侍ジャパンはなぜこれ以上ないエンディングで世界一を果たせたのか 栗山英樹「野球の神様がシナリオを書き始めた」
第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。WBCの準決勝。日本は4−5とメキシコに1点のリードを許して、9回裏の攻撃を迎えていた。先頭の大谷翔平がツーベースヒットを放ち、吉田正尚が打席に入る。ボールが先行したところで、もしフォアボールとなればノーアウト一、二塁となる。ベンチとしては送りバントも考えるケースだが、続くバッターは村上宗隆。バントをするなら村上よりも適任者がいるから準備をしておくよう、城石憲之コーチは牧原大成に耳打ちをした。その時、栗山英樹監督は──。
14年ぶりにWBCを制し、村上宗隆(写真左)と抱き合う栗山英樹監督 photo by Getty Images
あの時は送りバントも考えていたから、「牧原、大丈夫だよね」って城石に確認しました。そうしたら城石は、「はい、大丈夫です」と言った。でも、あの時の「はい」は城石のいつもの「はい」とは違ったんです。城石は「......はい」と言って、「はい」じゃなかった。「はい」と「......はい」の違い、わかりますか(笑)?
僕としては、そこでいろんなことを一瞬のうちにバーッと考えなくちゃならなくなります。城石が「はい」と即答できなかったのは、ムネ(村上)が絶対に打つという何らかの根拠を持っていたからなのか。そう考えて、でも、いやいや、そこ(城石コーチの返事の仕方)に引っ張られちゃダメだと、もう一回、思い直してリセットしました。
いったんゼロに戻してから、その先はこうして、ああして、これを切って、あれも切って、切って切って、いろんなものを切り落としたら、最後、自分のなかにストンと落ちるものがありました。だから城石に「牧原はまだ待たせておいて」と伝えて、「ここはムネでいく」と......。
で、城石には「ムネにもう一回、『おまえに任せた』と言いに行ってくれ、ムネに覚悟させてくれ」と伝えました。城石、一瞬、戸惑ってましたね。でも僕のなかには、長年、城石との間に培ってきた信頼関係があります。
たとえば源ちゃん(源田壮亮)が骨折した時(1次ラウンドの韓国戦で帰塁の際、右手小指を骨折)、夜、城石から電話がかかってきたんです。これが、わけのわからない電話でね(苦笑)。城石が喉まで出かかった言葉を呑み込んでいるのがわかりました。
あの時、源ちゃんを残して下さいって、城石は言いたかったはずなんです。でも僕に「残してくれ」と言ってしまったら、このWBCで「絶対に情に流されない」と言い続けてきた僕を迷わせてしまうと思ったんでしょうね。だから「城石、わかった、源ちゃんと話をして決めるからさ、ありがとう」と言って電話を切りました。
僕を苦しめちゃいけないと思って、城石が言い切らないというのはわかっていたんです。それこそが、勝つために必要な間合いです。監督として何かを決めなきゃならない時、一度、心に落とすために一瞬の間が必要になるんです。それが自分を整理させる時間になりますからね。
一瞬の間とは......僕のなかにいる野球の神様と会話する時間になるのかな。これはこうしますけど、大丈夫ですか......いや、大丈夫ですかじゃないな。これはこうしますと言ったら、首をひねられて、いや、ちょっと待て、みたいな......そこでいったん平らに戻す。
監督って時間に差し込まれるんです。30分もらえれば答えは出ます。でも、それを3秒で考えて答えを出さなきゃいけないのが野球の監督ですから、準備が必要になります。3秒で答えを出すためには、あらゆることを想定しておかなければなりません。
今の状況で、このピッチャーはこうで、次のピッチャーはこう、バッターの特徴はこうで次のバッターはこう。そういうことをすべて並べて、落ち着いて考えさせてくれれば答えは出るんですが、3秒で、と言われるから差し込まれます。
もちろん、想定外のことだって起こりますよ。WBCで唯一、想定できなかったのは準決勝の(山本)由伸でした。5回からノーヒットピッチングが続いていて、7回に正尚の3ランで追いついた。さあ、ここから由伸で9回までいって、タイブレークになったら10回には大勢、というイメージを描いた途端、(8回表に)ツーベースが2本続いて勝ち越しの1点が入る......あの場面は由伸のあまりの状態のよさにこっちが引っ張られてしまいました。
5回からの3イニング、由伸は自分のボールを思い通りにコントロールできていたんです。ところが追いついた途端、急に球が上ずるんですよね。あの由伸でも同点に追いついて、さあ、いこうとなったら、勝ちたいというプレッシャーに呑み込まれてしまって、ボールが抜け始めます。あれは想定外でした。
【WBCで一度だけ情に流された】WBCの決勝。3−1とアメリカを2点リードした日本は8回、ダルビッシュ有がカイル・シュワーバーに一発を浴びて1点差に追い上げられた。9回、大谷翔平がブルペンから出る。大谷がDHからピッチャーへ、同時に栗山監督はレフトの吉田正尚に代えて牧原大成をフィールドへ送り出した。牧原のポジションはセンター、そしてセンターのラーズ・ヌートバーをレフトへ回す。
僕はこのWBCでは、絶対に情に流されまいということを心に誓っていました。勝負とは非情。相手が超一流選手だからといって、試合に出たいだろうなとか、この打順やこの役割を託さないと申し訳ないとか、そういうことより、今、この時点で勝つ確率がもっとも高い手を選べないことのほうが選手に失礼だと思っていたんです。
僕の打つ手は勝つ確率が高いからそうしているんだろうと、選手たちみんながわかっていると思っていましたし、『小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり』の言葉を噛み締めながら戦っていこうと意識していました。
目先の小さな優しさ(小善)はいいことに見えるけど、本当は相手のためにならない大きな悪につながる。でも信念を持って相手のことを本当に考えて行なう大善は、厳しいことも含めて非情に見えるけど、それが将来に生きることがある。選手のためにと言いながら、どこまで大善を貫けるだろうというところは絶対に守るべきだと、自分自身に約束していました。
でも、WBCでたった一度だけ、情に流されたシーンがありました。
決勝の最終回、僕は牧原(大成)を守らせてやりたかったんです。(ケガで辞退した)鈴木誠也の代わりに途中からチームに加わって、牧原は苦しかったと思います。こっちもなかなか試合に出す機会がなくて、でもベンチでは一生懸命、いろんなことをやってくれていました。試合には出ていなくても、あらゆることに対して全力で尽くして、勝つために努力してくれている牧原の姿を僕はずっと見ていました。
準決勝でバントの準備をさせた時、覚悟させておいて、でも使わなかった。源ちゃんがケガしたときも牧原は「ショートはしばらくやってないから不安です」と言っていたのに、試合前に率先してショートでノックを受けて、スタンバイしてくれた。
バントにしてもショートにしても牧原の練習ぶりは、いけと言われれば僕はいつでもいきます、僕はやりますというふうに僕の目には映っていました。そんな牧原のよさを引き出して、光り輝かせる場所をアメリカでつくってやれていないという申し訳なさが込み上げてきて、絶対に情にだけは引っ張られてたまるかと思っていたのに、最後の最後、情に流されてしまいました。
もちろん、守備固めとしてのセンター牧原が最善手じゃなかった、という意味ではありません。問題は(ラーズ・)ヌートバーでした。牧原をセンターへ入れるということは、このチームでヌートバーが一度も守ったことがなかったレフトへ持っていくことになります。
だからマサ(清水雅治コーチ)には2度、確認してもらいました。2度目は「マサ、もう一回、聞いてくれ」とまで念押しして......ヌートバーがレフトを受け入れてくれたら、センターに牧原が入ることはみんなにもわかります。
実際、そうしてあげてほしいという空気も感じていました。それでもWBCで初めてレフトを守るヌートバーというリスクも含めて、プラスマイナスをいろいろ考えました。ただ、心のどこかに牧原への感謝と、最後のシーンで守らせたいという思いがあったことはたしかです。それが僕の監督として一番ダメなところかもしれないし、弱いところかもしれない。そんなふうに思っています。
【選手を輝かせる裏テーマと世界一の両立】もうひとつ、監督としてダメだったなと思い出すシーンがあります。
それが最後の瞬間でした。9回に翔平をマウンドへ送り出して、「もし同点に追いつかれていたらどうしたんですか」と、何度も訊かれました。監督の仕事においては、危機管理は絶対条件なので、同点に追いつかれたり逆転されたりということは考えて行動しなければなりません。
でも、あのケースに関してはリードして翔平を出した瞬間、絶対に追いつかれてはいけないと腹を括っていました。これっぽっちも、こっちが追いつかれることを想像してはいけないと自分に言い聞かせていたんです。それを想像した瞬間、負けると思っていました。絶対にこの継投を勝ちパターンに持っていくと決めていたんです。それは、監督としてはやっちゃいけないことなんですよね。
しかも、僕だけが感じている"ホントに大事な時にしでかす感じ"は、あの時の(ピッチャーの)翔平にはまだありました。打つほうにはそういうことはないと信じられていましたけど、投げるほうに関しては力が入りすぎて自分のパフォーマンスにならない時がまだあると感じていたんです。
翔平、9回の先頭だった(ジェフ・)マクニールを歩かせたでしょう。いい球はいっているのに、思ったところへ投げられているのに、それをボールと言われて自分の感覚と審判の判定がズレてくると、得てしてピッチャーは崩れます。あのWBCは日本が絡んでいない試合でも、フォアボールが試合を決めることが多かった。調子が悪ければ修正を図ろうとするんだけど、調子がいいと崩れるきっかけはフォアボールになるんです。マクニールを歩かせたときは本当に胸がザワザワしましたね。
ただ、翔平は難しくなったり、苦しくなったり、状況が厳しくなればなるほど、そこに向かって超えられたら自分のステージが上がるということを知っている、世界で唯一の選手です。だから、誰もやったことがないことだと、ホントにうれしそうにやる。それをわかっているから、こっちは宿題を難しくします。
そもそも、できるとかできないってことを彼は考えません。やるかやらないかで考えますから、やりたいことをやるために必要なことをやろうとするんです。しかも難しいことがうれしいから、努力が楽しくできちゃう。そうでなければ、ああいう流れで翔平を送り出せないし、それこそが僕にとっての翔平らしさなので、追いつかれることは考えないようにしようだなんて、普段はあり得ない思考になってしまうんでしょう。
僕はアメリカで力勝負がしたかったんです。日本ならではの"スモールボール"はもちろん大事なんだけど、日本の野球も進化している、という形を示して勝負したかった。翔平だけじゃなく、ピッチャーが攻めて、バッターがホームランを打って......そんな、翔平を生み出した日本野球の土壌があるからこそ、決勝戦でアメリカとまともにぶつかって、勝てた。それは日本の野球が前に進んだ証になるはずです。
もちろん、監督としては"WBCで勝つ"ということが一番でした。でも、野球人としての僕のなかには、選手の数だけ、裏テーマがあったんです。それぞれの選手を輝かせる裏テーマと、世界一を両立させたいという自分のなかでのロマンがありました。
今回、それを野球の神様が認めてくれたんだな、というエンディングだったと思います。だって、あれ以上のシナリオはないでしょ? 何しろ途中から、これは野球の神様がシナリオを書き始めたんじゃないか、と思いましたからね(笑)。
おわり