講演に訪れていた。

「『一緒に戦っているんだ』という想いをいかに伝えるか。モータースポーツって究極のチームスポーツかもなって僕正直思っています」

大勢の前で自らの思いを語る小林。その理由は。

「自分は若い頃に表現するのが得意じゃなかったから。だからその表現をどうしたら伝えられるのか、みたいなことを考えるようになった。ちょっとでも自分の経験が1人でも多くの人に共感を持ってもらったりとか、何かきっかになれいいなと思います」

10月12日(土)、富士スピードウェイで迎えたスーパーフォーミュラ第6戦の決勝。

小林は、予選11番手から果敢に攻めた。2度のシリーズチャンピオンを誇る野尻智紀と、抜きつ、抜かれつの攻防を繰り広げた。

実況:
1コーナーは小林可夢偉がとった!

勢いそのままに、小林は3番手に浮上。そして実に、5年ぶりの表彰台を手繰り寄せた。

「長かったですね。結果的に表彰台までこられたので、本当に良かったと思うし」

――このレース「極めている」と思いました。
まだまだです。結果が出ていないので。今これで満足することなく、まず一つのゴールである優勝っていうところに行かないと、全然極めているって言えないですから、しっかりやっていきたいなと思います。

11月9日(土)、10日(日)に行われるスーパーフォーミュラ第8戦と最終戦・第9戦。

小林可夢偉は勝利にこだわり続ける。

(映像提供:JRP)