今夏のアジア選手権で6m97(追い風0.5m)を跳び、女子走幅跳の日本記録を17年ぶりに塗り替えた秦澄美鈴(シバタ工業)。2大会連続出場を果たした世界選手権では「決勝進出」を目指すも予選敗退に終わったが、世界で多くの経験を積み、名実ともにトップジャンパーへと成長を遂げている。

 後編では、大きく飛躍した今季を振り返るとともに、日本記録を跳んだことによるメンタリティの成長について語ってもらった。競技者として進化していくなかで、自身の"モデルジャンパー"という肩書きへの思いにも変化が生まれたという。

女子走幅跳・秦澄美鈴インタビュー 後編


日本記録更新は手応えと課題の両面の要素があった photo by Murakami Shogo

【日本記録更新の反動が出て......】

「思い描いていた海外での経験も積むことができて、日本記録も跳べて、理想に近い跳躍を体現できるようになった。そういう意味では言うことがないくらい充実した一年でしたが、一方で一番目標としていた試合で結果が残せず、後半シーズンになるにつれて疲れも見えてきました。100点満点とは言えませんが、『ここをこうすればいいんだ』と課題をイメージできるシーズンになったかなと思います」

 飛躍を遂げた2023年シーズンについて聞くと、秦はプラス・マイナス両面からこう振り返る。

 昨年のオレゴン世界選手権を経て、海外での経験不足を痛感し、今季は冬季から積極的に海外試合に飛び出した。2月のアジア室内では6m64の室内日本記録をマーク。5月の静岡国際では日本記録に迫る6m75(追い風2.0m)を跳んだ。日本選手権では、世界選手権の参加標準記録(6m85)には届かなかったものの、アベレージの高いジャンプを披露して3連覇を達成。順調にステップを踏み、7月のアジア選手権で歴史的なジャンプを遂げた。

「2023年は『(日本記録が)そろそろ出そうだ』ぐらいの手応えを感じている中で室内からシーズンインし、春先からアベレージの高い記録を残すことができて。ファウルも多かったのですが、『よし、よし』と思えるジャンプを毎試合積み重ねていたので、『これは出ないはずはないよな』と自信を持って臨んでいたシーズンではありました」

 その手応えどおり、2006年に池田久美子がマークした日本記録(6m86)を17年ぶりに11cm更新。この記録は今季世界リスト4位、昨年のオレゴン世界選手権で3位に相当するものだった。続くブダペスト世界選手権では、2001年の池田以来22年ぶりの決勝進出への機運も高まっていたが、1、2本目でファウル、3本目は6m41に留まり、その壁を越えることはできなかった。

 秦は日本記録を樹立したアジア選手権から、自身の跳躍が「崩れてしまった部分があります」と振り返る。というのも、タイ・バンコクのスタジアムは、国内のタータン(競技場の走路面に敷かれた合成ゴム)と比較してというより、地面表面から見る印象(走ればこんな感じだろうなという想像)と実際の感覚とのギャップが大きく、普段の助走だと脚が弾かれてしまう感覚があった。そのため、サーフェスの質に合わせて力の出し加減や走りの意識を変えたという。

 その調整の結果、好記録につながったのだが、「その時の感覚をほかのスタジアムで再現しようとしても、タータンがもっと高反発なので合わないなと。あの時は良かったのですが、その後の試合では変にクセが出てしまいました」と言う。

【積み重ねた世界の経験と見えた課題】

「良くも悪くも後を引く日本記録でした」と苦笑いする秦。だが、世界選手権前に日本記録を跳んだことで、メンタリティに良い変化も生まれていたようだ。

「オレゴンの時は誰も知らない状態で行ったのですが、ブダペストではほかの選手と微笑み合えるくらい距離が近づいた感じがあって。日本記録を出して参加標準記録を突破したことで、『ここにいていいんや』って思えたのが、去年にはない感覚でした。

 今回は2本ファウルして3本目に追い込まれたのですが、去年だったらそもそもファウルが怖くて守りに入っていただろうなって。結果にはつながりませんでしたが、その度胸がついたのは成長かなと思っています」

 ブダペスト世界選手権を終えた後には、世界のトップ選手が集う陸上界最高峰の舞台・ダイヤモンドリーグへの初出場が決まるといううれしいサプライズもあった。今季だけで多くの海外試合に参戦したが、「6m80〜90台の記録を持つ選手と高いレベルで競り合う経験はまだ積めていません」と反省点を挙げる。

 秦がまず課題に挙げるのが、1本目にしっかりと記録を残すこと。今季は序盤の試技でファウルが続き、そこから徐々にズレを埋めていくような展開が見受けられた。

「ファウルをしないために、自分では意図せずに助走を緩めてしまう感覚もありました。1本目からしっかり出力を出すこと、そしてファウルをしないことを同時に進めていかなきゃいけないと思っています。そのためには、助走のスタート位置の調整とかではなく、脚をしっかりさばけるような練習をしていく必要があります。昔は走りがちょこちょこしていたので刻めていたのですが、今は走りが大きくなった分、脚を細かく動かせなくなってしまっています。踏み切り前の最後3歩で早くさばけるようにしたいと思いますが、ファウルを気にしてばかりいると自分の良い跳躍ができなくなるので、良い塩梅で取り組まなければならないとも思っています。難しいですけど、成長した姿を想像すると楽しい気持ちになれますね」


1・2本目で記録を残すことを当面の課題に挙げる photo by Murakami Shogo

【"モデル"の肩書きはもう気にしない】

 グッと世界に近づいたからこそ、日本記録を出した喜び以上に、もどかしい跳躍が続いたことでの課題も多く感じているのだろう。「日本記録保持者にはなったのですが、池田久美子さんのようにハイアベレージを出しているわけではないので、まだ自分では『認めないぞ』という気持ちを持っています」と秦。本人は控えめにこう語るが、日本記録を出したことで周囲の見る目が変わっているのも事実だ。

 秦は所属するシバタ工業でかつてレイングッズのイメージモデルを務めた経験から、一部のメディアで"モデルジャンパー"というキャッチコピーがつけられた。だが、秦が日本記録を塗り替えてから、その肩書きは徐々に外れているように思う。それは秦が跳躍の第一人者として、世間に認識された一つの証しではないだろうか。

 秦にその印象を告げると「それだったら私としては理想ですね」と言い、こう続けた。

「元々、アスリートとして大した成果を上げていないから容姿を連想させるようなネーミングがつけられていると捉えていたので、実力がついてきて、それが外れていったらベストかなと思っています。別にモデルを続けているわけでもないですし、その肩書きのせいで意地悪なことをSNSで書かれることもあって。当時は余裕がなかったのもあり、嫌だなあって思うこともありました。でも最近はそれを理解してくれる方も増えてきたので『まあ、いっかあ』と(笑)。どういう肩書きをつけられても別に気にする必要はないかなって思っています」

 今季は秦だけでなく、三段跳の森本麻里子(内田建設AC)、棒高跳の諸田実咲(アットホーム)も日本記録を塗り替え、女子跳躍勢の存在感が強まったシーズンだった。オリンピック初出場を目指すパリ大会に向けて、秦はその勢いを追い風にして、さらに前へ、前へと跳んでいくつもりだ。

「跳躍女子が来てるなって感じていますし、後に続いてくれる人が出てくれば、女子の100mハードルのように『誰が勝つのか』という注目のされ方もすると思います。そのためにも、私は今の流れを崩さないように活躍するのが大事なのかなって。パリ五輪については具体的な目標はこれからですが、最初の試技で良い跳躍をすることが一番ハッピーなのでそこは目指していきたいですね」


トップジャンパーとして、さらなる活躍に期待 写真提供:シバタ工業株式会社

前編/バスケ→走高跳→走幅跳で「17年ぶりの日本記録更新」 秦澄美鈴が歩んだ異色の道のり》》

【プロフィール】秦澄美鈴(はた・すみれ)/1996年5月生まれ、大阪府出身。山本高(大阪)→武庫川女子大。小・中学校時代はバスケットボールをプレーし、高校から陸上競技を始める。当初は走高跳で頭角を現したが、大学入学以降、記録が伸び悩むと合わせて取り組んでいた走幅跳で成長。大学卒業後は走幅跳に専念すると、日本トップクラスへ駆け上がり、2019年に日本選手権で初優勝を果たすとその後も自己記録を伸ばしていく。2023年7月のアジア選手権では6m97を跳び、11年ぶりの日本記録更新を果たすと同時に2024年パリ五輪の参加標準記録を突破。世界陸上には2022年オレゴン、2023年ブダペストと2大会連続出を果たしている。