石井琢磨、新アルバム『Diversity』を引っ提げ全国ツアーがスタート! 満場の観客を前に初の自作曲披露も

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2024年9月4日(水)にピアニスト 石井琢磨のアルバム第四弾『Diversity』がリリースされた。“Diversity” は英語で多様性を意味する言葉。クラシック音楽の多様性に迫る石井の新たなプロジェクトだ。発売を記念してのリサイタルツアー 2024 『Diversity』もまた、9月7日(土)の愛知公演を皮切りに9都市11公演、11月17日(日)まで行われる。二日目となる9月8日(日)の東京公演の模様をお届けする。

リサイタルツアー2024『Diversity』東京公演は、9月8日(日)、初台のオペラシティコンサートホールで開催。日曜昼間の公演とあって幅広い層の石井ファンが詰めかけ、大ホール三階席まで埋め尽くした。

颯爽と石井がステージに登場。いつものように胸に手をあて、満場の聴衆に心からの感謝の気持ちを表す。そんなピュアで緊張感ある空気感を保ったままに第一曲目のモーツァルト=リスト(編曲版)による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を演奏。本来は厳かな宗教曲だが、リストによる編曲、そして石井が演奏すると、荘厳な曲調の中にも演奏会の開始を告げるファンファーレのような華やかさがあった。

そしてすぐに次なる作品へ。石井の十八番の一つともいえるグリュンフェルト「ウィーンの夜会」 。華麗な序奏に始まり、“美しく青きドナウ” の旋律を聴いたところで「石井がステージに戻ってきた!」という感覚が甦ってくるから不思議だ。テンポの緩急も気持ちよい程に自由自在。ウィーンの風と薫りが客席に立ち込める。少しアンニュイな和声感も華麗なパッセージとともに粋に聴かせ、リスト張りのオクターブの連打も小気味よい程に完璧だ。石井のアイデンティティを語る100の要素が一曲の演奏の中にすべて凝縮されており、見事な名刺代わりの一曲となった。(本人も演奏後に「自己紹介替わりの一曲」と言っていた!)

続いてマイクを持ち、今回のツアー、そしてリリースされたばかりのアルバム『Diversity』について自ら解説。当アルバムの企画と意図は、まずは「クラシック音楽の多様性を表現することに挑戦したかった」というのが最も大きな理由であり「伝統を守りつつも固定観念にとらわれない革新性を目指し、所々に対比的な面白さも盛り込みたかった」と語った。収録曲のうち数曲は石井自身が編曲している。

続いては「ウィーン・パラフレーズ」と題された一曲。19世紀、ウィーンに華開いたワルツ文化を一挙に支えた音楽一家、シュトラウス・ファミリーによって生みだされた数々のワルツの名曲の断片(パラフレーズ)が、石井の友人でもあるござの編曲によって一つの作品にまとめあげられたものだ。編曲自体の技法も秀逸だが、それを鮮やかに生き生きと情景描写する石井の大胆かつ自由奔放な演奏も見事だ。中間部に出てくる「ラデツキー行進曲」も、シューベルトやべートーヴェンのソナタのような重厚感を感じさせるかと思えば、時折、ラヴェルやドビュッシー作品を感じさせる斬新な要素も加わって幾重にも楽しめる作品だった。

次なる曲はドビュッシー「ゴリウォーグのケークウォーク」。音楽史上において間違いなく革新の作曲家と位置付けられるドビュッシー。石井は、ブラックアフリカの人々の独自の舞踊音楽と西洋音楽の初の融合を試みたこの斬新な作品を取り上げることで当時(二十世紀初頭)のクラシック音楽界における新たな世界観の芽生えについて語った。ジャジーなリズム感とドビュッシー特有の理知的で色彩あふれる和声感との融合をバランスよく聴かせ、石井の音楽的知性と見識の広さを改めて感じさせてくれる選曲・演奏だった。

そして、お馴染み シューマン=リスト「献呈」。石井がこの曲を演奏する際につねに感心させられるのは、ピアノソロであっても、絶対的に歌い手の息づかいそのものが細やかに反映されていることだ(原曲はソロの声楽曲。いわゆるドイツリートの一曲)。この日も石井はピアノ演奏では通常見えてこない、原詩がもたらすフレージングの妙を見事に表現していた。そして、中間部を経て再現部で聴かせた “愛の賛歌”--すべての思いから解放され、心の赴くままに自由と愛の喜びを高らかに謳い上げていたのが印象的だった。

前半最後を締めくくるのは、チャイコフスキーの名曲、バレエ組曲「くるみ割り人形」から「花のワルツ」。バレエ作品を心から愛する石井が、チャイコフスキーの弟子であるタネーエフの編曲版をもとに半年をかけて編曲に初挑戦したそうだ。

イントロダクションでのハープを感じさせる美しいアルペッジョの応酬が早々に聴き手を夢の世界へと誘う。ワルツ部分もゆったりとしたテンポを取り、自ら作品を楽しんでいるかのようだ。短調のドラマティックな旋律ではブラームスのピアノソナタ張りの重厚なロマンティシズムも聴かせる。全編を通して、明るく豊麗な音の響きが印象的で、石井がいかにオーケストレーションを正確に捉え、その響きを熟知しての編曲であったことがよくわかるダイナミックで華麗な演奏だった。

前半プログラムを振り返ると、石井の演奏の秀逸さもさることながら、ピアノの音色の卓越した響きもまた観客を魅了し続けていたのは間違いない。これについては石井本人からも言及された。当日使用されたピアノは本番用に特別に搬入された ベーゼンドルファー コンサートグランド280VC。実際に今回の新アルバムの録音セッションでも使用された楽器と同モデルだ。繊細で高貴、しかし制するのが難しい程のスケールの大きさを持ち合わせたこの楽器を、石井自身があたかも(楽器と)一体化しているかのように自由自在に弾きこなしていたのが何よりも印象的だった。

休憩を挟んでの後半。いつものように「ただいま~!」の一言で石井が元気にステージに登場。冒頭の作品はグリーグの名作「ペール・ギュント」からの一曲だ。壮大な大地にたたずむ主人公ペール・ギュントが見て感じたその感動と思いの丈をスケールの大きい演奏で余すところなく描きだす。

二曲目は石井にしては珍しい選曲だ。坂本龍一「インテルメッツォ」。1998年に発表されたアルバム『BTTB』に収められている一曲。いかにも “Diversity” らしさを感じるセレクトだが、この作品は坂本が愛してやまなかったブラームスの間奏曲(インテルメッツォ)にオマージュを捧げた一曲と言われている。今回のプログラムにおいて、意図的にブラームス「間奏曲(インテルメッツォ) 作品118-2」が続けて演奏されたのはいかにも興味深い。

坂本自身、「ブラームスのインテルメッツォ(間奏曲集)という作品群を好きというよりも、むしろリスペクトしている」と語っていたというエピソードを石井も披露していたが、低声部(バス)の動きから、その内面に激しく燃える情動の移ろいといい、ブラームス作品が貫く本質に坂本自身、大きく魂を揺さぶられていたことが深く感じられる作品だ。石井はそれらの要素を踏まえながら、みずみずしい現代性をも湛えた坂本特有の世界観を粛々と、しかし内面に燃える情感で濃密に表現した。そこには、また石井自身の(ブラームスと坂本)二人の偉大な作曲家への謙虚なリスペクトも感じられた。

続いては雰囲気をガラッと変え、ミュージカル『メリー・ポピンズ』の中の、かの有名な一曲「チム・チム・チェリー」を菊池亮太の編曲版で聴かせるという大胆な試みだ。石井は友人であり、尊敬する演奏家でもある菊池に、あえて “ラ・カンパネラ風の編曲で” と依頼したことで、最終的にとてつもない難曲になってしまったそうだ(!)。

確かに冒頭から リスト「ラ・カンパネラ」を思わせる勇壮なイントロ。オクターブの連打の応酬ながら流麗な旋律の運びが美しい。と、物思いに浸っていると、一挙に悪魔的なヴィルトゥオージティ(技巧的な)なパッセージへと変幻してゆく。さらに所々で予期せぬかたちでパロディ風に「ラ・カンパネラ」のパレフレーズがとどめを刺すところが実に面白い。と、言っても全体的にはシリアスでロマンティックな曲想に仕上がっているところがいかにも芸達者な奇才 菊池の編曲らしい。編曲に際しては石井も菊池と多くの議論を交わしたそうで、勘どころを得た石井の自信あふれる演奏を通して作品を数倍楽しめた感がある。二人のアーティストの力が一つとなって生みだした名作だけに、今後もぜひ弾き継がれて欲しいものだ。

そして、本プログラム最後を飾るのは ホルスト=石井琢磨・横内日菜子編曲による 組曲「惑星」から「ジュピター(木星)」。組曲の中で最もポピュラーな作品だ。演奏前に「僕と一緒に “ゾーンに入って” 一緒に宇宙旅行を楽しみましょう!」と一言投げかけ、聴衆を未知なる旅路へと誘う。

木星(ジュピター=ゼウス)は占星術で歓喜や快楽をもたらす星。物事を大きく良き方向に発展させる星を象徴するかのようなエネルギーあふれる躍動的な冒頭の旋律が印象的だ。石井の演奏は速いパッセージの導入部から一気に大気圏へ---そして、さらに深層へとワープ―--というような時空間を超えたストーリー性が手に取るように感じられるものだ。それは卓越したテクニックといわゆる “持っていき方” の巧みさもさることながら、彼自身の「聴衆に伝えたい」という強い気持ちと気迫がなせる業なのだろう。

そして、あのジュピターの感動的なコラール風のテーマが鳴り響く。ベーゼンドルファーのダイナミックで温かみある音もあいまって会場全体を感動の余韻が包み込む---。
しかし、未知なる世界との遭遇に歓喜する束の間のひと時も過ぎ去り、地球への帰環の時が迫り来る……。石井は宇宙船をナビゲートする船長のごとく音の世界を通して時空間を自由自在に操り、聴衆をさらなる未知なる遭遇の華麗なフィナーレへと誘った。

全プログラム終了後、スタンディングオベーションで石井の登場を待ちわびる客席。そこに突然、一階平土間客席中央の扉から石井が登場。客席はよりいっそうの盛り上がりをみせる。

そしてアンコール。初の自作品「なつかしさ」を演奏。遠い日の記憶を手繰り寄せるようにしっとりと始まったかと思うと、展開部ではしっかりヴィルトゥオジティを披露(!)。石井らしいピュアな感性が凝縮された美しい一曲だった。

そして、最後の一曲として演奏したのは やはりリスト「ラ・カンパネラ」だ。自らが想い出の動画と位置付けする石井のあるYouTube動画がついに100万回作成を突破したという。その記念として、聴衆に感謝の気持ちを込めて演奏したのがこの一曲だ。ファンに愛され続ける石井の「ラ・カンパネラ」は、今後も大きな輪を広げ続けてゆくことだろう。

取材・文=朝岡久美子 撮影=池上夢貢