「病もまた、神様から与えられたもの」…アルツハイマー病となった夫を何も聞かずに受け入れてくれた女性の”壮絶な過去”

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「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。

だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第21回

『人の輪のなかにいる。ただそれだけで…若年性アルツハイマーの夫とその妻がしみじみと実感した「本当の幸せ」』より続く

友人にも恵まれた今泊教会

沖縄の今泊教会では友人にも恵まれました。

新城春代さん。私より少し年上の女性です。最初の礼拝のとき、私と晋を自宅に招いてくださったのです。初対面だったので驚きましたが、お邪魔しました。彼女の自宅は、地域ではめずらしい洋風の一軒家。丘の上の、今帰仁の空と海が見渡せる場所にありました。

教会で私たちは、アルツハイマー病のことを打ち明けられませんでした。それというのも、晋自身がまだ、自分の病を受けとめきれていなかったからです。

たとえば、本土を離れる前、転居通知を見て友人が訪ねてきてくれたときのこと。晋はいつものように談笑するのですが、病気についてはまったく触れません。本人が伝えない以上、私から伝えるわけにもいきませんでした。彼の意思を尊重したかったのです。彼の気持ちを考えると、この病を受け入れるにはまだ時間を要するように思われました。

でも、隠すことで説明しにくくなる事柄もありました。

たとえば、「なぜ沖縄に来たのか」と問われても、うまく答えることができません。だから私たちの胸には、いつも何かがわだかまっているような違和感がありました。

神様から与えられたもの

でも新城さんは、「なぜ」と問うことが一切ありませんでした。ただ食事に誘い、気にかけてくれる。お返しにと、沖縄の我が家に招いたこともありましたが、それでもあれこれ聞かない。そんな「普通」の接し方が何ともありがたく、かえって思いが募りました。この人には話しておきたい。打ち明けておきたい。彼女なら、私たちの痛みをわかってくれる。そんな気がしたのです。

沖縄へ越してきてから2ヵ月ほど過ぎた、ある日。新城さんが、

「コーンブレッドを焼いたから」

と、また招いてくれました。食事が終わり、晋はリビングで一休み。私と新城さんは、台所で洗い物。今なら、晋の耳には届かない。

「彼はね、アルツハイマー病……」

そう言いかけて、涙が滲むのを覚えました。新城さんは私をしっかりと抱きしめ、

「もうそれ以上、言わなくていい。私はね、どんなに大変な病気か、わかっているの」

病もまた、神様から与えられたもの。

目的があり、試練として与えられたのだから、正直に受け止めて、生きていけるように ーそう耳元で祈ってくれました。新城さんが、折に触れ話してくれたことがあります。彼女の夫はアメリカの退役軍人でした。

しかし脳腫瘍に冒され、手術で一命はとりとめたものの「余命6ヵ月」を宣告されます。しかも半身不随の身となり、言語障害も残りました。そのご主人が9ヵ月後に亡くなるまで、新城さんは、ときには病院に泊まり込みで身の回りの世話をしたそうです。もしかしたら彼女は、かつての自分を私に重ねていたのかもしれません。

『「島流しだ!」と嫌がっていたのに…アルツハイマー病になった東大教授が、沖縄で見つけた「新しい居場所」』へ続く

「島流しだ!」と嫌がっていたのに…アルツハイマー病になった東大教授が、沖縄で見つけた「新しい居場所」