「そこの女、黙れ!」囚人を発狂に至らせる”イラン刑務所”の《完全無音》の独房

写真拡大 (全3枚)

イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。

上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。

世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行にあたって、内容を一部抜粋、紹介する。

『白い拷問』連載第52回

「異教徒の息子」というだけで地獄のイラン刑務所で“禁固5年”...「嘘の自白」をさせられ最後には「死刑」が待ち受ける“最悪の拷問”』より続く

逮捕、そして放置

語り手:マルジエ・アミリ

マルジエ・アミリ・ガファロキはジャーナリスト、学生活動家、政治犯、女性の権利運動家、そして新聞「シャルク」の経済記者でもある。彼女は2019年、テヘランのアルグ・エリアで逮捕された。メーデーの大会参加者が逮捕後にどのような待遇を受けているのか、調べている最中の出来事だった。彼女はそれ以前の2018年3月8日にも、国際女性デーを祝う集会に参加したときに、他の十数人とともに逮捕されたことがある。マルジエはイスラム革命裁判所で10年半の禁固刑と、鞭打ち148回を科されたが刑法134条により、禁固刑は最低6年になった。マルジエは保釈を申請し、2019年10月26日にエヴィーン刑務所より仮釈放され、現在は仮釈放中である。

--どのように逮捕され、なぜ独房に入れられたのですか?

私は5月1日のメーデーに逮捕され、そのままヴォザラ拘置所に連れて行かれました。そこで一晩過ごしました。一緒に逮捕されたのは12人くらいで、ふたつの房に分けて入れられました。

翌日、私たちは裁判所に連れて行かれました。そして裁判所からモスクのような、あるいは--よく分かりませんが--ホサイニヤ(カルバラで殉死したイマーム・フサインを哀悼する儀式で使われる、十二イマーム派の集会場)のような場所に連れて行かれ、そこで6時間ほど放っておかれました。そこがどこなのか、その先どうなるのか分かりませんでした。

私は空っぽのホールにいて、マスクをした男がたまに出たり入ったりしています。女性の警備員がときどき私の様子を見に来ては、去って行きます。着いた瞬間から、私は抗議しました。ここはどこなのか、自分には電話をかける権利がある、と言いましたが、もちろん返事はありません。そこで私は叫び始めました。答えの代わりに、「そこの女、黙れ」という声がどこかから降ってきました。

完全な無音

その半時間後、私は車に乗せられ、収容所に連れて行かれました。あとで分かったのですが、その収容所はサローラ・キャンプの施設だったそうです。そこに9日間拘禁されました。部屋のなかにはトイレとシャワーがあり、全体はおよそ3メートル四方でした。ドアは分厚くて、開口ハッチがついています。もちろんドアはずっと閉まっていて、食事やお茶が運ばれてくるときだけハッチが開きますが、一瞬で閉まってしまいます。

--そこの独房の雰囲気はどうでしたか?

独房は完全な無音でした。私には耐えがたい場所でした。隣に別の囚人がいるかどうか、最後まで分かりませんでした。

--サローラ・キャンプの収容所を出たのち、どこに移送されましたか?

9日後、私は209棟に連れて行かれました。そこの独房に約28日いました。

とても狭かったです。おそらく120センチ×180センチでしょうか。その部屋はトイレのすぐ隣でした。トイレのドアは鉄製でのぞき窓がついているのですが、日中は看守がドアを開けたままにしているので、トイレ側に身を寄せると、他の囚人がトイレに連れて行かれたり、独房に連れ帰られたりしているのが聞こえました。

ここでも独房を出るときは目隠しをさせられましたが、サローラ・キャンプほど厳しくはなかったです。1枚の布切れだったので、巻き方を工夫すると、隙間からあたりが見えました。サローラ・キャンプの目隠しは何層も重なっている布で、巻くと顔の半分が覆われ、口しか出ないほど大きいものでした。

翻訳:星薫子

毛布を広げると「あるもの」が転がり落ちてきて...紙とペンすら禁止の「イラン刑務所の独房」で囚人の女性が発見した「秘密の通路」』へ続く

毛布を広げると「あるもの」が転がり落ちてきて...紙とペンすら禁止の「イラン刑務所の独房」で囚人の女性が発見した「秘密の通路」