「日本とロシアどちらが勝ったのか?」日露戦争を知らなかったトランプに見せた、日本政府の“大人の対応”…「もしトラ」に備えた苦渋の二股外交

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今年11月のアメリカ大統領選挙の結果は日本の対米外交にも大きな影響を及ぼす。これまでの米大統領と日本の首相の関係をもとに池上彰が日米外交のジレンマについて解説。

【画像】首相在任時にトランプ大統領と最後まで関係修復できなかった欧州の要人

『池上彰が見る分断アメリカ 民主主義の危機と内戦の予兆』(ホーム社)より一部抜粋・再構成してお届けする。

プーチンも望む〝トランプ大統領〞

ロシアのプーチン大統領はアメリカの大統領選挙について聞かれ、「トランプ氏よりも、予測可能で古いタイプの政治家であるバイデン氏の方が望ましい」と答えました。はたして本音なのでしょうか。

2024年2月、トランプは、大統領在任中にNATO加盟国のある首脳に「軍事費用の足りない国がロシアの攻撃を受けたら、アメリカはその国を守るか」と問われ、「守らない。むしろやりたいようにやれと勧める。あなたは(国防費を)負担しなければならない」と伝えたと報道されました。

これはトランプ本人がサウスカロライナ州での選挙演説で述べたもので、実際にそういうやりとりがあったかどうかはわかりません。自分はNATOの首脳にもこんなに強気に言えるぞ、という支持者へのアピールだっただけかもしれません。

これに対して、バイデン大統領をはじめNATO加盟国の首脳からも批判の声が上がりました。そして「ロシアにやりたいようにやれと言った」という発言を聞いた多くのアメリカ人が、トランプはロシア寄りだと感じました。基本的にロシアに反感を抱いているアメリカ国民にそう思わせることは、選挙にとってはマイナスです。トランプは自慢のつもりで言ったのでしょうが、選挙を考えれば失言でした。

これを知ったプーチンは、バイデンに支持が流れることに焦りを覚え、「バイデンが望ましい」と答えてトランプの失言による影響を消そうとしたのです。プーチンにとっては、トランプが望ましいに決まっています。

プーチンが「バイデンの方が望ましい」と言ったのを聞いたトランプは、一瞬間を置いてから、ロシアにとってはバイデンより自分の方が脅威になると認めたのだ、と語ったそうです。その一瞬には、プーチンはバイデンより自分の方がいいはずなのに、と考えたに違いありません。

これをすると一発アウトなトランプが最も嫌うこと

結果的に世界は「もしトラ」に備えるようになっています。予測するだけでなく、そうなった場合のために、すでに動き始めているのです。そうするとバイデン政権は1期目にしてレームダックになります。レームダックとは、ヨタヨタ歩きのアヒルという意味で任期の終わりに影響力を失った政権や政治家を指します。

つまり本来ならばバイデン政権がレームダック状態になるのは2期目の終盤なのですが、トランプが復活した場合のインパクトがあまりに大きいので、こうなってしまったのです。

2016年9月、当時の安倍首相はニューヨークに赴き、ヒラリー・クリントンと会談をしています。ここで安倍首相は、「再びお目にかかれてうれしい。私の政権が進めている『女性が輝く社会』にいち早く賛同の意を表明していただいたことにお礼を申し上げたい」と述べました。大統領選挙中に首相が候補者と会うのは極めてまれです。

外務省が当選確実と見たヒラリー・クリントンに、いち早く挨拶をしておいた方がいいとアドバイスしたからだといわれました。しかし結果は、ヒラリー・クリントンではなくトランプが大統領に決まったのでした。

焦った安倍首相は、トランプの当選決定の直後、ニューヨークのトランプタワーに出向いてトランプに会います。現大統領ではなく次期大統領と首相が会うのも異例なことでした。これはトランプにとっても大統領に決まって初めての外国首脳との会談になりました。こうして安倍首相がトランプの胸に飛び込むことによって、初期の失敗を帳消しにし、異例ずくめの日米首脳関係が生まれたのでした。

オバマ大統領と任期が重なった4年間で安倍首相は10回の電話会談を行っていますが、トランプ大統領とは30回に上ります。ゴルフも4回あり、令和になって初めての国賓もトランプ大統領でした。安倍元首相に近い人から聞いたのですが、トランプが最も嫌うのはマウントを取られることだそうです。上から目線でものを言うと、一発でアウトだそうです。

同じ轍を踏みたくない日本政府

安倍元首相との間で過去の話になったとき、安倍元首相が日本はかつてロシアと戦争をしたと言うと、トランプは日露戦争を知らなかったそうです。その上で「それでどちらが勝ったのか?」と聞き、「日本が勝った」と答えたら「おお、それは良かった」と言ったそうです。このとき、日露戦争も知らないのか、という態度をとっていたら、日米関係は大いに難しいものになっていたでしょう。

一方ドイツのメルケル首相は最後まで関係修復ができませんでした。トランプ大統領はメルケル首相に会ったとたん「見下されている」と感じたそうです。結局ドイツはトランプ政権と友好的な関係にはなりませんでした。

一方、岸田文雄首相はバイデン大統領と良好な関係を築いています。2024年4月には国賓待遇で訪米。バイデンとの親密さをアピール。アメリカ議会でも演説を行いました。

しかし、ここでジレンマに陥っているのが日本の外交です。バイデン大統領との親密さをアピールすると、トランプは面白いはずがありません。「もしトラ」が現実になった場合、トランプが日本に厳しい態度をとる恐れがあります。そこで考えたのが、実質的には日本政府の名代だけれど、建前としては自民党副総裁である麻生太郎がトランプと会談することでした。

2024年4月、ニューヨーク州での裁判が続くため、ニューヨークのトランプタワーに滞在しているトランプを訪ねて会談。安倍元首相の思い出話をしたそうです。きっと「あなたが大統領に返り咲いたらよろしく」と伝えたのでしょう。これぞ典型的な二股外交ですが、もしトラの可能性が高まってきたために余儀なくされた、日本政府の苦渋の決断だったのです。みっともないですが。

『池上彰が見る分断アメリカ 民主主義の危機と内戦の予兆』(ホーム社)

池上彰

2024年8月26日

1,100円(税込)

192ページ

ISBN: 978-4834253863

アメリカには、南北戦争以来の分断の歴史が存在していた。その分断を表面化させたのが、ドナルド・トランプの出現だった。いま、アメリカの民主主義は存亡の危機に直面している。2024年の大統領選挙でアメリカは何を選択するのか。新たな南北戦争は起こるのか――

大国アメリカが未曽有の混乱の渦中にある。インフレ、経済格差、宗教問題、移民問題など、数々の課題が山積し、さらにロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ攻撃に対するバイデン政権の対応も不安定である。加えて、トランプが残した分断は確実に拡大を続けている。分断進むアメリカの現状と、それが日本や世界に及ぼす影響を、幾度も現地に渡って取材を重ねてきた池上彰が鋭く分析する。

「このままでは、2024年11月の大統領選挙の結果がどうであろうと、アメリカは内戦に陥る危険性を孕んでいるのです。なぜなのか、どうしてなのか、これからどうなるのか。そんな疑問をひとつずつ解き明かしてまいりましょう」(はじめにより)

○第1章 トランプはなぜ当選したか
分断の始まり/反知性主義という分断/グローバル化がアメリカにもたらしたもの/福音派の原点 他
○第2章 第一期トランプ政権は何をしたか
政権運営にあたって/TPPからの離脱/NAFTAも批判/アメリカへの不法移民を生み出す 他
○第3章 トランプの裁判の行方
検察官は選挙によって選ばれる/陪審員による起訴と裁判/四件の起訴内容/機密文書を持ち出した 他
○第4章 分断進むアメリカ
民主党員と共和党員では見ているテレビが異なる/インフレが両陣営の分断招く/移民の受け入れめぐる対立/人工妊娠中絶めぐり対立 他
○第5章 「もしトラ」で何が起きるか
復讐心に燃えるトランプ 国家公務員10万人を追放!?/在韓米軍の撤退とNATOからの離脱/中国政策/イスラエル全面支援と権力の空白 他
○第6章 迫りくる民主主義の危機
新たな南北戦争?/プーチンも望む“トランプ大統領”/同じ轍を踏みたくない日本政府/世界の新たな分断 他