「なるめん」の道理大樹さんは、ラヲタと決別したことで、ラヲタになったという稀有な店主だ(筆者撮影)

6月12日、都内のとあるラーメン店の店主のXでのつぶやきが話題になった。

6月12日(水)
12:18〜15:00

カレーラーメン(少し海老を使用してます)

デキがイマイチなので無料でいいです
大盛りやトッピングの用意無いので着席したら勝手に作ります
機嫌悪いんで慰めでお金払うのとかはマジでご遠慮ください

このつぶやきは16万インプレッションを叩き出した。12時18分営業開始という奇妙な時間や、出来が悪いので無料提供とは斬新と話題になった。

このお店は東京・大岡山にある「なるめん」。レギュラーメニューなし、営業時間も不明という飲食店としてはかなり珍しいスタイルを貫くお店。店主の道理大樹さんを取材すると、その歴史からこのスタイルの理由が見えてきた。

名店に通う日々を送った学生時代

道理さんは神奈川県海老名市出身。高校時代に友人に小田急相模原駅近くにある横浜家系ラーメン店「町田家」に連れて行ってもらい、ラーメンの美味しさを知る。

それまでインスタントラーメンやスーパーマーケットにあるフードコートのラーメンがスタンダードだったので、家系ラーメンの濃厚な味に衝撃を受けたという。

【画像】レギュラーメニューを持たない、超自由な運営の異色ラーメン店。ラヲタ店主の熱意の背景とは? 「無料でいいです」と言った一杯の様子も(8枚)

自転車で行ける範囲で食べ歩きを始め、お店を回っていくうちにだんだんラーメンが好きになっていきました」(道理さん)

その後、高田馬場にある音楽の専門学校に通い、音楽の道を志す。ものづくりに憧れていた道理さんはギターの製作をする木工加工を専門にしていた。

高田馬場がラーメン激戦区だったこともあり、食べ歩きが過熱し、「ラーメン二郎」「さっぽろ純連」など高田馬場の名店に通う日々が続いた。その中でも一番ハマったのが「渡なべ」だ。


「渡なべ」。言わずとしれた、高田馬場の人気店だ(筆者撮影)

「濃厚な豚骨魚介ラーメンで、こういうラーメンが世の中にあるんだと驚きました。家系ラーメン以外で初めてハマったラーメンです。お店がオープンした頃から通うというのが初めての体験で、ワクワクしたのを覚えています」(道理さん)

4年の修業でラーメン店としての基礎を勉強

専門学校を卒業するが、楽器業界が下火で就職先がなく、泣く泣くフリーターになる。親との約束は、25歳までにその後の道を決めること。そのまま25歳になり、就職をしなければならないとなったところに、ラーメン店で働いている友人から社員募集の誘いがあった。しかし、その仕事も続かず、わずか1年で退職することになった。

社会人になって一発目で失敗をし、途方に暮れる道理さん。せっかくだからラーメンの仕事は続けてみようと思い、次は有名店で修業することに決めた。

こうして入ったのが有名店「なんつッ亭」。濃厚な豚骨スープにマー油を合わせたパンチのある一杯で、神奈川県を代表する人気店としても知られる。入社して川崎店に配属になったが、本店や品川にあるラーメンエリア「品達」のお店も経験できた。

4年の修業でラーメン店としての基礎を勉強できた。一方で、秘伝のタレの作り方などは従業員にも非公開だったこともあり、核の部分が経験できなかったという課題が残った。

「ここで湧いてきたのが、『ラーメン店は現場だけなのか』という疑問です。ラーメンをやっている企業でも、大手であれば人事や経理などさまざまな部門があります。現場以外のラーメンの仕事にも携わりたいと、『一風堂』を運営する株式会社力の源カンパニーに入ることに決めました」(道理さん)

しかし、道理さんに与えられた仕事は現場の仕事だった。「なんつッ亭」で4年働いていた経験者は即戦力と見なされ、すぐに現場を任されることになった。思い描いたキャリアが描けず、逆にラーメンのレシピなどを開発する商品開発部ならできるのではないかと模索したが、余りに狭き門でなかなか椅子が空かない。

「ここで時間を費やすのであれば自分のお店をやってしまおうと思い、退職して、物件探しと味づくりを始めたんです。以前から薄らぼんやりと独立の絵は描いていたので、少しずつお金は貯めていました」(道理さん)

道理さんはラーメン店の横のつながりがなく、相談する相手もおらず、何も分からないまま神奈川の元住吉にある居抜き物件を契約した。

こうして2016年12月「ナルトもメンマもないけれど」はオープンした。店名は道理さんが大好きなユニコーンの曲名「車も電話もないけれど」から来ている。

オープンも「他にないものを作りたい」で大失敗

しかし、オープン当初から上手くはいかなかった。お客さんにラーメンの味が認められなかったのである。

「お客さんが帰られてどんぶりを見ると、よく残されていてショックを受けました。『旨いものを作っているつもりなのに、なんで残されるんだろう?』と疑問を抱き続ける毎日でした。今思えば、経験値がなかったんだと思っています。修業時代は完成されたラーメンを作っていたんだなと改めて思いました」(道理さん)


調理中の道理さん(筆者撮影)

道理さんは何時間もかけて仕込みをし、これだけ時間をかけているんだから旨いに決まっていると、自分のラーメンの味を過信してしまっていたのである。当時は知り合いもいなかったので、自分のラーメンを試食してもらうこともできなかったのもあった。

当時提供していたのは鶏清湯の塩ラーメンとスパイスを使った味噌ラーメン。もともとものづくりに興味があったことと、大好きだった「渡なべ」の唯一無二のラーメンへの憧れから、自分が食べて美味しいというよりも他にないものを作りたいという思いが先行していた。

塩ラーメンにはハーブやスパイスを使ったソースを上から垂らし、一部ではそのギミックが褒められたが、ハッキリ言って賛否両論が激しいラーメンだった。オリジナリティを求めすぎてバランスが取れていなかったと道理さんは振り返っている。

しかし、賞賛の口コミも多く、それがラヲタ(ラーメンヲタク)に一気に広がっていき、次から次へとお客さんが来てくれるようになった。

儲けはあまりないがお店がつぶれるほどではないと思っていた矢先、道理さんにチャンスが訪れる。横浜・関内の駅前の商業施設「セルテ」にできる「ラーメン横丁」に出店しないかという誘いだった。

嬉しい声掛けに、道理さんはお店の移転を決意する。こうして2018年6月、セルテに移転した。

しばらくは元住吉の味のまま提供していたが、1年経った頃思い切って味をリニューアルすることにした。ユニコーンの出身である広島のラーメンを提供することにしたのである。「小鳥系」と呼ばれる広島のあっさりとしたラーメンが好きだった道理さんはその味を再現し提供を始めた。

このラーメンにお客さんのリアクションがとても良く、ラヲタだけでなく日常使いのリピート客が増えてきた。このまま認知が広がれば売上も安定してくるかなと思われた頃、コロナが直撃する。

関内はビジネス街で昼間のお客がいなくなり、横浜スタジアムでの野球の試合やコンサートもなくなった。全くお客が入らない日々が続く中、道理さんは2度目の移転を決意する。こうして2020年10月、大岡山に移転し、店名は「なるめん」とした。

「店名を変えることで移転ではなく“新店”という扱いになり、『TRYラーメン大賞』(ラーメンの年間アワード)に引っかからないかなと考えたんです。店名もラーメンも変えて、心機一転小さなお店をスタートしました」(道理さん)


2度目の移転で、大岡山へ。現在も営む「なるめん」だ(筆者撮影)

豚骨魚介に手打ち麺を合わせ、ラー油を加えたクセのある一杯を仕上げた。道理さんとしては自信のある一杯を提供していて、これなら『TRYラーメン大賞』の部門賞を狙えるのではと思っていたが、結果は箸にも棒にも掛からなかった。

もっと言えば、部門賞で該当したであろうMIX部門において掲載されたのはわずか1店舗のみで、他は該当なしとなっていた。自分のラーメンは相手にもされていないと感じ、道理さんは完全に心が折れてしまった。

「これで自分はラーメン業界の土俵から降りることを決意しました。ラヲタに注目されるお店にはせず、近隣のお客さんと常連さんのみを大事にしていこうと決めました。ここから『なるめん』はラヲタには来づらいお店にすることにしたんです」(道理さん)

ラーメン業界において、新店はラヲタが口コミを広げることによって、一気に話題店となり、上手くいけばネットを通じた集客が期待できる。アワードを受賞したお店も、ラヲタの口コミで話題になったところが数多い。しかし、ラヲタの意見に左右され、苦しむ店主も少なくなく、人気店になっても様々な苦労がある。

そういう意味では、その土俵から降りることは昨今の風潮から見れば逆張りでありながら、地域のラーメン店として生きるという「原点回帰」的なものとも言えるだろう。

「脱ラヲタ」が独自の店作りに繋がった


「レギュラーメニューなし」「座席は4席のみ」「ワンオペで時間がかかると宣言」「不規則営業」…とても自由な営業スタイルだ(筆者撮影)

まずはレギュラーメニューをなくした。ラーメン店といえばお店の看板メニューが必ずあるものだが、レギュラーをなくすことによって毎週違うラーメンを提供するお店になった。

さらには、固定の営業時間をやめた。毎日X(旧Twitter)で営業開始直前に今日のラーメンと営業時間を呟く方式に変えた。


6月に提供していたラーショ系の「ネギラーメン」。ものづくりが昔から好きだからこそ、毎週違うラーメンを作るほうが肌に合った(筆者撮影)

元住吉時代から限定ラーメンは月イチで作ってきていて、経験値としてレシピの蓄えはあった。元々ゼロイチのものづくりが好きだということもあり、同じメニューを作り続けるよりは毎週違うものを作ったほうがストレスが少ないというのもあった。自分らしい、店の在り方の模索は続いた。

営業時間に余裕が出るようになって、道理さんは再びラーメンの食べ歩きを始めた。もともとはインプットがないとアウトプットができないからという理由で再開させたが、実際に食べ歩いてみるとその楽しさに改めて気づいた。

「喜多方ラーメンを作ろうと思ったときに、そういえば現地に行ったことがないことに気づいたんです。そこで“研究”という名目で回り始めたのですが、どんどん楽しくなってきて、そのまま自分がラヲタになってしまったんです。これは完全に『渡なべ』の渡辺樹庵さんの影響です」(道理さん)

道理さんが専門学校時代から大好きだった「渡なべ」の店主・渡辺樹庵さんは、ラーメン店主の中でも屈指のラヲタとして知られ、全国のラーメン店をくまなく食べ歩いている。地方の細かなご当地ラーメンにも傾倒していて、その味を再現しイベントやラーメン施設で提供することでもよく知られている。

道理さんは以前から「渡なべ」の周年イベントに行ったり、パーティーで挨拶したりと樹庵さんと面識があったが、その後親睦を深め昨年から樹庵さんのYouTube番組にゲストで出るようになった。

「樹庵さんの番組で『ラーメン屋さんってあまり食べ歩きしていないですよね』と不用意な発言をしてしまい、ここから自分も真剣に食べ歩きをしないとなと思い、どんどん杯数が増えていきました。そのまま食べ歩きが面白くなって、いつのまにかラヲタになってしまったんです」(道理さん)

自分だけのラーメンに出会いたい


4月に提供していた動物系と魚介系のWスープのラーメン。「魚介がここまで引き立つか」と驚かされ、塩味のインパクトも素晴らしい一杯だった。90年代後半から流行っていた、決して新しくはないラーメンだが、道理さんの歴史への深いリスペクトを感じた(筆者撮影)


今の営業スタイルは精神的に楽と言いながら、道理さんの心の炎はまだ消えてはいない。「自分のラーメンというものがない」というわだかまりを抱えながら、業界に自分のラーメンをぶつけるラストチャンスと思い、日々ラーメンに向き合っている。

「僕は今39歳ですが、40代の店主の勢いはすごいなと日々感じています。ラーメン業界の40代はいちばん大事だと思うんです。

ラヲタ活動をすることでそれぞれのお店の美点を凝視する機会が増え、ラーメン熱がまたどんどん高まってきています。まだ小さい炎ですが自分のラーメン店探しに邁進したいと思っています」(道理さん)

ラヲタと決別したことで、ラヲタになったという稀有な店主。これから自分だけのラーメンに出会い、道理イズムが生まれるその日を願っている。

「斬新」と反響、道理さんの「無料でいいです」投稿


「斬新だ」と一部で注目を集めたXの投稿(道理さんのXより)


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(井手隊長 : ラーメンライター/ミュージシャン)