「キヤノンは特徴の明確な、とがったセンサーを作っている会社だと思い入社した」と語る森本氏(撮影:尾形文繁)

イギリスの科学誌『ネイチャー』が2022年に選んだ「ナノテクノロジーに革命を起こす4人のライジングスター」。その1人に名を連ねたのがキヤノンの森本和浩氏(35)だ。暗い場所でもカラーで鮮明な撮影が可能なほどの超高感度カメラに使われるSPAD(スパッド)センサー開発の中心人物である。

キヤノンは2023年から同社の技術を牽引する技術者を「トップ・サイエンティスト」として認定する制度を設けている。社内でただ1人選ばれた森本氏を直撃した。

──​森本さんの普段のお仕事は。

イメージセンサーの画素の開発を担当しています。画素は眼に例えるならば光を受け取る視細胞に対応する部分で、1個1個が光をとらえます。イメージセンサーはとらえた光に関する情報を電気信号に変換する半導体。電気信号に変換することで、被写体を静止画や動画として記録・表示することが可能になります。

私が所属しているデバイス開発本部には、基礎研究に近いことをする部門、カメラなど製品のための設計をする部門、設計した製品を量産する工場まで全部1つの組織に入っています。同じ組織に所属しながら、基礎研究に近いことから出荷まで責任を持って関われるのがおもしろいところです。

最初は画素がとらえた光の量を測り電気信号に変換するCMOSセンサーの試作モデルの開発をしていましたが、今は手広く仕事をしています。

キヤノンは「とがったセンサー」の会社

──半導体設計やイメージセンサーの会社がほかにある中、なぜキヤノンに?

もともと半導体物理が専門で、大学では光学も学んでいたので両方の専門性が生かせそうなイメージセンサーに興味を持ちました。

キヤノンはシェアは高くないものの、宇宙用途に特化した超大型のイメージセンサーや、とにかく画素数を詰め込んだ高画素のセンサーなど特徴の明確な「とがったセンサー」を作っている会社だと感じていました。キヤノンなら自分のやりたい新しい挑戦ができそうだ、と思い入社しました。

──​学術界でも注目されているキヤノン独自のSPADセンサー開発の中心人物が森本さんだと聞いています。開発のきっかけを教えてください。

CMOSセンサーの開発を通じてその原理を理解していくにつれて、次のように考えるようになりました。

画素の持つ感度については、入ってきた光を80〜90%ほどの精度で検知することがすでにできていました。100%を超えることはないので、どれだけ伸ばしてもあとプラス10%くらい。

つまり感度という点でCMOSセンサーは非常に完成度が高い。センサー自体は進歩すると思いますが、技術をこのまま伸ばしても天井がある。それならばまったく違うアプローチで切り込んだほうが限界を超えられる、と考えました。

天井を打ち破るには何をすればいいか調べているうちに、SPADセンサーに出会いました。SPADセンサーの特長は超高感度性と超高速性です。画素が光の粒子をとらえると、光の粒子によってつくられるわずかな電気信号の変化が瞬時に増幅される仕組みのため、光の粒子をいつ、何個とらえたかを正確に把握できます。

キヤノンの中で「SPADセンサーを開発しよう」と最初に言ったのはたぶん私で、いうなれば言い出しっぺです。当時は誰もSPADセンサーを知りませんでしたが、自分なりに論文などで勉強して、技術についてまとめて報告しました。

開発を発案し上層部を説得

──​CMOSセンサーで技術的な蓄積がある中、原理的に異なる技術に挑戦しようと周囲を説得するのは大変だったのでは?

SPADセンサーの研究はヨーロッパを中心に2000年代前半頃から加速しました。ただ、1個の画素のうち光を感知できる領域が限られていることに課題がありました。そのせいでなかなか実用化しない、というのが2015〜2020年頃までの状況です。


キヤノンのSPADセンサー。超高感度性に特徴がある(撮影:尾形文繁)

SPADセンサーにも課題があることを認識したうえで、「キヤノンが持つCMOSセンサーの画素の開発技術を転用するとSPADセンサーの課題も解決できる」というように、私ともう1人のメンバーで発案し上層部を説得しました。

説得すると、「キヤノンの技術を活かしてその課題を解決できるならまずは試作をしてみよう」という流れができた。本質的な課題を早い段階で見極めて、それを解決するアイデアをブレインストーミングし、試作で実証する、ということを長らくやりました。

CMOSとSPADの動作原理はまったく異なります。それでも画素を設計する部分の技術は、CMOSで長年培ってきたノウハウやアイデアがそのまま生かせたと思います。

──森本さんはキヤノンの留学制度を使ってスイスに留学されたそうですね。

技術者海外留学制度を使って2017年から2年ほどスイスに留学し、SPADの世界的権威の先生のもとで研究をしました。その間平行して、国内ではチームのメンバーが研究を進めてくれていました。

SPADの電気信号を処理するための回路の技術がキヤノンにはまだないので、その技術を勉強して持ち帰る。そうすれば、キヤノン独自の画素の技術と世界最先端の回路の技術を組み合わせた製品ができる、と再び社内を説得し、留学が認められました。


もりもと・かずひろ 1988年生まれ。東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了後、2013年にキヤノン入社。2023年トップ・サイエンティストに選出される(撮影:尾形文繁)

現地ではSPADに適した回路の設計思想をいちばん学びました。SPADでは電気信号が増幅される時、瞬間的に電流が増えます。これをうまく制御しないと期待通りの性能が出ません。

電気信号を好き勝手に増幅させるとものすごく大きな電流が発生し、消費電力が増えてしまう。とくに画素数を増やした場合、すべての画素で信号の増幅が起こり、とてつもなく大きな電流になる。そうすると発熱も起こり、イメージセンサーとして使い物になりません。

業界のスタンダードになりつつある

増幅する電気信号を制御しながら、しっかりと精度よく光の粒をとらえる、という大きな設計思想を学んで帰り、キヤノン独自の回路に昇華して製品化することができました。

SPADでは他社が論文などで採用していない方式を真っ先にキヤノンが採用し、それが業界のスタンダードになりつつあります。キヤノンは世界の中でも進んだことをやっていると思います。

──超高感度カメラとその肝となるSPADセンサーの開発は、社内制度や社風がうまく生きた事例ですね。

私が学生だった頃、キヤノンの人事の方から「キヤノンでは、自ら手を挙げる人にチャンスを与える。そういう会社だ」と言われました。

若手でも、自ら手を挙げて、しっかり勉強して、筋の通った説明をすればチャンスを与えてくれる。本当にその通りだったと感じています。

他社がやってないことをやりよりよい性能を出していくことは、キヤノンが組織としてこだわっている部分で、すごくいいなと思います。

最近は技術者以外の方々とも接点ができるようになりました。技術に近いところでいうと、知財や法務の方々が高い専門性を持ってサポートしてくれているおかげで、自分たちは時間ができて、技術を磨くことができています。


SPADセンサーを搭載した超高感度カメラ。国境監視などで活躍が期待されている(写真:キヤノン)

例えば海外留学をした際にも、大学とキヤノンの間で共同研究をする場合には契約をどうするのか、知的財産をどう扱うのか、といったところでサポートしてもらいました。

若手のモチベーションになれば

──「トップ・サイエンティスト」として会社から期待をかけられています。どう感じていますか。

まずは、全力で期待に応えたい。プレッシャーもあるが、楽しく夢を見ながら、頑張って期待に応えたい。

個人的にはトップ・サイエンティストの認証はありがたく思っています。社内的に知ってもらうことによってサポートが受けやすくなっている面もあるかもしれません。

これからも制度が広がって、若手の技術者のモチベーションになっていったらいいなと思います。私自身も若手の目標になれるような技術者になっていきたいです。

(吉野 月華 : 東洋経済 記者)