アメリカ兵の「究極の抗議」が大統領選を左右する
イスラエルによるガザ攻撃に抗議して焼身自殺したアメリカ空軍の現役飛行士、アーロン・ブッシュネルさんを追悼するため、ユダヤ人を含む数百人がイスラエル大使館の前に集まった(写真・Faith Aktas/Anadolu、Getty Images)
イスラエルがガザ地区を破壊し続けているのは、ジェノサイド=集団殺害に該当すると糾弾する声が世界で広がっている。実際、2023年10月からのパレスチナ人犠牲者は3万1000人を超え、その7割は女性や子どもだと伝えられているのだ。
世界からの逆風がいくら強まろうと、イスラエルがハマスの戦闘員ではないパレスチナ人たちをこれほど多く殺害し続けられる最大の要因。それは、改めて言うまでもないが、アメリカのバイデン政権がネタニヤフ首相に意味ある圧力をかけてこなかったためだ。
しかし、アメリカの1人の若者が行った「究極の抗議」が、バイデン大統領に路線変更を迫るうねりを巻き起こした。
アーロン・ブッシュネル、享年25。
2024年2月25日、ワシントンDCにあるイスラエル大使館の前で自らに火を放ち、亡くなった。彼はアメリカ空軍の兵士で、軍服を着ての最期を選んだ。イスラエル大使館に向けて歩み、火をつけるまでの様子をライブ動画で流し続けた彼は、「私はこれ以上、ジェノサイドに加担しない」と落ち着いた声で話し、炎が上がると「パレスチナの解放を!」と叫んだ。
連帯と批判、対照的な反応
ブッシュネルの焼身自殺は、アメリカ社会において2つの対照的な反応を引き起こしている。
1つは若い世代を中心とした連帯だ。今の時代らしく、ブッシュネルの悲壮な行動を収めた動画は瞬く前に世界に広がった。それを目にした若者やアラブ系住民を中心に、彼の生前の写真や言葉をプラカードで掲げた人たちが続々とイスラエル大使館の前に集結し、追悼したうえでネタニヤフ首相とバイデン大統領に対する指弾のボルテージを上げている。
また、例えばアメリカ西部・オレゴン州では、一部の退役軍人たちが「アーロン・ブッシュネルを記憶しよう! 彼は独りぼっちではない!」と雄叫びをあげながら軍の制服を燃やした。
一方、マスメディアがこの出来事をただちに伝えると、少なくない批判が沸き上がった。なぜなら、日本でもそうだが、メディアが自殺について報道することに関しては連鎖反応的に新たな自殺を誘引しかねないとして自制を求める声が強い。
とりわけ、ブッシュネルの行動について、書き手が特段の脚色なしで事実関係だけを伝えようと意識しても、大前提がイスラエルのガザ攻撃に対する抗議なだけに、どうしても彼を「英雄」のように描いたという誹りを受けやすい。また、ブッシュネルは精神のバランスを崩していたという主張も出た(友人らは否定している)。
そうした指摘を受けて、メディアの中には、ブッシュネルが若者たちのアイコンとならないよう、オンラインで掲載した記事の表現を修正した社もある。彼を「称えている」と受け止められる余地のある言い回しを削ったのだ。
一方、はるか遠く離れたパレスチナでも、ブッシュネルの悲劇は大きな反響を呼んだ。2024年3月初め、ヨルダン川西岸にある都市ジェリコの議会は、市内を走る道路に「アーロン・ブッシュネル通り」という名称をつけ、看板を立てた。
ジェリコの市長は「彼はパレスチナ人たちのためにすべてを犠牲にした。私たちと彼は知り合いではなく、社会的・経済的・政治的な結びつきはなかった。分かち合っていたのは、自由への愛と、イスラエルによる攻撃に立ち向かう気持ちだった」と述べ、改めて若い米兵の死を悼んだ。
歴史は韻を踏むか
メディアがブッシュネルの最期を伝えたことに批判はあるものの、歴史を振り返ると抗議の焼身自殺は決して初めてではない。
今回、アメリカのメディアがすぐ引き合に出したのは2つだ。1つは、ベトナム戦争中の1963年、サイゴン(現ホーチミン)の路上で行われた仏教の高僧ティック・クアン・ドックの焼身自殺。
当時、南ベトナムのゴ・ジン・ジェム政権はカトリックを優遇して仏教を弾圧していた。これに対する抗議として、ドックは多くの僧侶たちが見守る中、座禅を組んだまま炎に包まれた。
AP通信が配信した写真は世界に衝撃を与え、撮影した記者はピュリッツァー賞を受賞した。アメリカの後ろ盾で樹立されたゴ・ジン・ジェム政権は、これが引き金となって崩壊に向かい始めることになる。
それから60年を迎えた2023年、現場のホーチミンや首都ハノイなどでドック師の法要が営まれ、改めて彼の自己犠牲の精神が語られたという。
もう1つ、メディアが想起したのは2010年、チュニジア中部のシディブジドでのことだ。路上で野菜を売って家族を支えていた当時26歳のムハンマド・ブアジジが、役人たちの嫌がらせに抗議して地元庁舎前で焼身自殺を遂げた。
その様子がSNSで広がると、ベンアリ政権下ではびこる腐敗に対する国民の怒りが爆発。大群衆が打倒・ベンアリを叫び、わずか1カ月後に23年間続いた独裁政権は倒れた。「アラブの春」の始まりであった。
民主化を求める波はチュニジアからエジプト、リビア、シリア、イエメンなどへと伝播した。その結果、強権的な政権が倒れた国もあれば憲法改正でどうにか体制を保った国もあり、一方ではシリアのように独裁政権が武力で人々を抑え込んだ国もある。結果は一様ではなかったが、アラブ全体に広がった大変革の発端は、1人の若者の焼身自殺だったのだ。
では、今回のアーロン・ブッシュネルによる究極の抗議も、歴史を変えることにつながるのであろうか。イスラエルのネタニヤフ首相は気にも留めていない。だが、バイデン大統領はそうはいかない。
2024年11月の大統領選挙で再びトランプ氏と対峙するバイデン大統領には少なからぬ逆風が吹いているが、その1つがイスラエル支持に対する批判だ。
予備選での異常事態
とりわけ、民主党は若者の間で支持が高いことが共和党に対する強みなのに、その若い世代でこそパレスチナとの連帯・イスラエルへの憤りが、強い。各種世論調査でやや後塵を拝しているバイデン氏にとって、若者票を取りこぼすようでは、逆転が遠のく。
そうした心配はすでに現実のものとなりつつある。2024年2月末にミシガン州で行われた民主党の予備選で投票者数の約13%、10万人以上が白票にあたる「該当候補なし(uncommitted)」を選択した。アラブ系の団体がバイデン氏への抗議の意思を示すために白票を呼びかけたもので、団体が目指した票数をはるかに上回った。
ミシガン州は全米で最もアラブ系有権者の割合が高いという土地柄であることを考慮しても、バイデン政権のイスラエル支持に対する反発が人種・宗教の違いを超えて若者全般に広がっていることを見せつけた。
2024年3月半ば、アメリカ議会上院の民主党トップであるシューマー院内総務は演説で「和平への4つの障害」としてハマスなどと並んでネタニヤフ首相を挙げ、退陣が必要だと訴えた。他国の元首の交代を求めたのは異例で、シューマー氏がユダヤ系であることも含めて、大きな波紋を呼んでいる。
民主党の重鎮がそこまで踏み込んだ演説をしたのは、秋までズルズルとイスラエルの苛烈な攻撃が続くようでは大統領選でバイデン氏に勝機はないという危機感もあったのであろう。
かといって、バイデン政権が一気にパレスチナ寄りの姿勢をとってネタニヤフ首相に退陣を迫ろうとすれば、親イスラエル傾向が根強い中高年の票、そしてもちろんユダヤ系の票を失うリスクが大きい。袋小路といえる。
政権が直接に、ではなく、議会大物の演説がきっかけとなって停戦、そしてネタニヤフ首相退陣となればベスト……。そうした計算も見え隠れする。
アメリカの作家マーク・トウェインは「歴史は、それ自体は繰り返さないが、しばしば韻を踏む」という言葉を残している。
2024年、首都でのアメリカ兵焼身自殺が、かつてベトナムや中東で起きた地殻変動の「韻を踏む」かのごとくアメリカ政治に影響を及ぼすのか。連日ガザで起きている人道危機とともに、関心を払いたい。
(池畑 修平 : ジャーナリスト、一般財団法人アジア・ユーラシア総合研究所理事)