デビュー10周年、小説家・上田岳弘の「本番」がはじまる!最新作『多頭獣の話』の「到達点」

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謎めいた「神話」がIT企業を舞台によみがえる──上田岳弘さんの新刊『多頭獣の話』の魅力を、大澤信亮さんに読み解いていただきました。書評「多塔獣への祈り」を『群像』2024年11月号より再編集してお届けします。

10周年を終えて「そろそろ本番」

これは何なのか。読んでいるあいだ、これを書きながら、ずっと考えていた。

デビュー以来、人類の究極を構想するという唯一無二の超越的な作家性を発揮してきた上田岳弘氏は、『キュー』(2019)を最後に、『旅のない』(2021)以降、『引力の欠落』(2022)、『最愛の』(2023)、『K+ICO』(2024)など、現代の実生活とそこに生きる人々を精密に描く作風へと移行した、ように見えた。それらは伝統的なリアリズム小説ではないし、描かれる主題も月並ではないが、それでも、ある種の異常者でなければ理解できない小説ではなかったと思う(『引力の欠落』を除く)。

本作『多頭獣の話』には『旅のない』以降に描かれた人物が多数登場する。上田氏は本作を自ら「デビュー10周年3部作」の最後にして「本番」の開始と位置づけている。

〈この10年まずはなにより基礎固めをすべきだと思い、ひたすらにそれをなしてきた。この度10周年期間を終えて、ウォーミングアップも終わり、そろそろ本番だなという感覚がある。/そのとっかかりとして、まずは『多頭獣の話』を〉(「本の名刺」「群像」2024年9月号)。

不敵な宣言である。上田氏はここからいったい何をはじめるつもりなのか。

本作が借題している古井由吉の短編「先導獣の話」は、1968年、つまり学生運動の最盛期に、〈人間である面倒はもうこれぐらいにして、この滑らかな機械の動きそのものになりきってしまったら、いっそどんなにか心地よいことだろう〉と夢想する男を語り手に、ある個体の影響をきっかけに走り出す集団の無気味さを描いたものだが、本作における先導獣は「YouTuber」であり、しかもそれは「多頭」なのだ。どんな話か。

「人類の究極」の構想

語り手の「家久来」は都内のIT企業でSEをしている。人並みに会社勤めに疲れた、これといって際立った特徴のない、40歳手前の独身男性である。

家久来は、かつての同僚で、突然の退職後にYouTuberとしてデビューした「桜井」のことが気になっている。自らを「YouTuberロボット」と名乗り、予言系YouTuberとして活動しはじめた桜井=「YouTuberロボット」の動画は、人類にこれから起こる危機を語る「予言編」と、それを回避するための「活動編」という、二部構成を取っていた。予言編では、戦争や環境問題などの深刻な話が語られるが、活動編では、その予言を回避するためにバンジージャンプを行うなど、一種のネタ動画が投稿される。

普通に考えればただのおふざけ動画だが、数年前の動画ですでにロシアとウクライナの戦争を予言していたということがあり、チャンネル登録者数が激増した。もともと動画のクオリティは高く、さらに桜井は同志のYouTuberたちと「ロボット一派」と呼ばれる集団をつくり、各国語に翻訳して海外に向けて発信する体制を整えていたこともあって、「YouTuberロボット」のチャンネル登録者数は2500万人(日本一)に及んだ。

しかし、桜井たち「ロボット一派」の活動は、「血の関西ランウェイ」なるイベントのあと、唐突に途絶える。「ロボット一派」のYouTuberたちは、同日同時刻に自身のチャンネルで活動の停止を報告し、過去の動画すべてを削除した。この社会を騒がせた事件もやがて忘れられた。それから5年後。家久来のもとに桜井から動画のリンクが届く──。

旧石器時代からあった「卍」という文字記号は、人類の根源としての「多頭獣」を示している……。地球のマントルと太陽は同質であり、ゆえに太陽を求めて地面を掘っていく……。人間という存在が「因数分解」され、やがて画一的に統合されていく……。上田節というのだろうか、人類の究極への眼差しは、本作にもちりばめられている。

しかし、私がもっとも気になったのは、桜井=「YouTuberロボット」の試みが、失敗に終わったことだ。

失われた「塔」

桜井は自分の活動の失敗を認め、もはや深い「穴」に落ちていくことだけが望みだと言う。だがもともとはそうではなかったのだとも。〈僕の中にあったヴィジョンは穴ではありませんでした。穴とは逆のものです。とても高い塔。とてもとても高い塔の上で、僕は誰かと向かい合っている。そして延々と終わらない会話をつづけている〉。

桜井だけではない。思えば、『引力の欠落』の「「違うぜ系男子」のなれの果て」(どこか上田氏自身を思わせる)も、〈高い塔を建てる〉という想像を〈具体的に考え続けることで、僕はなんとか頑張ることができた〉のだが、いつしか〈塔の想像では頑張れなくなった〉と告白していた。『最愛の』の謎めく女性「ラプンツェル」も、最後に「塔」から降りてきた。『旅のない』の短編群での「塔」は希薄で、『K+ICO』では「塔」がまったく描かれない。

上田氏における「塔」の特権性について私はかつて書いたことがある(「小説の究極」)。「塔」は論理以前の「ヴィジョン」として氏の超越性を支えていた。それを失うとは何を意味するのか。

コロナ禍を経験したことで、不老不死や「シンギュラリティ」どころか、人類は1万分の1ミリのウィルスで大量死してしまう脆弱な存在であることがわかり、あらためて日常に寄り添っているうちに超越性が消えてしまい、「生きるに値しない世界」と「生きるに値する命」という、誰もが普通に考えて普通に忘れていくような問いに拘泥しているうちに元気もなくなってしまい、暗く深い穴をじっと覗き込む。残されているのは死んだあの子のところに行くことだけ。あるいは無根拠に優しい誰かの手──。

というような話であるはずがない。「塔」を求めた者たちすべてが脱落し、「人間」つまり「ロボット」が勝利した、そんな「失敗作」として私はこの小説を読んだ。小器用な成功を重ねるのではなく、10周年記念の最後に、きちんと失敗しておくこと。

織り込み済みの失敗ではない。コロナ禍という大量死の時代において、くだらない現代社会とそこに生きる人々に本気で塗れることで、人間としての絶望と希望をつかみ、その上でなお、それでは駄目なのだと再び太陽と地球と塔を目指すこと。それが上田氏の「本番」なのだと私は思っている。

【もっと読む】「自作のYouTuberが総出演!無意識から生まれた「神話」がはじまる」では、著者の上田岳弘さんによる『多頭獣の話』執筆秘話をお読みいただけます。

上田岳弘『多頭獣の話』

会社員からトップYouTuberに転身した元後輩の桜井君。またの名を、「YouTuberロボット」。IT企業の幹部としてプロジェクトに忙殺される日々を送る「僕」の前に、再び彼が現れた──。謎めいた「神話」がIT企業を舞台によみがえる、現代のカフカ的傑作!

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