サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー12
藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉/GK)前編

 今秋、中国・杭州で開かれたアジア大会で、銀メダルを獲得したU-22日本代表。決勝で韓国に敗れはしたものの、その健闘は大いに称えられるべきものだった。

 なかでも際立つ存在感を放っていたのが、最後尾でチームを支え続けた藤田和輝である。

 数々の好セーブで味方をピンチから救うのはもちろん、マイボール時にはビルドアップにも加わり、攻撃の起点となる──。今季、栃木SCで飛躍のシーズンを過ごした藤田は、国際舞台においても成長の足跡をしっかりと印すことができていた。

 アカデミー(育成組織)からアルビレックス新潟で育ち、昨季から栃木へと戦いの場を移した22歳は、2024年パリオリンピックを目指す"パリ世代"(2001年以降生まれ)に、新たな競争を生み出そうとしている。

(※インタビュー後の12月15日、来季からのジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍が発表された)

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藤田和輝(栃木SC→ジェフ千葉)2001年2月19日生まれ photo by Getty Images

── 藤田選手は昨季から栃木へ期限付き移籍。なぜ移籍を決断したのですか。

「僕はプロ2年目(2020年)に、新潟で21試合出させてもらったんですけど、その時は若手を積極的に使ってくれるアルベルト監督だったし、(GKの)1番手の構想だったコジくん(小島亨介)がケガで出られなかったり、コロナによる中断期間があったりと、いろんな偶然が重なって運よく出られただけでした。

 なのに、僕は勘違いして調子に乗ってしまった。今振り返ると、それが一番の後悔ですけど、そのツケが回ってきて、次の年はほとんど試合に出られなくなりました。

 パリ(オリンピック)に行きたいけど、新潟ではもう出られない。試合に出なければ、サッカー選手として生きていけない。そう思ってレンタル先を探してもらっていたところ、僕が出ていた(2020年の)栃木戦が、そのシーズンでも1、2を争うようなパフォーマンスだったことで、それを高く評価してもらい、栃木からオファーをいただきました」

── アカデミーから新潟生え抜きの藤田選手にとって、大きな決断だったのでは?

「その時は『結果を残さなきゃ、もうクビだ』っていう心境でしたから、新潟を出ることも難しい決断ではなかったです。完全移籍だったら気持ちも違ったかもしれないですけど......、それよりも『試合に出なきゃいけない』っていう思いのほうが強かったです」

── 藤田選手はジュニア(小学生チーム)から新潟一筋ですよね。

「いや、幼稚園の時からですね。もともと母親がアルビのことが大好きで、兄もサッカーをやっていたので、僕もきっかけなんて覚えていないくらい、いつの間にかアルビの(幼稚園児を対象にした)スクールにいました。

 ジュニアのセレクションは小3から(受験可能)でしたけど、それもいつの間にか受けていました。それこそ本間至恩(現クラブ・ブルージュ)も一緒のセレクションでしたし、周りがうますぎたので自分が受かるとは思っていなかったのに、たまたま受かったっていう感じです(笑)」

── 小さい頃からプロになりたかったのですか。

「なりたいと思っていたとは思いますけど、『オレは絶対プロになってやる!』っていうほどではなかった。ただ、目の前にライバルがいれば『絶対コイツには負けない!』とか、試合があれば『絶対に勝つ!』とか、そういう思いは人一倍強かった。だからこそ、ここまでやってこられたのかなと思うし、そこは周りと違ったのかなと思います」

── トップチーム昇格が決まった時は、どんな気持ちでしたか。

「めちゃめちゃうれしかったんですけど、戸惑いのほうが大きかったなって思います。だから、めちゃめちゃ悩みました」

── 戸惑いというと?

「僕はトップに上がれると思っていなかったので、チーム内でも最初に大学の練習参加に行っていましたし、実際、大学から特待生の話ももらっていました。なのに、ちょうど同じタイミングでアルビから(トップ昇格の)オファーをもらって、親からは『(プロになるのは)大学へ行ってからでもいいんじゃない?』って言われるし......」

── プロになれると思っていなかったのに、突然トップ昇格を伝えられた、と。

「本当にそうだったと思います。同期の本間至恩や岡本將成(現・鹿児島ユナイテッドFC)が『絶対にプロになって海外で活躍してやる!』って言っているのを聞いても、『お前ら、スゲえな』みたいな感じでしたからね。もう"あきらめていた"に近い感覚だったと思います。僕は当時、サッカーでがんばって、いい大学に行って、いい会社に入ろうと思っていたので(笑)。オファーをもらった時は、まさかでした」

── それでも最後はプロ入りを決断した。

「アルビからも、大学からも、『この日までに決めてほしい』って言われていたのを延ばしてもらっていました。親はやっぱり(プロ入りを)心配していましたからね。

 でも、一度きりの人生だし、誰もがそういうオファーをもらえるわけじゃない。最後は『せっかくもらえたんだからやってみよう』と思いました。大学に行ったからといって、4年後にオファーがあるとは限らないし、『あの時、やっておけばよかった』って思うくらいだったら、ダメで後悔したほうがいい。そう思ってチャレンジしようと決めました」

── これまでプロとしてやってこられた自分の強みは、どこにあると思いますか。

「僕がGKになったのは小学生の時なんですけど、当時はチームにGKがいなくて大会ごとに回していたんです。それで僕の番になってやってみたら意外とよくて、上の学年の大会にも出られるようになった。それがめちゃめちゃうれしくて(笑)。

 それまではFWだったけど、試合に出られるならGKでもいい。そこですかね、自分の強みと言ったら。

 今でも、特別ビルドアップがうまいわけじゃないし、誰よりも1対1に強いわけじゃないけれど、絶対に試合に出たいとか、試合で結果を残すんだっていう思いなら誰にも負けない。目の前にある目標に対する執着心は人一倍あると思っています」

── 今季はプロ入り5年目にして、キャリアハイとなる32試合に出場しました。大きな転機になったのではないですか。

「昨年、栃木に呼んでもらって、なかなか試合に出られなかったのに(期限付き移籍期間)延長のオファーをいただいて、その期待に応えたいって思ったし、自分自身、試合に出ないと今後の可能性が広がらない。今年は覚悟を決めて臨んだシーズンでした。

 その結果、開幕スタメンの座を掴むことができて(開幕戦から)7試合に出ましたけど、その間、(1勝4敗2分と)なかなかチームを勝たせることができなくて(一度スタメンから)外されましたし、その時は昨年もがいた経験が生きて、試合に出られなくても必死にやった。だからこそ、(再びスタメンに)代わった後はシーズン最後まで出続けられたと思うし、定位置を掴みきれたことは自分にとってすごく大きかったと思います」

── 先発から外された経験も大きかった?

「大きかったと思いますけど、その(外されていた間の)7試合にも出ていたらもっと成長できたかもしれないので、そこは何とも言えません。ただ、昨年出ていたGKを差し置いてチャンスを与えてもらいながら、チームを勝たせられなかった。チームに貢献できていなかったのだから、代えられるのは当たり前だったと思っています。

 それでも、どこにかしてもう1回、チャンスをもらいたいと思ったし、チャンスが巡ってきた(J2第15節の)水戸ホーリーホック戦はすごく気合が入っていました。今振り返ると、あの水戸戦で2失点はありましたけど、自分なりにいいパフォーマンスが出せたのは、その(試合に出られなかった)時の苦しみがあったからだと思います」

── チームの勝利を第一に考えながら、今季の栃木は19位。最終戦ではジュビロ磐田のJ1昇格を目の前で見ることになりました。その結果については、どう感じていますか。

「僕は栃木がすごく好きだし、J1昇格という目標を掲げてやっていたので、絶対にJ1昇格プレーオフ(進出圏内)には入りたいと思っていました。でも、チーム内に磐田や(プレーオフを勝ち抜いてJ1昇格を果たした東京)ヴェルディのような雰囲気があったかというと......、正直、すごく物足りなさを感じたというのが率直な気持ちです。

 栃木にもそういう熱気があって、練習中でもみんなが厳しく言い合う雰囲気があれば、別に磐田の昇格を目の前で見ても何とも思わなかったでしょうけど......。何と言ったらいいのか......、そういうバチバチした雰囲気でやりたい、とは思いましたね」

── そうしたすべての経験を含めて、今季は藤田選手にとってどんなシーズンでしたか。

「新潟で(試合に)出ていた時より自信はついたし、やれている感覚もある。シーズンを通して出られた経験は、すごく大きかったと思います。試合に出続けた結果、周りの評価もガラッと変わって、(U-22)代表にも選ばれましたし、試合に出て結果を残すことでこんなにも評価が変わるのかと、サッカー選手としての醍醐味も感じました。

 ただ、これからは試合に出るだけでなく、出て活躍しなければいけないんだっていうプレッシャーも感じています。ここで調子に乗らずに地に足をつけて、来年は活躍しなければ、代表の枠組みにも入っていけないと思うようになりました。

 そうやって来年のことも見据えられるようになった今年は、今までで一番充実したシーズンだったのかなって思っています」

(後編につづく)

◆藤田和輝・後編>>GK争いは横一線「パリの椅子のひとつはアイツで確定」と冷静


【profile】
藤田和輝(ふじた・かずき)
2001年2月19日生まれ、新潟県新潟市出身。幼稚園の頃からアルビレックス新潟のスクールに通い、下部組織を経て2019年にトップチームに昇格。2020年に一度はレギュラーを掴むもその後はポジション争いに苦しみ、2022年に栃木SCへ期限付き移籍。2024シーズンは期限付き移籍でジェフユナイテッド市原・千葉でプレーする。日本代表は2023年11月に行なわれたアルゼンチン代表戦で先発出場を果たす。ポジション=GK。身長186cm、体重82kg。