世界的な金融危機「リーマン・ショック」では、日本でも多くの企業が倒産に追い込まれた。ケネディクス元社長の川島敦さんは「2009年、ケネディクスは184億円の赤字となった。生き残るにはさらなる増資が必要だったが、投資家からの反発は大きく、納得してもらうために世界を飛び回った」という――。

※本稿は、川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/IrKiev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/IrKiev

■返済のめどが立たない転換社債200億円

ケネディクスが保有するキャッシュは8月末時点で20億円と絶望的な状況だった。ゴールドマン・サックスやドイツ証券など投資銀行の担当者は、それを見かねてさまざまな資金調達案を提案してくれた。どれも良い案なので「それでいきましょう」と返答するのだが、実施に移そうとするとニューヨークの本社審査部門からゴーサインが出ない。その理由は次の通りだった。

「2009年12月の転換社債200億円はそれで問題ない。しかし、翌年に控えている普通社債150億の償還はどうするつもりなのか。そこまでは面倒を見ることはできない」

万策尽きた。もはやXデーを待つしかないのか――そう覚悟したところで、UBS証券のケネディクス担当者、戸田淳氏(現・プロロジス・リート・マネジメント取締役副社長)と坪山昌司氏(現・キャピタリンク・パートナーズ代表取締役)が奥の手を繰り出してくれた。「プロジェクト・リンドバーグ」と名づけられたウルトラCだった。

戸田氏は開成高校の6年後輩で、坪山氏も東大の都市工学科の6年後輩。彼らはこう言ってくれた。

「前例のない思い切ったやり方があるんです。それでやってみましょう」
「ありがとう。でも今までの案は全部、本国で却下されちゃったんだけど。大丈夫なの?」
「問題ありません。200億円以下の資金調達であれば、日本の引受審査部の権限内です。任せてください」

■開成・東大の後輩が繰り出した「ウルトラC」

戸田氏はこう請け合ってくれた。その方法だが、まずケネディクスが新株を発行し、これで現金を調達する。もちろん危ない会社の株の引受先は少ないので、200億円の償還資金すべてを調達するのは無理。しかし、それを承知で買ってもらえる最大限の株式をあえて発行し、調達できた資金を全額社債の償還に充てる。それでも足りない分は、期間3年の新社債を発行してステークホルダーたちが持っている古い社債と差し替える。新しい社債と古い社債を交換するのだ。

それで承諾してくれたステークホルダーにはお金を支払う必要はないので、キャッシュは用意しなくてもいい。「エクスチェンジ・オファー」と呼ばれる手法で日本ではもちろん初めて、海外でも事例は少ない。

「このやり方で年末の200億円の社債償還はクリアできます。そして翌年の150億円の社債の償還ですが、この物件とあの物件が売れるので、十分に資金繰りがつくはずです」

という見事な絵を戸田氏は描いてくれたのだ。彼がケネディクスのバランスシートを徹底的に研究した成果だった。UBS証券の引受審査部門を突破することができた。

また、坪山氏はこの複雑な償還スキームの細部まで実に緻密に設計してくれた。企業の資本政策の立案や設計に関しては、彼は僕の知っている限り日本一の能力者だと思っている。ケネディクスは本当に強運な会社だ。

■社債を持っている投資家に「揺さぶり」をかける

問題は、この見事に描かれた絵が本当に現実のものとなるのかということだった。ケネディクスでは3つのチームを立ち上げ、世界中を飛び回って必死に取り組んだ。1番目と2番目のチームは資金に余裕のある投資家を相手に「日本の不動産ファンドの運用会社はほぼ潰れて、ケネディクスだけが残っています。新株を引き受けてくれれば生存者利得を得られますよ」と説得した。

3番目のチームはすでに社債を持っている投資家にこう揺さぶりをかけた。「新株を売って金をつくり、社債を償還します。足りない分は新しい社債と交換してください。もし了承いただけないと会社が潰れて、今お持ちの社債はゼロ円になってしまいます」。

転換社債というのはある意味では怖い商品だ。保有したプロの投資家たちの中にはこれを普通社債部分とオプショナリティ部分(株式に転換できるかもしれない権利)に分離して、それぞれを転売して商売をする人もたくさんいる。持ち主が次々と変わり、世界で誰が保有しているのかわからなくなる。UBS証券はこれを丹念に調べ上げた。

■その日の予定を全部キャンセルして高知へ

ある時、「四国の地銀が社債部分だけを保有しているが、どうすればいいかと思案している」という情報を入手したため、その日の予定を全部キャンセルして坪山氏と二人で高知に飛んだこともある。その地銀の担当者にはこう申し入れた。

高知市(写真=Nobunaga24/PD-user/Wikimedia Commons)

「あなたが保有する社債ですが、今回のエクスチェンジ・オファーに応じてほしいのです。その社債をアレンジした証券会社に頼んで日本国債と交換してもらうことにするので、いったん応じてください。そうすればあなたの元本は確保できます」

また、中堅証券会社が転換社債を額面の半額で取得し、20%の利益を載せて顧客の個人投資家に転売したとの情報を入手。同社の支店長会議に急遽出席させてもらい、状況を詳細に説明して自分たちが売った顧客に今回のエクスチェンジ・オファー・スキームに同意するよう説得してくれと懇願した。

■ケネディクスの生存者利益に懸けた投資家たち

こんなことを何週間も続けた。そして、いよいよ新株の募集開始の日が来た。果たして潰れそうな会社の新株発行に予約は入るのか?

実は本プロジェクトを開始した頃、ケネディクスの生存者利益に懸けてみようかという投資家が2社現れた。ボストンの巨大ファンド、フィデリティとニューヨークの名門ファンドのオッペンハイマーだった。この2社で新規発行予定株式数の40%近くを引き受ける用意があるという。米国には懐が深い投資家がいるのだなと驚いた。この有名な2社が意向を表明してくれれば、他の世界の投資家もついてきてくれる可能性が高まる。平常時からまめにIR(投資家説明)をやっておけば、非常時に役に立つこともあるのだなと今にして思う。

写真=iStock.com/aiisha5
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/aiisha5

■「プロジェクト・リンドバーグ」は180億円を調達

もう二人ほど忘れられない投資家がいる。一人はジュネーブのフィリップ・ジャブレというヘッジファンド。ジャブレ氏は額面で40億円分の転換社債を持っていた。もちろん潰れそうな会社の社債を額面の5分の1くらいの安値で取得しているはず。ジャブレ氏は電話の向こうで「もし額面通りに償還されるのであれば、償還された資金の半分を新株の購入資金に回してもいいよ」と言った。これはとてもラッキーだった。

もう一人はその昔、大阪ナスダック・ジャパン上場の頃に60%の株式を取得していたタワー投資顧問の清原達郎氏だ。彼は株式投資家なので社債は保有していなかったが、「ケネディクスが新株を発行して、生存者利益を貪るのなら大口で買ってもいいよ」と大量発注してくれた。欧米だけでなく、日本にもこういう投資家がいるのだ。

かくして「プロジェクト・リンドバーグ」は奇跡ともいえる成功を収めた。調達したお金は何と180億円に達していた。もちろん全額社債償還のために使ったので、ケネディクスにとっての真水とはならなかったが。

■続いてSMBCが140億円の巨額融資

「プロジェクト・リンドバーグ」が見事に成功し、2009年12月の社債の償還を奇跡的に乗り越えられたことで、銀行が動き出した。三井住友銀行が貸し出しを増やしてくれたのだ。140億円とケネディクスにとって驚くべき巨額の融資だった。

これは「資本増強なきところに金融支援はあり得ない」ということに尽きる。毎月のようにキャッシュが流出していき、三井住友銀行の担当者とも土日も出勤して資金繰りや貸し増しの相談を重ねたが、新株を発行できて資本増強を成し遂げたのを見届けた上で支援を決めてくれたのだ。結局はそういうことだったのだ。銀行のロジックがようやくわかった。

しかし、だからといって銀行はただでお金を貸してくれるわけではない。当然、担保は必要となるし、翌年にはまた次の社債の償還期限が来て資金不足になるのは目に見えていた。三井住友銀行は、ケネディクスのクラウンジュエリーといえるリートの運用子会社KDRMと私募ファンドの運用子会社のKDAの株を保有する持ち株会社KDAMを新規につくり、その株式の15%をSMBC系の会社に保有させることなどを融資の条件として提示してきた。もちろん受諾せざるを得なかった。

ケネディクスという会社を三井住友銀行に搦(から)め取られたような気がしないでもなかったが、これでいいのだと思った。なぜなら、これほどまで銀行が関与してくるというのは、ケネディクスを生かすことを決めたということにほかならないからだった。

三井住友銀行の旧・大手町本部ビル(写真=Lover of Romance/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons)

■「絶対にヤリでっせ。攻めの案件です」

しかし、こんな難しい巨額の融資を銀行がおいそれと通してくれるものではない。実はこれには裏話がある。「誠実でウソだけはつかない」とケネディクスを評価してくれ、応援団になってくれていた同行の清水喜彦常務執行役員が動いてくれていたのだ。

清水常務執行役員は当時、監査部担当役員であり融資の可否を判断する営業案件には本来、口を出せる立場ではなかった。それでも清水さんはやってくれたのだ。

どのようにしたかというと、それは“連れション”だったそうだ。三井住友銀行では旧住友銀行の慣習にあわせ役員室の扉を閉めない決まりになっていたので、部屋の中から外の廊下を誰が歩いているかが一目でわかるのだ。経営会議の数日前、廊下に奥正之頭取の姿が見えた。奥頭取がトイレに行くのだと思った清水さんは後を追い、自分もトイレに入った。そして並んで用を足しながら奥頭取に「ケネディクスへの140億円の融資、あれ絶対にヤリでっせ。攻めの案件です」と言ってくれたのだった。

こうしてケネディクスへの融資案件は無事、三井住友銀行の経営会議を通過した。つくづくケネディクスは強運な会社だと思った。

■2010年正月明けの「社員へのメッセージ」

200億円の転換社債を償還、三井住友銀行からの140億円融資も実現したが、2010年10月には150億円もの普通社債償還が残っていた。

以下は、2010年正月明けの僕(川島)から社員へのメッセージ。

社員向けレター

「2010年1月4日

社員の皆さん。

あけましておめでとうございます。2010年は皆さんにとって、どんなお正月でしたか?

昨年はケネディクスにとって大変な1年でした。何度も『もうダメか!』と思いましたが、最後は社員の皆さんをはじめ、社外の多くの応援団のおかげで生き残ることができました。たくさんの同業他社が消えていく中、『ケネディクスだけは何としても生き残ってほしい』という、SMBCをはじめとする数多くの声援に背中を押され、気がついたら自分自身が『今は亡き同業のためにも絶対に生き残るのだ!』という強い信念の塊になっていました。

しかしながら、油断はできません。まったくできません。2009年はバランスシートのリストラの第1弾が終わったにすぎません。2010年はまだまだ難問山積です。

1.新設会社のケネディクス・アセット・マネジメントの立ち上げ→SMBCへの確実な返済
2.韓国ファンド組成等による、BTMU旧シンジケートローンの完済
3.池袋の新築ビルの双日からの引き取り
4.メザニン保証の履行必要債務の極小化
5.SMBC・BTMUシンジケートローンのリファイ(リファイナンス)、長転
6.社債150億円の返済
7.新商業ファンドの組成
8.ケネディクス・アドバイザーズの強化(提案力、リファイ力、売却力等の養成)

などなど……

これらを一つ一つ着実に仕上げなくてはなりません。かなりしんどいですが、何としてもやるしかないです。これらをやり遂げることができたら、ようやく2011年から一安心できる会社になれるはずです。

また、オフサイト・ミーティングの時にも説明したように、2008年、2009年と連続赤字となってしまったので、2010年は何とか連結最終黒字にしたいです。どんなフィービジネスでもいいので、みんなで貪欲に収益機会をものにしましょう。そして、早ければ2010年、遅くとも2011年には復配したいものです。

それでは、ケネディクス、ケネディクス・アドバイザーズ、ケネディクス・リート・マネジメント、ケネディクス・アセット・マネジメントの4社でケネディクス・グループにとって最高のパフォーマンスが上がるよう、一丸となって頑張りましょう! 世界中のケネディクス・ファンのためにも‼」

■184億円の最終赤字、出血は止まっていなかった

2009年12月期は80億円の予想を下方修正し、184億円の最終赤字となった。出血は止まっていなかった。株式発行授権枠(企業が発行可能な株式数の上限)はプロジェクト・リンドバーグでほぼ使い切っていたので、新株は発行できずなす術がなかった。もともと定款上発行できる株式数は140万株。プロジェクト・リンドバーグ前までは発行済株式数が63万7000株。プロジェクト・リンドバーグで新たに発行した株式数が57万5000株。つまり発行済株式数は121万株。あと19万株弱しか発行枠がなかった。

この上は、再び授権枠を広げる特別決議を2010年の株主総会で取り、さらなる増資を行って償還資金を捻出するしかないと考え、発行可能株式数を100万株広げて240万株にしたいと提案した。

「これは怪しい。昨年末に180億円集めたばかりなのにまた増資するのか。その180億円も赤字決算で一挙に吹き飛ばしたというのに」

株主からの非難にこう応じた。

「あくまでも万が一のための準備です。仮に増資するにしても、既存株主の保有割合に応じて新株を割り当てる『ライツオファリング』方式でやるとか、日本を代表するような大企業がケネディクスと資本提携をするなどの、特別の場合だけです」

■「プロジェクト・ノルマンディー」と投資家からの罵声

何とか株主を説得し、3月の株主総会で特別決議を取った。そして時を移さず5月に増資を発表した。これを「プロジェクト・ノルマンディー」を名づけたが、発表するや世界中の投資家から「裏切り者!」と罵声を浴びせられた。毎晩のように欧米の機関投資家から電話があり、「どういうことなんだ!」と詰め寄られた。

しかも2010年はギリシャ・ショックが発生し、世界中の株価が暴落していた。ケネディクスの株価もプロジェクト・リンドバーグの時の3万3000円から1万5000円まで下がっており、前年に180億円もの新株を買ってくれた投資家たちは膨大な含み損を抱えていた。「なんでこんな大切なタイミングでギリシャがおかしくなるんだよ! クソ!」と思わず口走った。でも強行するしかない。150億円の社債を無事に償還しなくてはならないのだから。

一方では、ありがたいことに2008年にケネディクスのリートが暴落した時に運用会社の株式の10%を買ってくれた伊藤忠商事の岡田賢二さんが再び動いてくれて、今度はケネディクスの本体の株式の5%を第三者割当増資で引き受ける決断をしてくれた。これを武器に投資家を説得するしかない。

■日本風に土下座をして説明すべきかどうか

投資家向けロードショー(説明会)を再び行うため世界を飛び回った。みんなカンカンに怒っていたが、「よく聞いてくれ」と粘り強く諭した。

「3月の株主総会で特別決議を取る時に言ったように、今回の増資はちゃんと日本を代表する伊藤忠商事にも5%出資してもらう。それと、ライツオファリングと同じように、既存株主が好きなだけの株式を買えるように最大限の努力をする。発言した通りで何の問題もない」と言い続け、最後は皆、納得してくれた。

日曜日にスイスに飛び、月曜日にジュネーブとチューリッヒの投資家を回り、火曜日は一日中ロンドンの投資家に説明、夜行便でボストンに飛び、水曜日はボストン、木曜と金曜はニューヨークの投資家を回り土曜日の直行便で東京に戻る。「もうこうなったら地球を何周してでも世界中の投資家を納得させてみせる!」。そんな思いだった。

でも、2009年のプロジェクト・リンドバーグの際に何十億円もの新株を買って、救世主となってくれたボストンのフィデリティ訪問だけはものすごく気が重かった。ギリシャ・ショックがあったとはいえ、わずか半年で何十億もの含み損を抱えさせてしまったので……。会議室に入るなり、日本風に土下座をして説明すべきかどうか、前の晩ホテルで真剣に悩んだ。

■死闘の25カ月の末、生存確率が100%に

ところが当日、ものすごく緊張しながら会議室に入ると5人のファンドマネジャーがいきなりこちらを向いて握手を求めてくるではないか! いったいどういうことなのか理解できないでいると、「お前は約束を守った。日本初のライツオファリングやってくれるらしいね。だったら好きなだけ買うよ。その代わりもっともっと大きくなれよ!」。

これはうれしかった。もちろん向こうはプロの投資家だからたくさん儲けたいのはわかっていたが、それにしても彼らの懐の深さには感動した。涙が出た。

こうして何とか無事に150億円の償還資金を捻出することができた。

川島敦『100兆円の不良債権をビジネスにした男』(プレジデント社)

その同じ頃に、横浜市の新横浜たあぶる館(現・タノシオシンヨコハマ)などを韓国の投資家に約100億円で買ってもらった。さらにシンガポールの投資家に老人ホームをいくつか売却して真水をつくった。その結果、2010年6月の運用資産残高を示すAUM(アセットアンダーマネジメント)が初めて1兆円を超えた。

業績のほうは2007年の社長就任時は146億円の史上最高益、2008年は108億円の赤字、2009年は184億円の赤字。何としても2010年は黒字にしたかったが、リーマン・ショックの爪痕は深く、残念ながら25億円の赤字に終わった。しかしこれ以上は大きな返済の山もない。やっと生還できた! 死闘の25カ月の末、ようやく生存確率が100%になったのだ。

----------
川島 敦(かわしま・あつし)
ケネディクス元代表取締役社長
1959年、東京都生まれ。開成高校を1977年に卒業、東京大学工学部を卒業後、1982年に三菱商事に入社、イラクと香港で建設実務を習得。1990年に安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)に移り、不動産関連業務で実績を上げた。1998年にケネディ・ウィルソン・ジャパン(現・ケネディクス)に移籍。2001年に取締役副社長、2007年3月に代表取締役社長に就任。2013年3月代表取締役会長、2019年3月より顧問。ほかにSMBC信託銀行顧問、日本エスコン社外取締役などを務める。
----------

(ケネディクス元代表取締役社長 川島 敦)