純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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敵味方がそれ手に入れようと争っているが、双方とも、それが何か知らない。キプリングの冒険小説はいつもそうだ、とヒッチコックが言って、自分の作品でも頻繁に利用した作劇法。しかし、これはさらに元ネタがある。ルイス・キャロルの『スナーク狩り』だ。

ハイデガーは、実存 dasein がモノに先立つことの実証として、モノを探す例を挙げた。モノを探すとき、実存はすでに探されるモノを先に見つけている。が、典型的なドイツバカのハイデガーには、「教養」と「ユーモア」が欠けていた。彼に先行して、ルイス・キャロルが、まさにハイデガーみたいなやつをスナークとしてあげつらっている。

スナークにはユーモアが無い。冗談が嫌いで、難解を好む。やたら野心的で、すぐに火を吐く。触れただけでも、マッチが燃え上がる。外面はぱりっと香ばしいが、中は空っぽ。夕暮れまで寝ていて、自分の屋台に籠もり、割れ目だらけの遠い島に住んでいる。

キャロルの『スナーク狩り』は、同じンセンス詩でも『アリス』のシリーズなどより暗い。登場人物がみな帽子屋みたいなやつら。これも元ネタがあって、as mad as hatter という言い回しがキャロルより前からある。帽子屋は、かつて、羊毛をフェルトに固めるのに水銀蒸気を使っており、その水銀中毒で中枢神経をやられ、「職業病」としてエレティスムを発症し、過敏症から興奮、憔悴、記憶障害、そして、譫妄を起こした。

じつのところ、水銀エレティスムかどうかわからないが、キャロル自身が、片耳が聞えず、つねに奇妙に曲がった姿勢で、まっすぐ立ったり座ったりできなかったように、なんらかの似たような発作を抱えていた。(青年期の百日咳の後遺症とも言われるが、それにしては、かなり重症であり、彼の11人もの兄弟全員が吃音で、吃音は水銀中毒の典型症例。彼の母も髄膜炎かなにかで若くして亡くなっている。彼の一家がいたデズバリーは、産業革命最盛期のマンチェスターとリバプールの間にあり、このあたりは、魚を含め、いまだに河川や土壌は有機重金属の工業汚染がひどい。)

その時代、異常者は、おうおうに座敷牢ないし怪しげな「マッドハウス」に密かに送られ、厄介払いされていた。1774年、つまり、米国独立戦争とフランス革命のころ、マッドハウス法で王立内科医師会がこれを監督することになり、1845年に設立された狂気委員会では、医師三人だけでなく、弁護士三人、篤志家三人も加わって、まともな認定「病院」に隔離すべく、「保護」に当たった。この委員会の事務長が法廷弁護士だったキャロルの叔父。

とはいえ、そもそもいったい何が「狂気」か、定義が欠けているのだ。スナーク狩りにいく九人+ビーバー(叔父?)は、じつは、この狂気委員会メンバーのパロディで、狩る偏執的な医師や弁護士、篤志家たちと、狩られる狂人たちとどっこいどっこい。何を探しているのかもわからないまま、大真面目に迷走し続ける。キャロルは、自分を幻のドードー鳥に喩えるような自覚のある当事者として、これをからかわずにはいられなかったのだろう。

これに共感したのが、『ムーミン』で知られるトーベ・ヤンソン。アニメはかってに絵柄を変えてしまっているが、あれにはヒロインのノンノンとかフローレンとか呼ばれる「スノークのおじょうさん」が出てくる。トロール族とスノーク族は、もともとは見た目もかなり違う。というのも、ムーミンシリーズより前、戦時の1943年中にすでに、ヤンソンはスノークという、しかめ面の自画像キャラクターを立てており、ヤンソンがキャロルの『スナーク狩り』にイラストをつけているように、スノーク族は、じつはキャロルのスナークをイメージした、通俗社会の外の存在。ムーミンパパがシルクハットをかぶっているのも、キャロルの帽子屋の延長。ヤンソン自身、いろいろメンタルに不安定で、知ってのとおり、戦後にムーミンが売れるとすぐ、彼女の「彼女」と、離れ小島に籠もってしまった。