山崎育三郎 一人で祖父母を…高校時代の壮絶介護「ご飯作っても手で」 両親離婚、兄弟は米、NZ、香川に
![スポニチ](https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/2/c/2cfaa_929_8834f039_a45542fd-m.jpg)
俳優の山崎育三郎(38)8日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。高校時代に一人で祖父母の介護をしていたことを告白した。
高校時代、山崎が米留学中に両親が離婚。当時、長男はアメリカの大学に、次男はニュージーランドに、弟は甲子園を目指し香川県の尽誠学園に、そして父親は北海道に転勤するというバラバラな状態だった。山崎は留学から帰国後、東京で父方の祖父母の下暮らすことに。ところが2人とも脳梗塞の影響で「おばあちゃんは右半身不随で車いすの生活で、おじいちゃんはうまくしゃべれなくて」といい、「介護の生活に入るんです。一人で」と高校生にして祖父母の介護生活が始まったという。
「ずっとやってると、おじいちゃんおばあちゃんも孫にやってもらっているっていう感覚もなくなってきて、お手伝いしてくれる人みたいな感じで」とした上で「ご飯作っても手でバンってはじかれたり、“ありがとう”とかも言わなくなるし」と壮絶な介護生活を振り返った。続けて「学生の僕が2人を見るっていうその時間が人生で一番しんどかった」と胸の内を明かした。
その生活は舞台「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格する19歳までの2、3年間続いたという。しかし「自分の中で夢があったので、ミュージカルに出るっていう。それが支えだったんで」とし「しんどいときは劇場行ってミュージカル見て“いつかここに立つんだ!”って、また介護生活戻るみたいな感覚でしたね」と回想。その流れで父親がたまに北海道から東京に帰った時に、連れて行ってもらったという思い出の串揚げ店を紹介した。「息子に任せてるんで、父親も。“頼むね”って“いつもありがとう”っていう気持ちもあったと思うんですけどね。そういう色んな話をした記憶がありますね」と父親の当時の気持ちもおもんぱかった。
そんな壮絶な介護生活も「いろんな経験を10代でできたのは大きいですね」ととらえ「その経験があったので、仕事入ってからあんまりしんどいことがない」と現在の俳優生活の糧になっていると語った。