山崎育三郎

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 歌手で俳優の山崎育三郎(38)が8日、TBS系「人生最高レストラン」に出演。ヤングケアラーだった時代を振り返った。

 山崎は高校時代、アメリカの田舎町に留学。留学中に両親が離婚し、東京の実家に戻ったが、「長男はアメリカの大学、次男はニュージーランド、弟は甲子園を目指して香川の尽誠学園に、父親は仕事で北海道に転勤…」と家族はバラバラ。唯一、実家にいた山崎が、父の両親である祖父母の介護をすることになったという。

 「アメリカから帰ってきた時には二人が脳梗塞で。おばあちゃんが右半身不随で車イスの生活、おじいちゃんも脳の方であまりうまくしゃべれなかったし。僕がやるしかなかった」と話す。

 「ずっと(介護)やってると、孫にやってもらってる、って感覚もなくなってきて。お手伝いにきてくれる人、みたいな感覚に。(料理を)作っても、手でバーンとはじかれるし、『ありがとう』も言わなくなるし。学生の僕が二人を看る…っていうその時間が人生で一番しんどかったです」と振り返った。

 1人で祖父母の介護をする生活は19歳で「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格するまで「2、3年」続いたそうで、「ミュージカルが支えだった」と笑顔で明かした。そして「いろんな経験を10代でできた、ってのは大きいですね。海外での経験もそうですし、おじいちゃんおばあちゃんの介護も10代だったので。だから逆に仕事に入って、しんどいことがなかった、乗り越えられた」と話していた。