高校選手権のスター候補で平山相太を想起させる日章学園・高岡伶颯 世界を知った男はどんなプレーを見せるのか
試合後の取材エリアにやってきた高岡伶颯(れんと)は、もう涙こそ流していなかったが、体の内からあふれ出る悔しさは抑えきれずにいた。
「サブから(の途中出場)っていうのは自分も多くあって、セネガルやポーランド(との試合)で自分が決めて勝ったのはよかったですけど、スペイン相手に決める、キツい時に決めるのがエースだと思うんで......」
今年11月、インドネシアで行なわれたU−17ワールドカップ。U−17日本代表の高岡は、これぞエースストライカーと言うべき出色の働きを見せていた。
まず、グループリーグ最初のポーランド戦(1−0)で値千金の決勝点を叩き出すと、続くアルゼンチン戦(1−3)では反撃のゴールを、そして第3戦のセネガル戦(2−0)ではひとりで2ゴールを決め、日本を決勝トーナメント進出へと導いた。
高岡がグループリーグ3試合で決めた得点は、チームの全得点となる4ゴール。小柄な背番号11は、チーム得点王どころか、この時点で大会得点ランクのトップに立っていた。
日本はこれまでU−17、U−20それぞれの年代別ワールドカップに何度も出場してきたが、その多くで特定の点取り屋に頼らない戦いを繰り広げてきた。
よく言えば、どこからでも点が取れる。悪く言えば、これといったストライカーがいない。それが日本のスタイルだった。
ところが、「初戦のポーランド戦でいい形で決めることができて、今回はいけるんじゃないかって、自分でも自信がついた」と高岡。その自信は、彼自身に、そしてチームに、確かな勢いをもたらした。
チームの全得点をひとりで叩き出す――。そんなストライカーの存在は、日本においてはあまりに異例。しかも、ミドルシュートあり、ヘディングシュートあり、高速プレスで相手DFからボールを奪っての独走ありと、多彩なゴールパターンも頼もしいものだった。
結果的に、チームは続く決勝トーナメント1回戦でスペインに1−2で敗れ、大会を終えることになった。高岡自身もノーゴール。無念の結末を迎えることになったのは冒頭に記したとおりだ。
しかし、この試合で後半61分からまさに"切り札"としてピッチに立った高岡は、苦しい流れのなかでも見せ場を作った。
相手DFラインの背後を狙う高岡のスピードは、スペインを相手にしても、どこかでワンチャンス作ってくれるのではないか。そんな雰囲気を漂わせていた。
もちろん、無得点に終わった以上、高岡本人は納得していない。
「(相手DFを)1枚抜いても、やっぱり世界(レベルの相手)は2枚、3枚ってどんどんくる。それでもブチ抜いていかないと、世界ではやっていけないなって、自分は今感じています」
そう語る高岡は、世界との真剣勝負を繰り広げた全4試合を、こんな言葉で振り返っている。
「グループステージでは、『自分がチームを助ける!』っていう目標を持っていました。サブからのスタートで、ポーランド戦、アルゼンチン戦、セネガル戦と点を重ねてきて、チームを助けられたっていう部分はあるんですけど......。
(アジア予選を兼ねたU−17)アジアカップが終わって、この(U−17)ワールドカップにくるまで、自分的には本当に世界を想定した練習にすごく取り組んできて、その結果がグループステージで生きたのはよかったですけど、やっぱりその先が......、自分には足りなかったというか......。ここでスペイン相手に、大事な時に決めれないっていうのは、本当に努力不足だなって思います」
世界の舞台で記録した4つのゴールがもたらした自信と、だからこそ残る、肝心な時に決められなかったという悔恨。
実際に体感した"世界の壁"とは、どんなものだったのか。そんなことを問うと、高岡は複雑な表情を浮かべて口を開いた。
「乗り越えられなくはないって、やっぱり思いましたし、やれなくはないと思ったんですけど......、やっぱりこういうところで勝てないと、やれるという自信は......、(自信を持って)『やれる!』とは言えないですね」
U−17ワールドカップで活躍した日章学園のFW高岡伶颯。photo by Sato Hiroyuki
インドネシアでの激闘を通じて世界のスタンダードを知った高岡は、来たる全国高校サッカー選手権大会に日章学園(宮崎県)の一員として出場する。
「ここ(U−17ワールドカップ)を第一歩だと思って、これからJリーグへ、海外へとレベルアップしていって、チームを助けられるエースになっていこうと思います」
彼の地でそんなことを話していた高岡にとっては、次なる目標への挑戦が選手権から始まると言っていいだろう。
世界レベルを肌で感じた選手が、その直後に選手権に出場すると聞いて、思い出されるのは、第82回大会に出場した平山相太(国見)だ。
高校3年生ながら飛び級で2003年ワールドユース選手権(現U−20 ワールドカップ)に出場した平山は、その大会で2ゴールを挙げるなど、U−20日本代表のベスト8進出に大きく貢献。すると、およそ1カ月後に開かれた選手権では格の違いを見せつけ、自ら9ゴールを量産するとともに、国見を全国制覇に導いた。
まだ高校2年生の高岡と当時の平山では、学年も、出場した世界大会のカテゴリーも違い、単純に比較はできない。
だが、類まれなスピードと決定力で世界から注目を浴びたストライカーが、国内の大会でどんなプレーを見せてくれるのか。それが今回の選手権における大きな注目ポイントであることは間違いない。
苦しい時にチームを助けられる本物のエースへ――。
悔し涙を流した高岡の、新たなスタートを楽しみにしたい。