斎藤佑樹、ワンバウンド連発のプロ4年目の苦悩「けなされても喜べばよかった」と思う真意
プロ4年目の斎藤佑樹は、開幕から2週間、2度の先発のチャンスをものにすることができず、二軍行きを命じられた。そして2014年5月29日、斎藤は西武第二球場でのイースタンのライオンズ戦に登板する。しかし斎藤はこの試合でワンバウンドを連発した。スコアブックを辿ってみると、初回に投じた23球のうちワンバウンドが6球。3回にも3球、4回に6球、5回には4球、6回に1球......この日の94球のうち、20球がワンバウンドだった。
苦しい状況が続いたプロ4年目の斎藤佑樹 photo by Sankei Visual
あの日の所沢は、5月なのに真夏のような陽射しが照りつけたかと思えば、あっという間に黒雲が広がって、雷が轟くような不安定な空模様でした。
もちろん、ワンバウンドだからすべてダメというわけではありません。ただ、コントロールが定まらずにフォアボールをやたらと出して一軍で結果を残せなかった直後でしたから、慎重になっていたことはたしかです。
僕はワンバウンドを数えていたわけじゃないし、あの試合で何球あったのかは知りませんでしたが、必要なワンバウンドはあると思っていました。たとえば低めを突いたスライダーが、キレがあるからこそワンバウンドになるというのは珍しいことではありません。ワンバウンドになるフォークだって、思わずバットを出してしまうような落ち方をすればナイスボールです。そういうワンバウンドはピッチャーにとっての武器になります。
でもあの試合のワンバウンドは、バッターにバットを出させることができていませんでした(20球のワンバウンドに対し、バッターは一度もバットを振っていない)。明らかにワンバウンドになってしまっていたのは、勝負にいくというよりも打たれたくない意識のほうが強かったからだと思います。
たしかに今の僕なら、そこまで慎重にならなくてもストレートをポンポン、ポンポンとストライクゾーンに投げ込んでいけばいいのに、と思います。実際、あの試合でも4番に入っていた山川(穂高)選手、5番の森(友哉)選手のバットを真っすぐで押し込めていた記憶があります。
にもかかわらず変化球に頼りたくなってしまうのは、自分のボールに自信を持てていなかったからなんでしょうね。しかもストライクゾーンに投げるというよりコーナーギリギリを狙って、低く低く投げようとしてしまう。シンプルに、大胆に攻めることができず、ボールゾーンの変化球を振らせようという意識がピッチングを難しくしていました。
もう右肩に痛みはなかったし、あの時点で目指すフォームができあがりつつあって、もしかしたらストレートの質が変わってきていたのかもしれません。ただ、今のようにデータで球質が数値化されているわけでもなく、ストレートに関しても自信を持てるところまではいっていませんでした。
【今のような詳細なデータがあれば...】今のような詳細なデータがチームに入るようになったのは、ここから5年後くらいのことだったと思います。今はデータを見ればいろんなことがわかるんです。たとえば、このカウントからのストレートはそんなに打たれていないとか、僕のスライダーはほかの人とは軌道が違うからこのコースならストライクゾーンに投げても打たれにくいはずだとか、客観的なデータが自信を与えてくれます。
当時はそういう説得力のあるデータもなかったし、そもそも二軍にいると、当然ながら褒められることが少ないじゃないですか。だから自分でも結果が出なかった試合後、「今日のこのボールはよかったから、これを投げ続けて磨いていこう」とはならない。あくまでもイメージのなかで「今日の課題はこれだった」「次は悪かったこの部分を直そう」みたいなネガティブなところにばかり目が向く発想になります。
それが、結果をデータで可視化できるとなれば、よかったところも見えてきます。それがわかれば、このまま続けていくべきところと直すべき課題がハッキリしてくるんです。でも、結果から逆算した感覚だけに頼って次を目指そうとすると、せっかくよかったところも消してしまいます。それではなかなか前へ進めません。
その1カ月前(2014年4月10日)のイーグルス戦(札幌ドーム)でシーズン2度目の先発を任された時も、僕はフォアボールを連発してしまいました。2回を投げきることさえできずに(4個目のフォアボールを出したところで)交代......まだアウトを4つしかとってなかったのに、やたらと球数が多かった(51球)のは、自分のなかの恐怖心に勝てていなかったからなんでしょうね。
あとは、自分のなかの盛り上がる気持ちにも勝たなければならないのに、それもできなかった。年末からブルペンに入って、あれだけ準備をしてきたのに、いざキャンプに入ってたくさんの人に見られると気持ちが高ぶってしまうというような......そういう盛り上がる気持ちを乗り越えないと、力んで、フォームがブレてしまう。結局は、目の前の結果にとらわれすぎていたんだと思います。
今の自分の100%を出して、抑えにいこうとする。そこで変化球をこう曲げるとか、バッターの間をこうやって外すとか、ついそっちに頼ってしまう。初球からコーナーを狙って、アウトローいっぱいに真っすぐを投げる。2球目もスライダーがギリギリのいいところに決まって、追い込む。でも、それまでがあまりにいいボールだから、ツーストライクから投げるボールがなくなってしまう......。
そうではなくて、もっとアバウトに、ポン、ポンとストライクを投げて、最後にピュッと投げたらそれがコーナーいっぱいに決まれば三振、甘く入っても低めなら内野ゴロになるくらいの、難しく考え過ぎないピッチングをすればよかったのかもしれません。
【けなされても喜べばよかった】思えばあの時期、僕はよく「がむしゃらさが足りない」と言われました。今ならいろんなことを受け流すことができますし、たしかにあの頃の自分にがむしゃらさは足りてないよな、と思います(笑)。
ただ、がむしゃらさって何なんだろうなとも思うんです。当時はそういう物言いに反発する気持ちがありました。僕に対してがむしゃらさが足りないと言われているとしたら、それはよくない意味として使われていたんだろうし、それなら斎藤佑樹という選手なんていらないじゃないかと思っていました。
だから誰かが見ているところで一生懸命やったりするのは嫌いでした。じつは、そもそも誰かが見ているとか見ていないとか、そんなところにこだわっている時点で、まだまだなんですけどね(苦笑)。
最近になってバーチャル高校野球で高校野球の取材をしていて思うんですけど、一生懸命さとか泥臭さとか、がむしゃらみたいなものって日本人がすごくいいなと感じる部分でもあるんだろうし、それを打ち消してまで涼しい顔でスマートに野球をやるほうがいいとは思いません。そのチーム、その人に合った方法で野球をやればいいんです。その結果、勝つとその野球が正しいと言われてしまいがちですが、僕はそうではないと思っています。
現役を引退して思ったのは、野球が好きな人って何か意見を持っている、ということでした。自分の言っていることは正しいと信じて何かを言うところにも、スポーツを観る楽しさがあると思います。みんなから注目されてすばらしいとされている選手の改善点を、人とは違う視点で見つけて語るというところも野球ファンの楽しさなのかなって......だからこれだけ野球が人気なんだろうなって思うようになりました。
褒められるのはうれしいけど、けなされても喜べばよかったんです。好きの反対は、嫌いじゃなくて無関心だってよく言うじゃないですか。嫌われたりけなされたりするというのは、選手にとってはありがたいことだったんです。そもそも、気にしてもらっているということですし、よく見てもらっていなければ文句も言えないし、けなすこともできないわけですから......もちろん今だからこそ、そんなふうに思えるんですけどね(笑)。
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高校時代から、彼が頼んだわけでもないのに「ハンカチ王子」だの「佑ちゃん」だのと呼ばれて、斎藤は世の中から持ち上げられてきた。彼がしてきたことは涼しい顔でボールを投げて、バッターを打ちとって、勝ってほしいと周りが願うところで勝ってきただけだ。しかし勝てなくなると、今度は彼の涼しい顔に対して「がむしゃらさが足りない」などと言い始める。そんな身勝手な声と、斎藤が結果を欲しがってシンプルなピッチングができなかったこととの間には何かしらの関係があるに違いないと思っていた。しかし斎藤はこの頃、そういう呪縛から少しずつ解き放たれていく。じつは、そのきっかけとなる大事な一日があった。
次回へ続く
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している