明治大学ラグビー部100代目主将
CTB廣瀬雄也インタビュー

 大学選手権で歴代2位・13回の優勝を誇る明治大学ラグビー部が今季、創部100周年を迎えている。伝統的に「重戦車」と呼ばれる強力FWがチームの武器で、故・北島忠治元監督が残した『前へ』という言葉は、今でも部の精神的なスローガンだ。

 その歴史深い明治大の「100代目主将」に就いたのがCTB廣瀬雄也(4年/東福岡)だ。12月23日から戦う大学選手権を前に「紫紺のスキッパー」の意気込みを聞いた。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

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100代目の主将を務める明治大の廣瀬雄也 photo by Saito Kenji

── 対抗戦の「大一番」だった帝京大戦(11月19日)の前に左足をケガしたと聞きました。現在の状況は?

「帝京戦では給水係も担当せずに安静にして、野球の大谷翔平選手も打ったと聞いたPRP(多血小板血漿)注射を2回打ちました。2週間ほど経って、朝起きたら痛みがなくなってきたので、現在では7〜8割で走れるようになってきました。

 自分は"ゲーム勘"を大事にしているので、リザーブでもいいので早くグラウンドに立ちたい。出場を決めるのは監督・コーチですが、個人的には一刻も早く間に合わせたい」

── チームメイトは「廣瀬主将を国立(1月2日・準決勝〜)に連れていく」と話していました。

「そうなんですか? みんな、うれしいことを言ってくれますね(笑)。でも、連れて行ってもらうばかりではなく、(副将のLO山本)嶺二郎もがんばってくれていますが、主将としてできるだけ早くチームに合流し、迷惑をかけたチームメイトに恩返ししたい」

── 1年生から3年生までは出場した「早明戦」を、4年生の今年は初めてグラウンドの外から見ていました。

「まさしく『明治の前と縦』『早稲田の横』が出たみたいな試合で、明治がやろうとするラグビーを本当に取り戻してくれた。対抗戦で慶應義塾大戦(66-40/11月5日)、帝京大戦(11-43/11月19日)、早稲田大戦(58-38/12月3日)と試合を重ねるたびに、ひとつひとつ成長している。

 まだ課題がいっぱいあるので、伸びシロもある。絶対、帝京大を超えられると思っています。早稲田大戦は後半にトライを取られたところは、相手のうまさもありましたが、自分たちからディフェンスシステムを崩してしまった。もう一回、そこを再確認して、自分たちがやってきたことを80分間出せれば、怖いチームはいないかな」

── 新チームが始動した時から、神鳥裕之監督は動けて接点・セットプレーも強い「ハイブリット重戦車」を掲げていましたね。

「あれだけFWが前に出られれば、BKも楽。また、BKもただ横に回すだけじゃなくて、CTB平翔太(2年/東福岡)とか山田歩季(3年/京都成章)が縦に突いていた。

 BKのテーマは、相手の脅威になるという意味の「デストロイ」と、しっかりスペースを突いて外に展開する「スマート」を掲げています。それができていたので、相手にすごくプレッシャーを与えていた。(早稲田戦で最大点差を)41-3まで持っていけたのは帝京大にもできないと思うので、それは自信を持っていい」

── 最後は帝京大に勝って大学選手権を終わりたい気持ちが強い?

「そうですね。今季、唯一勝ってないし、昨季の春から勝てていない。帝京大を超えないといけないと思っているし、明治の全員がそこをターゲットしている。

 ただ、帝京大と対戦するには決勝進出がマストですが、帝京大に執着し続けると足もとをすくわれてしまう。昨季は年越しできていないので(準々決勝で早稲田大に負けて敗退)、一瞬一瞬、まずは目の前の課題を見つけて最後は決勝で帝京大と対戦したい」

── 創部100周年のキャプテンを務めてきて、どう感じていますか?

「巡り合わせですが、地球上で僕にしかない立場です。全然そんな器じゃなかったですが、同期のみんなに任されたので、その期待に応えないといけない。

 でも100周年だからということではなく、明治は毎年、優勝を狙っています。SH福田健太さん(トヨタヴェルブリッツ)の代で22年ぶりに優勝しましたが、スター軍団だったNo.8箸本龍雅さん(東京サンゴリアス)の代でも優勝できなかった。昨季もメンバーが揃っていたけど、年越しできなかった。

 本当に優勝するのは難しいです。ですが、100周年にこだわり過ぎず、自分たちがやっていることをしっかりやれば、自ずと結果は出てくると思っています」

── 廣瀬主将は、なぜ明治大を選んだのですか?

「最初はどの大学が強いとかも知らず、ただ『留学に行きたい!』とかアホなことを言っていました(苦笑)。でも、高校2年の時に明治が22年ぶりに優勝し、いざ明治から誘われて調べたら『明治、すげえ!』と思って。それで進学しました。明治を選んだそのひとつひとつの選択が今につながっています」

── 大学ラグビー生活は、多くても残り3試合です。この4年間を振り返ると?

「マジで、一瞬でしたね! この前、入寮したみたいな感じです(笑)。コロナ禍で高校3年時の高校ジャパンの遠征もなかったし、1〜2年生の頃は遊びにも全然いかなかった。4年生になった今もお酒とか飲まずに寮にいて、みんなでワイワイとしゃべって過ごしています。本当に健全です!

 明治は応援してくれる人もすごく多く、本当にラグビーをやっていてやりがいを感じるし、充実した毎日を過ごせています。明治に行かないと知り会えなかった人も多いですし、人生の目標や進路なども全部決まったから、本当に入部してよかった」

── 4年間を振り返ると、どこがターニングポイント?

「1年生の経験は大きかった。紫紺を着てもまだそんな重みを感じていなかったですが、大学選手権・準々決勝の天理戦で何もできずに(15-41で)ボロ負けして終わった時に、4年生(の大学ラグビー生活)が終わったというのを知って、涙が出ました。秩父宮でしたね。

 あの負けを経験し、明治の重みやプライドを知れたことで、本当に無駄に3年間を過ごしちゃいけないなとすごく感じました。2年生からチームを引っ張るようになって(前監督・田中)澄憲さんに『2年生なのにありがとう』とも言われましたね」

── 当時の田中監督(現・東京サンゴリアス監督)にはディフェンス面などでいろいろと指摘されていましたね。

「高校生から大学生になって『これくらいやっておけば大丈夫だろう』みたいな感じではなく、紫紺の12番として身につけないといけないものを提示されました。『全然、足りてないぞ』と。

 それでもまだわかっていない部分があり、2年生の春は(先発)メンバーから外されて、Bチームにも落とされた。『このままじゃダメだ』とあらためて感じて、1年生の終わりから2年生の春にかけて大きく成長することができました」

── 当時は「日本代表になりたい」という話もされていました。

「日本代表を目指したいという気持ちはちょっと変わって、今は明治で日本一を取りたい、このチームをいいチームにして次の代に託したい、という思いが強くあります。『明治で日本一になったら、燃え尽きちゃう』というくらいに、明治のラグビーに賭けています。

 まずは目の前のことに集中し、卒業してリーグワンのチームに入ることになったら、またがんばるものを見つけられたらいいなと思っています」

── 大学選手権ではどんなプレーを見せたいですか?

「久々の出場になるので『自分がやらなきゃ』みたいに空回りするのではなく、いつも自分がやってきたことを、みんなと連係をとりながらやっていきたい。キャプテンとしてチームを同じ方向に向かせて、最後は必ず優勝したい。そして、帝京の時代を終わらせたい。そうしないと(大学選手権が)絶対に面白くないと思っています!」

── あらためて『前へ』と言う言葉は、廣瀬主将にとってどういうものですか?

「それはけっこう考えるんですが......毎回、意味合いが変わっていくし、人それぞれにとっても違う。明治を引退したあとにわかってくるのかもしれないし、大学選手権の結果次第でも変わってくるのかもしれない。

 ただ、『前へ』という言葉があるから、早明戦では明治のラグビーを再認識できたし、ケガをした時もメンタル的に前を向かないといけないと思うことができた。

『前へ』は、ラグビー面でも、私生活でも、支えてくれる言葉。明治のラグビー部じゃないと、(明治大ラグビー部の拠点)八幡山のグラウンドに立たないと、わからない。『前へ』という言葉に出会って、本当によかった」

<了>


【profile】
廣瀬雄也(ひろせ・ゆうや)
2001年4月7日生まれ、福岡県宗像市出身。ラグビー選手だった父・友幸の影響によりラグビーをはじめる。東福岡高時代には高校日本代表に選ばれ、2020年に明治大へ進学。4年生になった2023年、明治大ラグビー部の100代目主将を任される。3歳下の弟・幹太は福岡工業大のWTB。ポジション=センター。身長179cm、体重95kg。