イ・ボミ、日本を愛し愛された13年の軌跡。苦難を乗り越え、ファンへ伝えた涙のラストメッセージ

写真拡大 (全14枚)

かつて、これほどまでに人を惹きつけ、これほどまでに愛されたゴルファーがいただろうか。

2度の賞金女王に輝き、「日本で最も愛された韓国人アスリート」と呼ばれたイ・ボミ(35歳)。

そんな偉大なゴルファーは2023年10月、現役生活に別れを告げようとしていた。

最後の大会は予選落ちに沈み、全盛期の姿とは程遠かった。それでも、大会後の景色には彼女の偉大さが映されていた。

心から愛し愛され続けた日本のファンとの別れのとき、交わしたラストメッセージとは。

テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、イ・ボミが残した13年間の「愛の記録」に迫った。

◆日本ツアー参戦13年の足跡

引退を発表した2023年3月。イ・ボミの姿は韓国にあった。

この日、実家で母のファジャさんと作っていたのは、韓国風のり巻きの“キンパ”。

ボミ:「お母さんが毎朝キンパを作って、私がゴルフ場に到着したらこのキンパを食べてから全部の試合をやっていた。お腹空く時間がなくなるし、栄養がたくさん入っている」

現役生活、常にともにあった思い出の味だ。

さらに、彼女の足跡がわかる場所に案内してくれた。

ボミ:「これは2015年の賞金女王のときに作った。これは2016年」

これまで獲得したトロフィーなどを保管している部屋。並べられていたのは、栄光の数々だけではない。

ボミ:「ファンからもらったプレゼントはすごく大事にして、人形とかも全部捨てられない」

ファンにもらったものも綺麗に保管する。それがなんともイ・ボミらしい。

◆日本デビュー後に立ちはだかった壁

18歳のときに韓国でプロデビューし、その後わずか3年で賞金女王のタイトルを獲得したイ・ボミ。

翌2011年、さらなる飛躍を求め日本へ。

「韓国でも賞金女王になったことがあるから、日本でも絶対に賞金女王とりたいです」

目を輝かせながらそう語っていた。

すると、結果はすぐについてくる。来日2年目にしてツアーで初優勝を手にしてみせた。

しかし、そんなイ・ボミの前に思わぬ壁が立ちはだかる。

ボミ:「『韓国の選手はみんなここでお金を持っていくでしょ?』って、そういう感じで言われた。私は日本ツアーで優勝したいから来たのに、なんでお金の話になるのかなって。私は韓国選手だから、優勝したら(大会の)スポンサーさんが嫌いになるか心配したときもあった」

韓国人というだけで、あらぬ誤解をもたれる。

象徴的だったのは、日本ツアー2年目の伊藤園レディス。

最終ホール、有村智恵と優勝争いを繰り広げていたイ・ボミは、決まれば優勝となるバーディーパットでミスをしてしまう。この時、一部のファンは日本人選手の優勝を願っていた。

◆“韓国人のイメージを変えたい”

そんな状況は、奇しくもイ・ボミというスターを育むきっかけとなる。

ボミ:「歴史上では、(日韓の仲が)悪いことはわかっているけど、歴史は歴史として理解して、それを認めてみんな仲良くしたほうがこれからの未来にはいいんじゃないかと思う。だから韓国人のイメージを考えて、いいイメージになりたかったのもあった」

“韓国人のイメージを変えたい”。そのために真っ先に始めたことは、日本語の習得だ。

覚えたての言葉でもとにかく口に出して伝え、記者からの質問にもなれない日本語で答えた。

そしてもうひとつ努力したのが、ファンと積極的に交流すること。元来の人懐っこさもあり、ファンの心をどんどん掴んでいった。

ファン:「ニコッとしてくれたり、向こうからひと声かけてくれたり、そういったところにみんな惹かれちゃうんでしょうね」

ファン:「ファン一人ひとりの顔を全部覚えているのがびっくりする。会場で会うと『わざわざ福岡から来てくれたんですか?』『北海道から来てくれたんですか』って。そういう気遣いまでしてくれる」

いつしか国籍など関係なく、ゴルフ界を代表するスター選手に。

ボミ:「(ファンが)私のために心配して応援もしてくれる。ファンの応援で、もっとゴルフをうまくなりたいと思えた」

ファンの応援がイ・ボミのゴルフも後押しする。毎年ランキング上位に入る活躍を続け、賞金女王になるのも時間の問題だった。

しかし、プロ4年目、彼女は大きな悲しみに襲われてしまう。

◆突然の不幸。乗り越えた先に“忘れられない瞬間”

2014年、コニカミノルタ杯の初日。プロ初のホールインワンを決め、この大会でも絶好調だった。

しかし大会3日目、父・ソクジュさんの病状悪化の知らせが届く。

試合を途中棄権し急遽帰国したが、ソクジュさんは56歳の若さでこの世を去った。

ボミ:「お父さんとはジュニアの時から一緒に練習をして、私が優勝するといつも泣いていた。お父さんが亡くなって何か月かは、本当に何のために(ゴルフを)やればいいのかと思ったことがあったんです。目標が何もなくなって、お父さんを思い出して涙を流していた」

しばらくは賞金女王という夢も見られなくなっていた。

それでも、コースに帰ってきた彼女は、前と変わらぬプレーで気丈に戦いはじめた。ファンもまた、そんな彼女を応援し続けた。

そして、父の死から1年後、ついに念願の賞金女王を獲得する。ファンにとっても忘れられない瞬間だった。

◆現役生活に別れ。最後に見せた雄姿

翌年も賞金女王に輝いたイ・ボミ。しかしその後は一転、不調が続いた。

ボミ:「一番大きな目標を全部達成したので、次の目標がなくて、続けて試合をするのが難しかったです。ずっと努力しないとダメな立場なので、集中ができなくてしんどかった」

そして、2023年3月。引退を決意する。

ボミ:「成績が出ないのにどうやってゴルフを楽しめばいいか、ずっと心に思っていて、私の気持ちでみんながしんどくなるのも気になって、今年引退することになりました」

ファンが喜ぶ顔が大好きだった。でも、それを引き出すのが難しくなっていた…。ゴルフ人生最後の目標は、もう一度ファンを喜ばせること。

迎えた最後の大会、NOBUTA GROUP マスターズGCレディース。その勇姿を生で見ようと、スタートホールはファンで埋め尽くされた。

しかし、スタートから3ホール連続ボギー。悪い流れを断ち切ることができない。結果は、日本ツアー生活で自己ワーストの11オーバー。

そんな日でも、ファンとの交流は忘れなかった。

並んだファンはおよそ300人。名前入りのリクエストにも応え、1時間かけて全員にサインを書く。

2日目。会場はイ・ボミのイメージカラーであるピンクに染まった。

大ギャラリーの前で、2番パー4の第2打をナイスショット。大会初のバーディーを決める。

喜ぶファンの歓声を聞いたイ・ボミは、しみじみとこう語った。

ボミ:「よかったです。あの声が聞きたかった」

一番聞きたかった歓声とファンの喜ぶ顔を見ることができた。

その後、前半2つ目のバーディー。17番では長いパーパットも沈め、最終ホールではイ・ボミにとって最後のバーディーパットを入れる。

日本ツアー最後のラウンドは、今シーズンベストスコアの72だった。

◆「幸せな選手だと思います」

そしてプレーを終え、クラブハウスへ戻ると、予期せぬ光景が広がっていた。

ボミ:「どうしよう、なんなのこれ」

待っていたのは、選手と関係者およそ100人。サプライズでの引退セレモニーだ。

歴代のキャディなどスタッフが勢ぞろいし、明日に決勝ラウンドを控える選手たちも感謝と労いの言葉を送った。

上田桃子:「お疲れ様。本当によく頑張った!」

選手一同:「ありがとう〜!」

そして、ずっと応援してくれたファンも…。

ファン:「我々はボミプロが日本に来たときからの応援団である。我々は勝った日も負けた日も応援に駆け付けた。我々はイ・ボミにエールを送る。フレーフレー!イ・ボミ!」

温かい言葉に、イ・ボミは涙を流しながら感謝を伝えた。

ボミ:「本当にありがとうございました。今の気持ちはとっても幸せですけど、やっぱり寂しいです。いいときも悪いときもみんな楽しんで応援してくださって、本当に力になったし、幸せな選手だと思います。昨日まではコースに来るから寂しくなかったけど、みなさんを見ると…やめることを早く決めてすみません」

ファン:「大丈夫、大丈夫」

ボミ:「今まで長い間応援してくださって、本当に感謝します。ありがとうございました」

夢を追って、どんな苦難も乗り越えてきた13年。日本を愛し愛され続けた彼女は、確かに、日本ゴルフ界の未来を照らした。